アメリカ合衆国無条件降伏
48時間が経過した2002年11月27日。大日本帝国とロシア連邦はアメリカ合衆国に対して全面核攻撃を開始した。その間アメリカ合衆国は何度も交渉を呼び掛けた。だが大日本帝国とロシア連邦はその全てを黙殺し、核攻撃準備に取り組んでいた。世界各国はアメリカ合衆国に対して、無条件降伏を呼び掛けた。もはや状況はアメリカ合衆国が完全に不利になっていた。度重なる核攻撃は遂にアメリカ合衆国の自国領内で実行され、ロシア連邦とインドの陸軍部隊が完全消滅するという悲劇を招いた。
アメリカ合衆国が今回の核攻撃を実行したのは、かつて東西冷戦時に西ドイツが計画した構想を参考にしていた。西ドイツはソ連を盟主とするワルシャワ条約機構軍による最初の一撃で、自国飛行場が無力化されてしまうことを真剣に恐れていた。そしてその解決策となる手段として、ZELLの実用化を目指したのである。『ZELL』とは『ゼロ距離射出』の頭文字をとった言葉であり、F-104の胴体に補助ロケットブースターを取り付け、約20度上方へ打ち出すことによって、滑走距離ゼロで離陸するという画期的なアイディアだった。ZELLならば飛行場が潰されようとも関係なく、国土のどこからでも出撃することが可能となった。そして西ドイツはニュークリアシェアリングにより核兵器をF-104に搭載し、侵攻して来た敵軍に投下する作戦であった。ただF-104シリーズは燃料搭載量が少ないうえ、特に燃費が悪くなる低空での戦闘行動半径は、わずか120kmしか無かったのである。ZELLで発進し地形追随飛行するF-104は、西ドイツから国外へ長距離進出することができないという欠点があった。つまり、同機が搭載する広島型原爆の約50倍に相当する強力な水素爆弾は、侵略してきた敵軍を叩く為に『自国内で使う』か、最大限進出しても、『元々は同胞である東ドイツに対して使用する』しかないということを意味していた。あまりにもリスクが高過ぎる為に、計画は中止された。それを実際に実行したのが、今回の核攻撃であった。ヨーロッパ諸国は狂気の沙汰とも言える今回の核攻撃を『アラモ式国防術』と皮肉交じりに名付けた。
大日本帝国は前回のフィラデルフィア核攻撃に続き、戦略型原子力潜水艦薩摩級を使用するのに加えて、81式戦略爆撃機富嶽改も核攻撃を行う事になった。2回目の核攻撃ともなれば大日本帝国軍も緊張感は無くなり、落ち着いて冷静に準備を行う事が出来ていた。だがロシア連邦軍は史上初となる核攻撃に緊張感が高まっていた。ロシア連邦は戦略ロケット軍がICBMを運用し、海軍と空軍がSLBMと核爆弾をそれぞれ運用していた。今回の核攻撃にはRT-2PM2とRT-2PMのICBMと、941アクーラ設計戦略任務重ミサイル潜水巡洋艦を投入する事になった。941アクーラ設計戦略任務重ミサイル潜水巡洋艦はロシアでの正式名称より、NATOコードネームのタイフーン級と呼んだ方が分かりやすいだろう。
その日露両国による核攻撃が遂に行われた。ロシア連邦にとっては感慨深いものがあるだろう。東西冷戦時に互いに核兵器を突きつけ合い、相互確証破壊の元に仮初の平和を創り出していた。しかしそれが今となっては、全面核攻撃である。東西冷戦時に想定しその危機が去ったと思いきや、まさかの現実になってしまった。だがもう後戻りは出来ない。既に核攻撃は始まっているのだ。ロシア連邦戦略ロケット軍はICBMを、海軍はタイフーン級がR-39潜水艦発射弾道ミサイルをそれぞれ発射。大日本帝国海軍は再び聖域の日本海から戦略型原子力潜水艦薩摩級が95式潜水艦発射弾道ミサイルを発射した。攻撃目標は東海岸のワシントンDCとニューヨーク以外の全ての都市であった。アパラチア山脈防衛線以西は既に占領状態にあり、全面核攻撃と言っても攻撃可能な都市は限られていた。ワシントンDCは政府がある為に攻撃対象からは外され、ニューヨークも国連本部がある為に攻撃対象から外された。カナダ国境に近い都市もカナダへの被爆を考慮して攻撃対象から外されていた。
2002年11月27日午前11時43分。アメリカ合衆国東海岸の各都市は大日本帝国とロシア連邦による核攻撃を受けた。一瞬にして都市だけで無く、住民も消滅。概算で2000万人以上が死亡した。全面核攻撃の報告を受けたホワイトハウスでは、大統領が茫然自失となっていた。これを計画していたのか。大統領はそう呟くのが精一杯であった。そして更に追い打ちをかける情報が舞い込んだ。大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊がチェサピーク湾に侵入した、との報告であった。何処を攻撃対象としているかは一目瞭然であり、無条件降伏しなければワシントンDCを攻撃するという無言の圧力であった。この状況により大統領は遂に決断を下した。
無条件降伏をするとの決断であった。