大日本帝国空爆作戦
2002年8月10日アメリカ合衆国は大日本帝国本土への空爆作戦を開始した。
大泉総理のアメリカ合衆国降伏要求の72時間の猶予は、既に48時間が経過した。その間アメリカ合衆国は不気味な沈黙を続けていた。大統領の命令で大日本帝国への空爆作戦を実行する為だが、世界はアメリカ合衆国の沈黙を非難した。無意味な戦争を終わらせる絶好の好機だと世界は呼び掛けた。その筆頭に立ったのは、かつてピエロにされた国連事務総長であった。国連事務総長は大泉総理が講話会議の場所を、国連本部に指定した事を受けて殊の外喜んでいた。まだ国連は見捨てられていなかったのだ、そう国連事務総長は感じていた。積極的に和平合意の為に行動を始めた。しかしそんな中でも、イギリス・ポーランド・オーストラリアは艦隊の派遣を取り止める事無く、アメリカ合衆国を支持し続けた。その頑なまでの対米追従に、世界は呆れていた。
大日本帝国はその保有する偵察衛星を総動員して、アメリカ合衆国の動向を探り続けた。アメリカ合衆国と対立し仮想敵国となってから、大日本帝国はアメリカ合衆国向けの偵察衛星を大量に打ち上げた。太陽同期軌道をとるように打ち上げ、アメリカ合衆国全土を余すところなく偵察出来るようになっている。2時間に1回はアメリカ合衆国全土を偵察できるように軌道を周回するようにしており、その分大量の偵察衛星を必要としていた。偵察衛星は大日本帝国空軍の『帝国偵察局』が総合運用を行う。空軍の統合総長直轄組織で、偵察衛星のみならず偵察機の運用も統括している。収集した偵察情報は国防省外局の『帝国地理空間情報庁』に回され、詳細に分析される。その情報収集の観点から、I3・国防省国家安全保障局・帝国偵察局と密接に協力している。そんな高度な運用が行われている偵察衛星だが、アメリカ合衆国本土での空軍基地の活発な動きを捉えた。その兆候はホワイトマン空軍基地から見付かった。B-2ステルス爆撃機を運用出来る専用ハンガーを唯一保有するホワイトマン空軍基地は、偵察衛星では最重要偵察目標であった。もちろんアメリカ合衆国も大日本帝国の偵察衛星の存在は把握していたが、その密度を見誤っていた。その為にB-2の出撃準備を捉えられる結果となった。情報を入手した帝国偵察局はその他の空軍基地も念入りに調べあげた。するとB-52とB-1のみならず、空中給油機の出撃準備も行われている事が判明した。それら偵察衛星の情報を精査した結果、アメリカ合衆国は本土空襲を計画していると結論付け、首相官邸に情報を提出した。情報を受けて大泉総理地下の危機管理センターで、緊急の対策会議を招集した。
危機管理センターでの対策会議は開始直後に、帝国偵察局から更なる情報がもたらされた。アメリカ合衆国本土からB-2・B-52・B-1が出撃し、空中給油機も出撃したとの内容だった。これにより対策会議は中止となり、迎撃作戦を直ぐ様実行する事になった。アメリカ合衆国から大日本帝国までは約9000キロあり、それぞれの爆撃機の速度で到達までの時間に差があった。B-52とB-2は約時速1000キロで飛行し、B-1はマッハ1.25(約時速1500キロ)で飛行する。その為に本土上空への飛来はB-52とB-2は約9時間後、B-1は約6時間後と予想された。しかし空中給油が必要になる為に1時間は遅れる事が見込まれたので、B-1の飛来は約7時間後となった。飛来する時刻は夜になり、それを見越しての出撃であった。このアメリカ合衆国の空襲に、閣僚達は怒りを隠しきれなかった。72時間の猶予が切れる前に、攻撃を仕掛けてくるのである。バカにされたと思っても仕方なかった。
大泉総理は空襲を仕掛けてくる爆撃機は全て撃墜するように命令を下した。その為にはどんな手段を講じても良い、とまで断言した。命令を受けて、空軍は国内全土に位置する戦闘機を全て投入する事を決めた。空襲目標は帝都東京と断定し、西日本全域にある空軍基地から戦闘機を離陸させ東日本に集中させる事にした。78式早期警戒管制機は早々に離陸させて、関東東北沿いの太平洋上から警戒を行う事になった。更に帝国偵察局には西太平洋上の偵察衛星の情報を、重点的に収集するように命令が出た。爆撃機の早期発見が目的であった。そして更に空母決戦から帰国していた連合艦隊空母機動部隊にも命令が出た。連合艦隊空母機動部隊は最大速度30ノットが出せた。時速換算で約50キロの速度は硫黄島沖合から1000キロの距離を20時間で帰国出来る為に、既に各空母機動部隊は母港で補給を行っていた。そこへ国防省国家軍事指揮センターから85式艦上戦闘攻撃機烈風の発艦が、各空母機動部隊に命令された。それを受けて各空母機動部隊は85式艦上戦闘攻撃機烈風を発艦、東日本各地の空軍基地へ集結させた。
後はアメリカ合衆国空軍の戦略爆撃機を発見するのみとなった。