アメリカの憂鬱
ハワイ陥落。このニュースはすぐに世界各国を駆け巡った。そしてアメリカ合衆国が追い詰められつつあるのが、世界各国に知れ渡った。
大日本帝国は占領したハワイをすぐ様前線基地と化した。具体的には千歳空軍基地に配備してある81式戦略爆撃機富嶽改100機が、アメリカ合衆国本土空襲の為に進出して来た。87式局地制圧用攻撃機も50機が進出し更に、89式戦闘爆撃機紫電改・84式戦闘攻撃機飛燕改・78式早期警戒管制機・85式空中給油機・74式司令部偵察機・75式電子情報収集作戦機を進出させる事にしていた。ヒッカム空軍基地はアメリカ合衆国本土空襲の拠点に変貌しようとしていた。海軍連合艦隊もイージス空母翔鶴級3隻の空母機動部隊をパールハーバー海軍基地に入港させて、VLSの補給作業を開始した。後続するイージス原子力空母大和級3隻の空母機動部隊は作戦通り到着する予定で、アメリカ合衆国西海岸に与えるプレッシャーは相当な物になっていた。
ハワイを大日本帝国が前線基地化させているのはメディアが大々的に報じており、軍事評論家は『アメリカ合衆国本土空襲は近い』と言い切った。これによりアメリカ合衆国西海岸各州の住民は、パニック状態に陥った。都市部に住む住人は空襲を避ける為に我先に、内陸部への避難を開始した。それは想像を絶するパニックの出現であった。車社会の為に各人が自家用車で避難を開始した為に、交通事故が多発。それに対応する為に出動した警察消防救急による活動は、無秩序状態のパニックにある住人達を前に全く捗らなかった。そしてパニック状態は最高峰になり、遂に暴動までが発生。あまりにも無秩序状態になった事から遂には各州知事達は、州兵を出動させた。しかし武装した州兵に無秩序パニック状態の住人達は、過激に反応し暴動は更に激しくなった。あまりの事態にメディアは『アポカリプス』と表現する程であった。それは連邦政府である大統領も頭を抱えていた。しかしアメリカ合衆国にはもはやハワイをどうにかする戦力は存在しなかった。核戦力は自らの潔白を証明する為に無力化し、戦略爆撃機は全滅している。空軍の各種戦闘機や攻撃機を空中給油機を使ってハワイを空襲させても、大日本帝国空軍機や海軍連合艦隊空母機動部隊に迎撃されるだけである。万策尽きた形となっていた。残された作戦は、海軍の残る3個空母戦闘群と空軍機による合同の迎撃作戦しか無かった。もはや攻勢にでる戦力は無く、ひたすらに守る事しか出来なかった。
ハワイ占領を受けて、大泉総理は危機管理センターで今後の作戦会議を行っていた。理不尽極まりない理由でアメリカ合衆国に戦争を仕掛けられた大日本帝国は、その戦争支持率は極めて高かった。それは北海道釧路市への核攻撃により、圧倒的ともいえる支持率になった。メディアは連日特別報道番組を放送し、戦争の情勢を伝えていた。国民が唯一懸念を示した経済についても、出兵での戦費の増大による経済の傾きではなく、現時点では軍事費・軍需の増大を適度な公共投資として景気拡大に利用しており、大日本帝国の経済は過去最高の発展を遂げていた。それは大泉総理以下政府首脳陣が殊の外気に掛けており、何にもまして経済に影響が出ないようにしていた。日米戦争も長期戦は想定しておらず、長くても半年前後で決着が着くと判断していた。
新世紀日米戦争に参戦すると表明した各国は陸軍の編成を順調に続けており、後は大日本帝国によるアメリカ合衆国上陸作戦の計画に掛かっていた。国防省国家軍事指揮センターが立案した作戦計画は2種類存在した。1つ目は純粋な上陸作戦となる。海軍連合艦隊空母機動部隊を筆頭に、参戦する各国海軍も総動員してアメリカ合衆国西海岸を攻撃。ハワイヒッカム空軍基地から出撃した大日本帝国空軍機による空襲も行い、強襲上陸を行う。
2つ目はメキシコに外交交渉を行い、メキシコ国内に陸軍を派遣。地上侵攻によりアメリカ合衆国を攻める作戦であった。海軍連合艦隊空母機動部隊を始め各国海軍も西海岸沿岸から侵攻を支援する。
以上2つの作戦計画であった。
軍としてはどちらの作戦でも実行可能との事であった。決断を下す事にした大泉総理は、1つ目の作戦を採用した。2つ目の作戦を採用した場合はメキシコを戦争に巻き込む事になる為に、これ以上他国を巻き込むべきでは無いという判断であった。そして空軍に対してはヒッカム空軍基地への展開が完了し、運用可能状態になり次第早急にアメリカ合衆国本土空襲を行う事を命じた。そして空襲に於いては無差別爆撃を許可すると断言した。驚く一同に大泉総理は、全ての責任は私が取ると言い切ると、大東亜戦争末期の本土空襲と広島長崎釧路の報復だと宣言した。
これを受けて空軍は早期のアメリカ合衆国本土空襲に向けて全力を投入する事になった。