戦略爆撃機壊滅
B-1爆撃機隊が突然消息を絶った事に、B-52・B-2の各爆撃機隊と国防総省はパニックになった。その為に一時は作戦中止が提案された。しかし爆撃の本命はやはりB-2ステルス爆撃機である為に、作戦は続行される事になった。それは大統領による直接の命令で、『万難を排して作戦を続行するように』と空軍に対して下されていた。B-52爆撃機隊はいわゆる囮としての役割もあった。しかしそれは国防総省や大統領等の上級幹部しか知り得ない、極秘情報だった。虎の子のB-2爆撃機の空爆を成功させる為に、囮弾除けとしてB-52は大挙出撃していた。冷戦が終了して退役が進んだB-52だが、未だにアメリカ合衆国空軍は300機を保有していた。それを100機1つの編隊で3編隊にして、大日本帝国空爆に出撃させた。21機しか生産配備していないB-2爆撃機が本命の為に、B-52の投入量は異常ともいえた。
だがしかし先陣を切るB-1が全滅した為に、残されたB-52の役割は非常に大きかった。B-52は出撃した全機が空中発射巡航ミサイルのAGM-86を搭載していた。AGM-86はアメリカ合衆国空軍が、長距離攻撃スタンドオフ兵器として運用しているミサイルになる。湾岸戦争で初めて実戦投入され絶大な破壊力を示した。大日本帝国空軍も81式戦略爆撃機富嶽改に90式空中発射巡航ミサイルを搭載し、B-52との共同攻撃を行っている。
B-52爆撃機隊の役割としては搭載するAGM-86を発射して、飽和攻撃を行う事にあった。その為B-52はAGM-86のみを搭載して出撃し、その搭載数は1機辺り20発という凄まじいものであった。それが300機である為に空中発射巡航ミサイルは6000発にも及んだ。
偵察衛星が捕捉したB-52爆撃機隊を精査した帝国地理空間情報庁は、搭載しているのがAGM-86であるのを確認するとすぐ様国家軍事指揮センターに情報を伝えた。AGM-86を搭載する時は特徴的な外見になる為に、搭載した時の判断は容易であった。そのB-52が100機編隊を3つも形成しながら大日本帝国本土に迫っていた。情報を受けた国家軍事指揮センターは騒然となった。空中発射巡航ミサイルを搭載したB-52が300機も迫りつつあるのだ。大東亜戦争末期の本土空襲の悪夢が再来する危機であった。そんな中で危機管理センターにいる大泉総理は国防省国家軍事指揮センターに毅然と命令を下した。『空軍と海軍艦載機の全力を挙げて迎撃するように。二度と本土空襲を受けてはなりません。』
この命令に空軍は保有する89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電、連合艦隊空母機動部隊は85式艦上戦闘攻撃機烈風を出撃させた。両機共に99式空対空ミサイルのみを装備して、B-52の撃墜よりもAGM-86を発射された場合の迎撃を主軸に命令が出されていた。陸軍の87式地対空ミサイル発射機は連合艦隊空母機動部隊の勝利で迎撃態勢を解除していたが、B-52の大挙襲来を受けて再度迎撃態勢に入った。
全力出撃した空軍と連合艦隊空母機動部隊の航空機は、78式早期警戒管制機の情報を受けた。89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電は、B-52の真正面に展開。85式艦上戦闘攻撃機烈風は、大きく回り込みB-52の側面から攻撃を仕掛ける事になった。89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電はAGM-86を警戒しての真正面への展開だが、主に発射された場合の迎撃が目的であった。85式艦上戦闘攻撃機烈風はB-52を直接撃墜するのが目的であった。75式電子情報収集作戦機はジャミングを開始したが、B-52は高度な電子対抗システムを搭載しており無効化していた。それによりB-52はAGM-86を最大射程で大日本帝国本土に向けて発射した。AGM-86を発射された事により89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電は迎撃を開始した。99式空対空ミサイルをAGM-86にロックオンすると、次々と発射した。夜空を彩るミサイルの光跡は、凄まじい数となった。亜音速で飛行するAGM-86に対して、マッハ5を誇る99式空対空ミサイルは圧倒的な速度でAGM-86を叩き落としていった。AGM-86の発射を続けるB-52には、85式艦上戦闘攻撃機烈風が99式空対空ミサイルを発射した。超音速飛行が出来ないB-52はマッハ5の99式空対空ミサイルに全く対応が出来なかった。恐ろしく早い速度で突き進む99式空対空ミサイルは、B-52を叩き落とし1つ目の編隊は全滅した。
89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電が迎撃したAGM-86も続々と撃墜されていた。B-52を全滅させた85式艦上戦闘攻撃機烈風には78式早期警戒管制機から、B-52の第2第3編隊が接近しつつあると報告が入った。その報告を受けて85式艦上戦闘攻撃機烈風は一斉に進路を変更し、次なるB-52の編隊へ向かった。国家軍事指揮センターでは大泉総理以下全員が偵察衛星の画像を見ながら、B-52の迎撃を固唾をのんで見守っていた。AGM-86の飽和攻撃による本土空襲は何としても防がなくてはならない。全員が祈りながら推移を見守っていた。
B-52の第2第3編隊は1つに合流して、大日本帝国本土へと接近していた。第1編隊が全滅した事で、飽和攻撃の数を増やす構えであった。だがそこへ85式艦上戦闘攻撃機烈風が99式空対空ミサイルを発射。しかも20ミリガトリングガンを発射してB-52を撃墜するという、ベトナム戦争以来の撃墜記録を出した。AGM-86の発射タイミングが遅れたが、それでも数十機は発射に成功し300発近いAGM-86が再び大日本帝国本土を目指した。89式戦闘爆撃機紫電改と88式戦闘機震電は再びAGM-86の迎撃を開始。全弾を叩き落とすと85式艦上戦闘攻撃機烈風と共に、B-52への攻撃を開始した。大量の敵機に囲まれたB-52は99式空対空ミサイルに次々と撃墜され、遂には全滅した。
そこへ78式早期警戒管制機からB-2ステルス爆撃機が接近しつつあるとの情報が入った。情報を受けて各機はB-2撃墜の為に進路を変更。ステルス能力を過信していたB-2に対して99式空対空ミサイルを発射し、次々と命中していった。B-2はまともに回避する事も出来ずに撃墜された。しかしB-2の撃墜数は20機であった。生産機数が21機のB-2は全機出撃したのが確認されており、偵察衛星の情報では21機全機存在していた。しかし撃墜したのは20機である。1機が消えていた。情報はすぐ様国家軍事指揮センターに送られ、偵察衛星や78式早期警戒管制機、現場空域の全戦闘機に対して周辺調査が命じられた。たとえ1機でもB-29の比ではない被害が発生してしまう。しかし周辺空域にはB-2はいなかった。約700キロ北上した北海道釧路市にB-2は接近していた。北海道や東北地方の空軍基地からは万が一に備えて、89式戦闘爆撃機紫電改はスクランブル待機が行われていたが、この時のB-2はステルス能力が十分に発揮されていた。大日本帝国空軍の早期警戒レーダーが探知しスクランブルが命令された時には、既にB-2は釧路市上空に侵入。機体ナンバー82-1066、製造番号1001、パーソナルネームSpirit of Americaと呼ばれるB-2は釧路市上空で、威力可変型の水素爆弾で100キロトンに設定されていたB83核爆弾を16発投下。
大日本帝国は3度めの核攻撃を受けたのであった。そして人類史上初の水素爆弾が実戦投入された瞬間でもあった。
この後はどう書くか悩んでます。核攻撃ですからね‥




