戦略爆撃機迎撃
遂に偵察衛星がB-1爆撃機を捕捉した。捕捉地点はカムチャッカ半島南2000キロ地点であった。その地点から帝都東京までは約1500キロ。それにより空襲目標を帝都東京と断定した迎撃作戦は、予定通り実行に移される事になった。空中展開していた78式早期警戒管制機は、B-1爆撃機隊の捕捉地点方向へ1機が進出した。
捕捉情報を受けて首相官邸地下の危機管理センターにいる大泉総理は、迎撃作戦の実行許可を出した。これを受けてまずは空軍機による迎撃が行われる事になった。最初に投入されるのは88式戦闘機震電が選ばれた。第4次国防力整備計画で帝都防空用制空戦闘機として実用化されてから、帝都防空隊にしか配備されていない為に実戦に投入された事は無かった。しかし毎年硫黄島で行われる海軍空軍の合同模擬空戦演習では、85式艦上戦闘攻撃機烈風・89式戦闘爆撃機紫電改・84式戦闘攻撃機飛燕改を常に圧倒し撃墜判定を得ていた。実戦経験のある3機種を圧倒する事から、震電の能力はある意味で実証されていた。しかし空軍としては帝都防空用制空戦闘機として開発した震電を、ようやく実戦投入出来る時が来たと判断したのである。これにより空軍横田基地に所属する帝都防空隊に命令が下され、88式戦闘機震電が初の実戦の為に離陸した。
離陸した88式戦闘機震電隊は78式早期警戒管制機による、指示を受けた。B-1爆撃機は進路を北西に変更して回り込むように帝都を目指している事にが判明した。これを受けて震電隊は進路を変更せずに直進。B-1爆撃機の後ろから殴りかかる事にした。78式早期警戒管制機からはB-1爆撃機が、60機の編隊であると報告された。グアム島アンダーセン空軍基地に配備されて89式巡航ミサイルで破壊されたのが20機であり、アメリカ合衆国空軍は残るB-1爆撃機全てを投入した事が分かった。離陸した震電隊は30機であるが、制空戦闘機と戦略爆撃機の戦いである為に、勝負は目に見えていた。75式電子情報収集作戦機による猛烈なジャミングにより、B-1爆撃機は電子系統に異常を生じていた。
そこへ88式戦闘機震電は『99式空対空ミサイル』を発射。99式空対空ミサイルは大日本帝国の開発した最新の空対空ミサイルである。3年前の1999年に採用されたばかりで、誘導方式は初期から中間誘導は慣性誘導と発射母機からのデータリンクによる指令誘導、終末誘導にはミサイルに内蔵されたレーダーによるアクティブ・レーダー・ホーミングが用いられる。射程は150キロあり、マッハ5の速度を叩き出す。99式空対空ミサイルの特徴は、指令送信機、シーカー、近接信管などに特殊な変調方式を採用していることがあげられる。これにより99式空対空ミサイルは敵のレーダー・ミサイル警報装置に探知されることがなく攻撃可能である。この変調方式はFCSレーダーを使用した指令送信が不可能な為に99式空対空ミサイル運用のためには特殊な指令誘導装置が必要となる。また、送信機に旧来用いられてきた進行波管に代わり、小型高出力かつ安価なガリウム砒素半導体を用いたことによりロックオン性能と対ECM・クラッター性能が向上し、横行目標にも対応可能となっている。更に、慣性誘導装置に小型で応答特性の良好な光ファイバージャイロを搭載したことにより誘導性能が高くなっている。
もう一つの特徴としては指向性破片弾頭の装備があげられる。この方式では、近接信管が内蔵レーダーにより敵機の方向を正確に把握し集中的に攻撃を仕掛けるので、ただ破片をばら撒くだけであった従来の近接信管と比べるとより効率的に大きな攻撃力を与えることが可能である。アクティブレーダー誘導と指令・慣性誘導を併用し、指令・慣性誘導の必要ない射程であれば撃ち放し能力を持ち、ミサイルを発射後に誘導することも可能となった。世界各国の空軍が対航空機戦に主眼を置く為に、近接信管で弾頭を炸裂させればよいのに対し、大日本帝国空軍が求める99式空対空ミサイルでは、対艦ミサイルや対地巡航ミサイルの迎撃も重要視している。その為に発射後ロックオンの実現や、デュアル・スラスト・ロケットモーター(燃焼パターンを2段階に変化させるロケット・モーター)を採用し、世界各国が採用している空対空ミサイルと比べ弾体も大型となっている。これにより射程は倍近く延びており、アクティブレーダー信管と指向性弾頭により撃墜率も大きく上昇している。そんな99式空対空ミサイルに狙われたB-1はミサイル警報装置が探知する事が出来ずに、次々と撃墜されていった。
突然機体後方から飛んで来たミサイルにB-1爆撃機はパニック状態になった。ただでさえ75式電子情報収集作戦機のジャミングにより各種レーダーが不調な所へ、突然のミサイル攻撃である。何がおこったのか分からないままに、B-1爆撃機隊は西太平洋上空で全滅した。88式戦闘機震電の実戦は一方的な完全勝利となった。