核爆発
B-2ステルス爆撃機による16発もの核爆弾投下は、大日本帝国は当然として世界各国に衝撃を与えた。100キロトンの水素爆弾を16発も投下したのである。北海道釧路市は完全消滅。16発はB-2が飛行しながら投下した為に、直線上に広範囲で投下された。その為に中心街から郊外へと被害は拡大。概算で把握した結果死傷者数計測不能という大惨事となった。核攻撃を行ったB-2はスクランブル発進した89式戦闘爆撃機紫電改に撃墜された。危機管理センターにいる大泉総理以下政府首脳陣は、偵察衛星が撮影した釧路市の状況を見て唖然とした。もはや原型を留めない瓦礫の山と化しており、救助活動や捜査活動は未だに開始されていなかった。唯一の救いは広島や長崎と同じく、空中爆発により巨大な火球となり、上昇気流によって放射性降下物等は上空に押し上げらると予想された点だ。広島と長崎に投下された原爆の中にあった核物質の約10%が核分裂を起こし、残りの90%は火球と共に成層圏へ上昇したと考えられており、その後それらの物質は冷却され、一部が煤と共に黒い雨となって広島や長崎に降ってきて、残りのウランやプルトニウムのほとんどは恐らく大気圏に広く拡散したと思われた。今回もそれが起こると思われ黒い雨を避けるべく、救助活動や捜査活動は開始されていなかったのだ。2度の被害を受けた経験が活かされた形になった。
しかし地方都市とはいえ、大日本帝国の都市が消滅したのは紛れも無い事実であった。大泉総理は聖域と化している日本海に展開している海軍の戦略型原子力潜水艦薩摩級に対して、核攻撃準備の命令を出した。空軍の81式戦略爆撃機富嶽改に対しても、核攻撃準備命令を出した。そして大泉総理は緊急記者会見の記者会見場へと向かった。大日本帝国史上初の核攻撃態勢に入った事に、国防省国家軍事指揮センターは緊張に包まれた。それは命令を受けた海軍と空軍には大きなプレッシャーとなった。
旧ソ連が崩壊しロシア連邦と相互防衛条約を締結し、亜細亜条約機構設立前に北朝鮮を壊滅させ韓国主導で南北朝鮮が統一されてから、日本海は大日本帝国にとって聖域となっていた。そこに展開する戦略型原子力潜水艦薩摩級は大日本帝国核戦略の根幹を成す存在であった。戦略型原子力潜水艦薩摩級は95式潜水艦発射弾道ミサイルを搭載しており、1基につき14発の460キロトン核弾頭を搭載し、最大射程12500キロを誇る。冷戦時代は旧ソ連を目標としていた為に射程は短かったが、アメリカ合衆国が仮想敵国となった為に射程延伸の改良型として95式潜水艦発射弾道ミサイルを装備した。
81式戦略爆撃機富嶽改は大日本帝国空軍が運用する戦略爆撃機である。アメリカ合衆国空軍の戦略爆撃機は今回の大日本帝国本土空襲により全滅した為に、匹敵する戦略爆撃機はロシア連邦しか保有していない代物となった。機体の大きさは世界最大で、航続距離も兵装搭載量も世界最大を誇った。硫黄島と千歳の空軍基地に配備されており、湾岸戦争では大挙出撃し圧倒的な爆撃力を見せ付けた。
そんな大日本帝国の核戦略を支える戦略型原子力潜水艦薩摩級と81式戦略爆撃機富嶽改は、演習では無い実戦として核攻撃準備に入った。
大泉総理は緊急記者会見を始めた。
「本日2002年8月10日午後22時19分、大日本帝国北海道釧路市に100キロトンの水素爆弾が16発投下されました。釧路市は完全に消滅し、死傷者数は未だに把握出来ておりません。アメリカ合衆国は私が与えた72時間の猶予中に、本土空襲を目論み戦略爆撃機を大挙出撃させて来ました。B-1・B-2・B-52とアメリカ合衆国は保有する戦略爆撃機を全て投入し、大東亜戦争以来の我が国への本土空襲を仕掛けてきたのです。空軍と海軍連合艦隊空母機動部隊はその総力を挙げて、全力で迎撃を行いました。しかし誠に遺憾ながらB-2ステルス爆撃機の北海道釧路市侵入を許し、核攻撃という事態を招いてしまいました。8月という月は私達日本人にとって非常に重要な月となってしまいました。6 日の『広島原爆の日』9日の『長崎原爆の日』15日の『敗戦の日』そして今日10日の『釧路原爆の日』が追加されました。このようなアメリカ合衆国による非道な攻撃に対して、私は大日本帝国軍最高指揮官として海軍と空軍に核攻撃準備の命令を下しました。核兵器を使用しないとの宣言は、アメリカ合衆国の裏切りにより白紙となり、核攻撃を受ける覚悟があるようです。私達は核による反撃を行う権利があります。アメリカ合衆国に言っておきます。今後始まる我が国からの全面攻撃によるアメリカ合衆国の被害は、全て自業自得です。核攻撃も含め、我が国は攻撃の手段を選びません。覚悟して下さい。」
大泉総理はそう力強く言い切ると、記者会見を終了させた。