ロッキー山脈越ゆる
2002年10月11日『陸軍ロッキー山脈越える』このニュースは世界各国に報じられた。90号線を利用した『玄武部隊』はモンタナ州ビリングスに、80号線を利用した『白虎部隊』はワイオミング州シャイアンに、70号線を利用した『朱雀部隊』はコロラド州デンバーにそれぞれ到達した。凄まじい光景であった。部隊の上空には93式戦闘ヘリコプターが常に飛行を続けており、その更に高空には89式戦闘爆撃機紫電改と84式戦闘攻撃機飛燕改が舞っていたのだ。『玄武部隊』はロシア連邦陸軍がいる為に上空にMi-28が飛行しており、高空にはSu-30が舞っていた。
大日本帝国陸軍はその歴史上特に、大東亜戦争中に数多くの遠征作戦や山越え作戦を行ってきた。しかしその時の作戦は徒歩や自転車を使用しており、戦車を使ったとしてもその戦車は列強各国の水準では軽戦車でしか無かった為に、まだ長距離移動には耐えられた。しかし今や大日本帝国陸軍の装備する88式戦車は重量60トンにも達する。エンジンやトランスミッション他の補器類も含めてパッケージ化されており、『一体型機関部』と呼ばれる形状を採用している為に整備性は極めて高いがそれでも長距離を走行させると履帯や足回りに負担がかかる。その為に88式戦車を含めた全ての装甲車輌は、戦車運搬車で輸送された。また占領した鉄道を使っての輸送も行った。
まさに総力をあげた移動であった。大型燃料運搬車等の支援車輌も大量に動員されており、兵站線の維持は最優先で行われていた。『玄武部隊』はビリングスに到達すると近くにあるビリングスローガン国際空港を占領、『白虎部隊』はシャイアンに到達すると近くにあるシャイアン空港を占領、『朱雀部隊』はデンバーに到達すると近くにあるデンバー国際空港を占領。それぞれの部隊が内陸の空港を占領した。特にデンバー国際空港の規模が大きい為に、兵站線維持の為の重要な拠点となる事になった。その為に占領すると直ぐに空軍が進出し、航空優勢の範囲を更に広げた。
ロッキー山脈を越えて陸軍がグレートプレーンズに到達した事は、アメリカ合衆国にとって非常事態であった。遂にロッキー山脈という自然の要害を越えられたのである。だがグレートプレーンズを第1防衛線とした為に、ある意味で自業自得ではあった。しかしグレートプレーンズは近過ぎた。デンバー国際空港に展開した空軍は早速攻撃を開始。84式戦闘攻撃機飛燕改が持ち前の搭載量を見せ付け、防衛線に圧倒的な攻撃を行った。ハワイヒッカム空軍基地からも81式戦略爆撃機富嶽改が飛来し、爆弾の雨を降らせた。ここに至り国防総省はグレートプレーンズをも放棄する事を決定した。直ぐに国防長官がホワイトハウスに駆け付け、大統領にその決定を承認するように求めた。求められた大統領は当然ながら拒否した。もはやこれ以上の後退は認められない、そう力強く言い切った。しかし国防長官はもはや作戦はこれだけしか無いと断言した。ロッキー山脈以西の州が降伏した現状で、大日本帝国と戦争を続けるなら戦力の密度を高めるしか無く、その為には中央平原から東に集中させるしかありません。国防長官の言葉はもはや懇願でもあった。悩んだ末に大統領は国防長官の作戦を承認。戦力を集中させるように命令した。その事態にグレートプレーンズに展開するアメリカ合衆国陸軍は捨て駒にされた。否、もはや撤退もままならない状況であった。航空優勢は既に失っており、国防総省も手段が無いと諦めるしか無かった。
そのような絶望的な陸軍部隊を見捨てる判断を下した国防総省に、大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊がメキシコ湾に進出したとの報告が入った。驚くべき報告であった。サンディエゴ海軍基地で補給と整備を行い、出港したのは掴んでいたが何処に向かったかは、陸軍の動向に集中し過ぎて掴んでいなかった。失態といえば大失態であった。あまりにも初歩的過ぎる失態に、国防長官は怒る気力も出なかった。国防長官は冷静になって、何処からメキシコ湾に出たのかを尋ねた。尋ねられた担当者は、パナマ運河ですと答えた。
パナマ運河は1982年にパナマとアメリカ合衆国、そして大日本帝国の3か国によるパナマ運河代替調査委員会(3か国調査委員会)を発足させて、大規模な拡張工事を計画した。だが当時のパナマ政権はアメリカ合衆国と不仲であり、この計画は一旦はほぼ立ち消えとなってしまった。しかし大日本帝国が積極的に両国の橋渡しを行い、アメリカ合衆国とパナマに拡張工事と資金を全て大日本帝国が行うとして、計画を承認させた。そして翌1983年に早くも調査報告書を提出した。この報告書では海面式運河は工事コストが高すぎるとして、1942年に中止された第3閘門運河跡を再利用して運河を拡張することが最もコストが軽減されるとの報告がなされた。大日本帝国がパナマ運河に拘ったのは経済的躍進が続き、アメリカ合衆国との貿易が増大しているのと、世界経済の拡大によってパナマ運河の容量不足が徐々に叫ばれるようになったからである。自国の為だけで無く国際貢献だと、時の政権は計画の実行を叫んだ。そして大日本帝国が資金を投入してパナマ運河拡張工事を行った。経済的躍進が続いていた大日本帝国の経済力からすれば、パナマ運河拡張工事に必要な金額は大した額にはならなかった。その為に大日本帝国世論も、政府の言う『国際貢献』という御題目を支持したのだ。
更にはパナマ運河は閘門を利用して高低差を克服していく為に、大量の水を使用する。その為に大日本帝国はパナマ運河沿いに海水を淡水化する浄水施設も建設した。このパナマ運河拡張により、大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊の大型空母も通行可能になり、この当時は設計段階であったイージス原子力空母大和級も通行可能となった。連合艦隊空母機動部隊の世界展開を容易にするとの隠された目的の為であったが、ある意味で先見の明があるという結果になり、その後世界各国で就役するマンモスタンカーやスーパータンカーも通行可能になる副産物もあった。
大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊がメキシコ湾に進出した事で、空襲を警戒する必要が生じた。国防長官は全てが後手後手にまわっている、悲しい現実を突き付けられた。