5話 友達と仕事を始めました
「おい、トール」
「何ですか?ナナシさん」
「俺達、何やってるんだ?」
「トイレ掃除です」
「ああ、そうだ。
そんな事は分ってる。
でも、どうよ?清掃員になりたくて街に出たのか?」
「ナナシさんが決めたんじゃないですか!
僕だってこんな仕事、嫌ですよ!
ナナシさん、さぼってないで手を動かしてください!」
ナナシさんが痛いところを突かれたとばかりに、苦笑いをしている。
そして、観念したのか仕事を再開した。
僕達は今、とある町で正規兵が詰める屯所の清掃を行っている。
これは冒険者ギルドから正式に請け負った室内清掃の仕事だ。
そして、ナナシさんが安請け合いで拾った仕事でもあった。
事の始まりは昨日。
初めてこの街ウェルノークにたどり着き、
その大きさに驚く僕に突き付けられた現実。
お金の重要性に起因している。
道すがら倒してきた魔獣の皮を売り作れたお金は銀貨3枚と銅貨90枚。
これで暫く凌げるとたかをくくっていた僕はこの街の物価に驚いた。
宿代が何と1日で一人銅貨30枚。
安い所を探し回ったが、食事なし20枚が最安値だった。
これではすぐにお金が枯渇してしまう。
野宿すら視野に入れ、動く事を考えていた。
「おい、トール。風呂に行くぞ!」
「へ?」
まさに、青天の霹靂だった。
何を言っているんだこの人は…
「お風呂なんて行くお金がありません!」
「堅い事言うなよ!
風呂は俺の命だ。
それに、臭いのは女の子に嫌われるぞ!」
その言葉は年頃の僕にとって決定打だった。
どうしても、女の子と言う言葉に反応してしまう。
それは僕だって女の子と仲良くしてみたいし…
仕方ないよね。
「なんじゃこりゃー!」
風呂に入るとその光景が気に食わなかったか、ナナシさんが吠える。
風呂は何処だと、他人の迷惑も考えず浴室を走り回った。
その奇行に周りからの視線が注がれる。
ナナシさん本当にごめんなさい。
その時、ナナシさんと他人の振りをしていたのは僕だけの秘密です。
ナナシさんが求めていた風呂とは、湯船にお湯が溜められたもので、
この国では上級貴族しか入らない、およそ趣味の世界の話だった。
この国で一般的に使われる風呂とは、ミストサウナの事である。
正直な話、ナナシさんとの生活に格差を感じる。
今入ったお風呂でもナナシさんと二人で銅貨10枚が消えたのだ。
もし、湯船につかって居ればそれどころでは済まない。
ナナシさんは、もしかすると途轍もなく身分の高い方なのだろうか?
そんな風に考え、心が少し痛んだ。
もしそうだとしたら、今の生活はナナシさんの気まぐれで、
飽きられると終わってしまうのモノなのかも知れない。
僕の心の中で何かモヤモヤしたモノが渦巻くのを感じていた。
「仕事を探します!」
僕は日が暮れないうちに、それを提案した。
ナナシさんは見るからに嫌そうな顔で、それに抗議する。
「ブーブー!
金がなくなれば、また狩りに行けばいいだろ?
それに、連れと再開すれば、何とでもなる」
「何ともなりません!
今のままでは、ポーションも買えません!」
「は?」
「それに武器も防具も買えません!」
楽観的過ぎる抗議に対して少し頭に来た僕は、
いつもの口調より尖っていたと思う。
そんな思いつめた態度の僕に、ナナシさんが言う。
「ポーションも買えないって…
そりゃ無いでしょ…
初期村で薬草を買えなかったら詰むじゃん」
所々言っている事が理解できない。
やはり、ナナシさんは住む世界が違うのかも知れない…
金銭感覚が無さ過ぎる。
「即効性のポーションは、安い物でも銀貨10枚はします。
重傷や難病を治す物だと、金貨10枚でも買えません」
「…」
ナナシさんが沈黙する。
どうやら、現状を理解してくれたらしい。
真面目な顔になり話し始めた。
「悪い、そんなに切羽詰まってたのか?
俺はてっきり、このまま狩りに出て、レベルと金を稼ぐと思ってた」
「そんな危険な事できません!
最低限の装備と回復薬を揃えるまでは、この街から動けません」
僕の意見にナナシさんは反論しなかった。
「俺の装備と回復薬は要らない。
トールの必要な物だけ揃えろ!」
真剣な顔でそんな事を言ってきた。
そして、ドン!胸を一叩きすると、
「俺は不死身だ!知ってるだろ?」
と宣う。
彼のドヤ顔に僕は思う。
はい、知ってます。
とても頼りになるナナシさんの姿を、
そんな最高の友達を。
紆余曲折あり、
たどり着いた冒険者ギルド… 本当に大変だった。
ナナシさんのドヤ顔。
それが続いたのは一時の事だった。
僕がこの街の冒険者ギルドに登録して、
仕事を貰おうと提案すると話は拗れた。
「非正規雇用は嫌だ!」
「へ?」
また意味の分からない単語を
ナナシさんが呟く。
「ピンハネされてるのに
優遇されない非正規雇用は嫌だ!」
子供みたいに拗ねだす、ナナシさん。
イライラ。
僕は説得を開始する。
「ナナシさん、何事も経験ですよ。
そこから道は広がるかもしれません」
適当な事をナナシさんに言って聞かせる。
何としても、説得を成功させたかった。
何故なら、僕はナナシさんと一緒に仕事をしたい。
きっとそれは楽しい筈だから。
「嫌だ!」
イライラ。
いい大人が何をごねているんだ…
いい加減に…
「俺は別口を…」
「いい加減にしろ!」
そこには13歳の少年が、
働かない大人を叱る光景が広がっていた。
しかも公衆の面前で…
辺りからヒソヒソ話が聞こえる。
「奥さん聞きました?」
「ええ、聞きました!」
「あの子も大変ね」
「あの子のお兄さんかしら?
無職とか…」
「「嫌よねーーー!」」
僕の顔が真っ赤になる。
とんだ赤っ恥だった。
周囲からの視線が痛い。
僕はナナシさんの首根っこを掴むと、
冒険者ギルドを探して、走り回るのだった
「お嬢さん!
君はとても美しい!
どうだい?そこのレストスペースでお話でも」
そして、この変わり身である…
ナナシさんは、冒険者ギルドの受付が美人だと分かると、
姿勢を正し、黒い外套の着崩れを直す仕草をし、最後に髪をかき上げて、
受付の少女の前に立った。
この男、顔だけは良い。
声を掛けられた少女も満更では無さそうである。
呆れている場合ではなかった。仕事。
仕事を貰わないと。
「すいません!
ギルドの登録とお仕事を見繕ってほしいのですが」
ナナシさんと受付の間に割り込む。
受付の少女が少し残念そうな顔をする。
そして、彼女は仕事を選んだ。
僕の行動に、ナナシさんが抗議の視線を向けてきた。
勿論、無視する。
「それでは、こちらの書類に目を通しサインを。
それでギルド登録は完了です」
ナナシさんが書類に目も通さずサインする。
僕は一通り目を通してからサインした。
それはギルドの規約や罰則、
そして手数料についての書類だった。
正直、難しい話は僕もパスである。
僕がサインを終えたのを見ると受付が微笑む。
「冒険者ギルドへようこそ。
それでは、仕事とのマッチングの為、この用紙にご記入ください。
自分の強さやセールスポイントを描いてくれれば結構です。
開示したくないのであれば、白紙でも結構です」
僕は自分のステイタスの売りを記入していく。
魔法のライトが使えます。と。
ふと、ナナシさんの記入内容が気になり、
ナナシさんの方を観る。
白紙だった。
だよね、個人情報を晒すのは自殺行為だと聞いた事がある。
僕は自分の記入した内容を見直し、
そして塗りつぶした。
「ご記入ありがとうございます。
それでは、仕事を見繕いますのでご希望は有りますか?」
「出来るだけ安全で簡単なもの。
それで、実入りの良いものをお願いします」
「実績が御座いませんので、
簡単なものしかお出し出来ません。
また、報酬は仕事の内容に依存しますので…」
「今、出せる中で一番いいのをお願いします」
中々辛辣なお言葉だった。
周りから笑い声が聞こえる。
他の冒険者が僕達を笑い者にしていた。
「これなんかいかがですか?」
受付が書類を僕に渡す。
僕は恥ずかしくて、それを聞き逃していた。
「それでいい。
今日はこれで失礼する」
ナナシさんの声が響いていた。
そこには少しの怒気が含まれている。
「分かりました。
それでは手配しておきます。
キャンセルには違約金が掛かりますのでお気を付け下さい。
それでは、こちらが詳細資料です」
ナナシさんはその書類を受け取ると、
僕を引っ張りギルドの外へと促した。
そして、ギルドから少し離れると、
僕を見詰め、言い聞かせるように語る。
「気にすんな、トール。
良い事だけが人生じゃなさ。
何れあいつらを見返してやればいい」
良い事だけが人生じゃない…か。
フッ!
心の中でその言葉を失笑する。
僕は、僕には良い事の方が少ない。
父さんも母さんも、そして村も失った。
悪い事ばかりだ!
わるいことばかりだ…った。
最近の悪い光景が脳裏に浮かぶ。
本当に最悪の人生だ。
ぽん!
いつもの手だった。
ナナシさんの手。
全てを包んでくれている様な大きな手。
僕は…
「ごめんなさい…」
「これだから、、、ガキは困る…」
優しさを含んだ、
いつもの声音が僕の耳に響いていた。
そして冒頭に戻る。
僕達は何とか清掃をやり終えた。
横でナナシさんがゼイゼイと苦しそうに息をしている。
掃除と言うのは初めてしまうと、
徹底的にやりたくなるのは何故だろう?
僕達の掃除は要望された範囲を超えていた。
正規兵が詰める屯所は規模こそ小さいが、
二人で掃除するには広く、そして汚い。
しかし、僕達はやり遂げた。
「何ですかこれは…」
驚愕の声が屯所に響く。
正規兵の隊長さんだ。
この仕事の依頼主でもある。
「すいません、少しやりすぎました」
素直に、範囲超過を謝罪する。
綺麗にしたとは言え、触られたくない物は有る筈だ。
そんな低姿勢な僕を観て、隊長さんは感涙する。
「すまない。
怒っている訳ではないのだ。
あの値段でここまで綺麗にしてくれるとは…
そうだ、これを受け取ってくれ」
袋包みが差し出される。
「いえ、依頼された仕事ですので!
そういったもの…」
「いやーわるいっすね!
こういうの本当は良くないんですよ」
僕の言葉を遮りナナシさんがそれを受け取った。
「分かっている。
これはあくまでも個人としてのお礼だ」
「そこまで言うなら、頂いておきます。
本当、わるいっすね!」
ニタニタと笑い話すナナシさん。
僕はポカーンとそのやり取りを観ているだけ。
僕を置き去りにして、
ナナシさんと隊長さんはそこから会話を弾ませた。
終始笑顔で談笑する二人、
そして、
「いいんですか?」
「ああ、いいとも。
君達なら信用できる!
ぜひこの仕事受けてほしい」
「いやー、わるいっすね」
なんと、ナナシさんは仕事を勝ち取ってしまった。
それもかなり良い待遇の仕事を。
「詳しい内容は、ギルドで聞いてくれると助かる。
既に、募集が始まっている案件でな、何件か応募も受けている。
今日中に私の方から話を通すから、後日話を聞いてみてくれ」
隊長さんは愉快とばかりに話を終え、
僕達を見送った。
「ちょろいな」
「…」
袋包みを楽しそうに僕に見せびらかすナナシさん。
そして開封。中からは銀貨1枚。
「本来の報酬と合わせて銀貨2枚か、時化てんな」
「…」
僕のジト目がナナシさんを射抜く。
「如何したよ、トール」
ばつが悪いとばかりに僕を睨む。
「そう言うの良くないと思います」
「かてーな。
いいだろ?これぐらい」
誤魔化すように笑う。
「それに、俺が動かなかったら
仕事は貰えなかった」
グヌヌ、正論だった。
ナナシさんのおかげで次の仕事の目途が立っていた。
「良い事ってのはな、
自分から動かねえと手に入らないぞ!」
割と良い事を言うナナシさん。
でもやっている事は…
僕はやり場のない怒りを心の中で鎮める事にした。
ごめんなさい、父さん。
僕は悪い人になるかもしれません…