徹底攻撃
『3日前に突如として大泉総理から、進軍停止命令が出たのには驚いた。その後詳細情報として、[ワシントンで政変の可能性がある為、戦争終結も含めて政府は協議に入る。臨戦態勢を維持しつつも、東進は一時中止するように。当然ながら完全に停戦する事は無く、敵が攻撃の兆候を見せると躊躇無く攻撃するように。]との連絡が入った。その連絡を受けて総指揮官は各国陸軍の指揮官を緊急招集した。招集された各国陸軍指揮官は、ヘリコプターで移動して来た。喫緊で視察を行ったばかりなのに、再び各国陸軍指揮官と顔を合わせるとは思ってもいなかった。集まった各国陸軍指揮官は総指揮官の天幕に集まり、早速会議を行った。会議の争点はワシントンでの政変について、であった。インド陸軍指揮官は大統領の弾劾について言及した。あまりにも負け過ぎており、あまつさえ本土上陸を許したとなっては弾劾は避けられないだろう。そう言い切った。私もその意見に賛成であった。如何にアメリカ合衆国大統領の権限が強かろうとも、ここまで負け過ぎると議会からの追求は凄まじい物になるだろう。かつてのベトナム戦争より酷い負け方である。弾劾というのが現実的であった。
インド陸軍指揮官の言葉に全員が納得したように頷いた。確かにそれなら進軍を一時中止する筈である。大統領が弾劾され、大統領が変わると戦争が終わるかもしれない。否、むしろ早く終わって欲しいのが全員の心境であった。このまま東進を続けるのは作戦通りだが、途中で終われるならそれに越したことは無い。総指揮官はアメリカ合衆国大統領の弾劾だと判断して、各国陸軍に臨戦態勢を維持したままの待機を命令した。命令を受けて各国陸軍指揮官は部隊へと戻っていった。
ワシントンでの政変はかなり大規模なものであった。副大統領が中心となり国務長官を巻き込んでの、事実上のクーデターであった。哀れ大統領は弾劾されるならと、自らが大統領職を辞任する事にした。そして副大統領が大統領職を引き継ぐと、まさかの事態となった。戦争継続である。しかもヨーロッパの駐留する全軍を引き揚げると言い出した。総指揮官は新大統領のテレビ演説を聞くと、一言呟いた。「正気じゃない。」私も同じ気持ちであった。そこへ本国から大泉総理の命令が届いた。その命令はアメリカ合衆国を叩き潰せ、という凄まじい内容であった。そして2002年10月18日、総指揮官は東進を再度命令した。』
広瀬由梨絵著
『新世紀日米戦争』より一部抜粋
大泉総理からの命令を受けて、総力をあげての攻撃が始まった。陸軍部隊は東進を始め、空軍はグレートプレーンズへの空爆を開始した。メキシコ湾に遊弋する連合艦隊空母機動部隊も再び活動を開始し、空爆を行い始めた。
一方大日本帝国本土では大泉総理が活発に電話会談を行っていた。既に総攻撃の命令は出しており、国防省国家指揮センターからは続々と情報が入っていた。そんな中で大泉総理は亜細亜条約機構加盟国各国の首脳と、個別に電話会談を行う事にした。行う理由は当然ながら、アメリカ合衆国の新大統領が戦争継続を宣言したからだ。大泉総理は各国首脳の意見を聞くことにしたのである。本来なら戦争に参加する必要は無いのに、亜細亜条約機構に加盟しており亜細亜条約第2条が適用されたから、戦争に参加しているのである。大泉総理は心配になっていた。
だが心配は無用であった。各国首脳は一様に大日本帝国支持を明言し、アメリカ合衆国を降伏に追いやるまで戦うと断言した。その言葉に大泉総理は感謝の言葉を述べた。そして戦う意思を明確にしてくれた事は、大日本帝国にとって有り難い事であった。また大泉総理はヨーロッパ各国に対しても電話会談を行った。I3の活動によりヨーロッパ連合の野望は露見しているが、現状はアメリカ合衆国との戦争を優先する為に目を瞑っていた。ヨーロッパ各国はアメリカ合衆国が分裂した事に驚いていたが、それでも尚戦争を続ける新大統領に更に驚いていた。驚きつつも口々に、大日本帝国の支持と戦争協力を明言した。大泉総理としてはヨーロッパ各国をつけ上がらせるだけなのは、重々承知だが今はその支援を受ける事にした。
ヨーロッパ各国の支持を取り付けた大泉総理は、改めてアメリカ合衆国の孤立した状況を再認識した。ここまで徹底的に孤立したのはアメリカ合衆国史上初の事だろう。大泉総理はアフガニスタンからアメリカ合衆国が部隊を引き揚げるとの事から、アフガニスタンへ接触する事を考えた。敵の敵は味方の理論で、アフガニスタンを大日本帝国側に引き込む事を決意したのである。早速外務大臣を呼ぶと大泉総理はアフガニスタンをどうすれば、引き込む事が出来るのか話し合いを行う事にした。