アメリカ合衆国の苦悩
サンフランシスコ陥落の報は、ホワイトハウスにも当然ながら届いていた。衝撃的であった。135個師団、280万人の上陸である。更にはサンノゼとサンタローザも陥落したとの連絡が入った。サクラメントに大軍が押し寄せている、との連絡もありカリフォルニア州全体が占領されるのも時間の問題であった。
大統領は急遽軍首脳陣をホワイトハウスに呼び寄せると、対策会議を開いた。アメリカ合衆国建国史上初の非常事態である。まさに国家存亡の危機であった。ロシア連邦陸軍の20個師団、中華連邦陸軍の30個師(師団相当)、インド陸軍の25個師団、タイ陸軍の10個師団、大韓民国陸軍の10個師団、インドネシア陸軍の10個、フィリピン陸軍の5個師団、ベトナム陸軍の10個師団、大日本帝国陸軍の15個師団を合わせ135個師団である。アメリカ合衆国陸軍の師団数は20個師団であり、それに州兵の17個師団が存在する。3倍以上の戦力差であった。
シチュエーションルームで始まった対策会議は、偵察衛星が捉えたサンフランシスコの状況確認から始まった。海を埋め尽くさん限りの大量の船舶に、全員が度肝を抜かれた。それを護衛する大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊を筆頭とする各国海軍も展開しており、もはや周辺の海は合衆国領海とは言えない状況になっていた。地上には大量の戦車・歩兵戦闘車等の装甲車輌が展開し、上陸作戦は妨害無く進んでいる事を表していた。
その事に大統領は何故空軍を派遣しないのかと叱責した。その言葉に国防長官は口を開いた。『西海岸にはもはや空軍部隊は存在しません。上陸前の戦いで全滅しています。』大統領は返す言葉も無かった。軍の怠慢では無く、もはや手段が無かったのだ。国防長官は中部や東海岸の空軍基地から、戦力の移動を開始しておりその準備に時間が掛かると説明した。大統領は何か有効な策は無いのか、と質問した。建国史上初の為に誰もが経験した事の無い、本土決戦である。あまりにも状況が絶望的過ぎる為に、誰もが直ぐには答えられなかった。そこで大統領は核兵器は使えるのか質問した。その言葉に全員が驚いた。国内で核兵器を使用するつもりなのか、と。慌てて国務長官が、ICBMも戦略型原子力潜水艦も全て破壊されており有効な手段は無く残されたのは航空機搭載型の核兵器しか無いと、説明した。それにこれ以上の核攻撃は大日本帝国の全面報復を招く事になります、とも付け加えた。
現実を突き付けられた大統領は残念そうにため息をついた。すかさず国防長官が現実的な状況説明を始めた。『135個師団280万人もの大規模作戦です。その補給物資は凄まじい量になるでしょう。それに対して我が国は本土決戦です。兵站線の長さは圧倒的な差になっております。ある種の遅滞防衛作戦で時間を稼げば、相手は物資不足となり停戦に持ち込めるかもしれません。』
国防長官の言葉はまさに的確なものだった。というよりもはやそれしか手段は残されていなかった。大統領はその案を採用し、実行に移すように命令した。
同じ頃大日本帝国帝都東京首相官邸地下の危機管理センターでは大泉総理が、上陸作戦の推移を見守っていた。連合艦隊空母機動部隊の圧倒的な打撃力に、上陸作戦は順調に進行していた。榊原国防大臣は上陸作戦後の展望について、説明を始めた。
『135個師団280万人による人類史上最大の上陸作戦となりました。最初に優先するべきはカリフォルニア州全体の占領です。我が国より約9パーセント大きい面積のカリフォルニア州ですが、広大なアメリカ合衆国本土占領の為の試金石のようなものです。ここで手こずるようでは、今後が心配です。心配といえば補給物資ですが、本土からの輸送は万全であり更には諸外国からの提供や割引価格での販売により、長期戦になっても戦える体制は整っております。』
大日本帝国軍は大東亜戦争の敗戦によるその後の復活から、後方兵站体制の確立を最優先に整備して来た。大東亜戦争中に於ける深刻な補給物資の欠如を反省し、普段から各方面軍単位で最低1年間は全力で戦えるだけの補給物資を保管するようにしていた。それは海軍も空軍も同様で、最低1年間は全力で戦える補給物資を保管していた。各地に建設された補給廠は膨大な補給物資を保管し、燃料についても同様に大型燃料タンクに膨大な量を保管していた。そして砲弾やミサイル等が新型に更新されると正面装備だけで無く、補給物資も総入れ替えする為に各種軍需企業も大規模な生産ラインを確保していた。砲弾やミサイル等の大量生産と陸軍の大規模な出兵は、戦費の増大による経済の傾きではなく、現時点では軍事費・軍需の増大を適度な公共投資として景気拡大に利用しており、大日本帝国の経済は過去最高の発展を遂げていた。本来ならその点が諸外国に批判されそうだが、大日本帝国政府の指導力の高さを称える声の方が圧倒的に多かった。全ては大東亜戦争敗戦の反省からきており、その補給物資の物量は湾岸戦争で遺憾なく発揮された。
更には理不尽極まりない理由で戦争に巻き込まれた大日本帝国に対して、遂に世界各国が直接的に支援を宣言した。弾薬や砲弾の規格は日米同盟時にNATO規格として統一していた為に、提供や販売は容易であった。その為に大量の弾薬や砲弾が提供され、アメリカ合衆国上陸作戦用に使用される事になった。更には割引価格での販売も各国は行い、大日本帝国は臨時予算を編成して購入した。通常価格の半額以下の価格の為に、凄まじい量を大日本帝国は買い占めた。
亜細亜条約機構加盟国の陸軍派遣を行った国々の補給体制は、大日本帝国陸軍の各方面軍の補給物資を3ヶ月分提供する事になった。3ヶ月後には大日本帝国の各種軍需企業の生産体制が、大量生産体制になる為に物資不足にはならない計画であった。しかも大量生産体制への移行は順調に進んでおり、前倒しで生産量は拡大しそうであった。
『全ての責任は私がとります。必ずや勝利するように。』
断固とした口調で大泉総理は言い切った。