加盟国増大
アフガニスタン情勢は、大日本帝国により見事に安定化された。アーカイダは正式に解散を発表し、その殆どがタリバーンに合流した。タリバーンもアフガニスタン政府に合流し、国を再建する事になった。大日本帝国はアフガニスタンへのODAを発表。アメリカ合衆国の攻撃により荒廃した国土復興の為の資金提供と、インフラ再建の技術協力を第1段階として表明した。第1段階ではアフガニスタンに負担は無く、全ての資金は大日本帝国が負担する事になっていた。第2段階として産業育成の為無利子の資金援助を行い、大日本帝国企業からの経済協力を行う事となった。ここで重要なのは資金は大日本帝国が出すが、人員はアフガニスタンの国民を動員する事であった。技術指導者として大日本帝国は人員を派遣するが、実際に作業をするのはアフガニスタン人である。アフガニスタン人を動員する事で、仕事と給料を保証し生活を安定させるのが目的であった。そして直接大日本帝国からの技術指導者が技術を伝える事により、アフガニスタンでの技術力向上を図る目的もあった。全ては順調であった。NATOが構成する国際治安支援部隊は全くテロにあう事も無く、アフガニスタンの治安は劇的に改善した。これを受けて2002年10月25日には早くも国際治安支援部隊の任務は、アフガニスタン軍の指導だけに切り換わった。
大日本帝国はパキスタンにもODAを行い、主にアフガニスタンに隣接する地域の治安改善を要請した。資金は同じく大日本帝国が全て負担する為に、技術支援も行われた。パキスタンに対しては大日本帝国が仲介して、カシミール地方の分割が行われた。カシミール地方はかつての中華人民共和国・パキスタン・インドで、紛争が度々繰り返された地域であった。中華人民共和国が崩壊し中華連邦が成立すると、大日本帝国の仲介でインド・中華連邦国境は明確化された。しかしパキスタンとは3回にも及ぶ戦争を繰り返しており、敵対心は相当なものになっていた。その為に大日本帝国の仲介を両国は何度も断っていた。そして今回の911同時多発テロ事件とアフガニスタン侵攻、新世紀日米戦争、アメリカ合衆国新大統領の海外の部隊総引き揚げで事態は大きく変化した。大日本帝国がアフガニスタン情勢を安定させる模索をした時に、再度インドにカシミール地方の明確化について提案したのである。今回はインドも大日本帝国の仲介を受け入れる事を表明した。1990年以来インドが実効支配するカシミール地方のジャンムー・カシミール州は、分離独立派とインド軍の衝突が繰り返され数千人規模の死者を出していた。それを解決出来るならそれに越したことは無い。インドはそう判断して仲介を受け入れたのだ。そしてパキスタンにはアフガニスタン首都カブールでの会談で、ODAを行う事になっていた。その時にカシミール地方についても再度、仲介する事を大日本帝国は提案していた。インドも了承しており、解決する最後の機会だと大日本帝国は外務大臣が迫った。悩んだ末にパキスタンも大日本帝国の仲介を受け入れる事にした。
そしてカシミール地方の分割についてもインドとパキスタンは、大日本帝国の仲介により条約に調印。長い領土紛争に決着が付いた。ジャンムー・カシミール州の分離独立派はパキスタンの要請により、活動を停止して解散。ようやくカシミール地方に平穏が訪れた。インドとパキスタンにしても最早核兵器を突き付け合う状態で、謂わば千日手の状態であった。そこへ再度の大日本帝国の仲介は、事態打開に好都合であった。更にインドとパキスタンには大日本帝国がカシミール地方を中心にODAを行う事になり、インフラや産業育成での支援が受けられた。その為に失う物より得る物が大きいとの判断で、カシミール地方の領土紛争は解決したのだ。
そして大日本帝国は更にアフガニスタンとパキスタンに対して、亜細亜条約機構に加盟するように正式に提案した。両国は亜細亜条約機構という集団安全保障体制に加盟出来る事に素直に喜び、提案を受け入れると表明した。そしてその提案はロシア連邦とインドが即座に賛成するという異例の対応を招いた。ロシア連邦はかつてアフガニスタンに侵攻した事があり、インドは前記したようにパキスタンとカシミール紛争を行っていた。その両国を説得するのに時間が掛かると思っていた大日本帝国だが、予想外にすんなりと承認を得てしまった。こうして最大の障害が消滅した事により、2002年11月1日に開催された亜細亜条約機構緊急総会は満場一致でアフガニスタンとパキスタンの加盟を承認した。そしてここに至りブータンとネパール・モルディブ・トルクメニスタンが亜細亜条約機構への加盟を要請して来た。その要請は緊急総会で同時に議論され、これも満場一致で加盟を承認。トルクメニスタンはアフガニスタン侵攻の時にアメリカ合衆国が経済援助を申し出ていた。しかしそれは一向に履行されず、遂には大統領まで変わってしまった。忘れられたトルクメニスタンはアメリカ合衆国への恨みから、亜細亜条約機構加盟を要請したのだ。
一気に6ヶ国が加盟しイランより以東の亜細亜諸国が加盟する大規模な組織に、亜細亜条約機構は変貌した。加盟した6ヶ国も形式上は亜細亜条約第2条により、アメリカ合衆国に宣戦布告。アメリカ合衆国は凄まじい数の国から宣戦布告される事になった。