空母機動部隊派遣
大泉総理の記者会見は世界各国に生中継されていた。大日本帝国の覚悟が世界に示されたのだ。謂れの無い戦争に巻き込まれた大日本帝国は、初戦に於いて大勝利を収めた。歴史上稀に見る大勝利は、世界を驚かせた。あまりにも一方的な勝利は世界各国に、大日本帝国海軍連合艦隊空母機動部隊の強さを見せ付ける事になった。この空母決戦の勝利を経てロシア連邦・中華連邦・インド・タイが、自国の空母機動部隊を大日本帝国に派遣する事を決めた。大泉総理が72時間の猶予を与えて降伏を要求した事から、参戦では無くて派遣という形となった。インド海軍はヴィクラマーディティヤ(旧鳳翔)空母機動部隊を、タイ王国海軍はチャクリナルエベト(旧龍驤)空母機動部隊をそれぞれ派遣する事になった。かつて大日本帝国海軍連合艦隊が運用していた、鳳翔と龍驤が売却されてそれぞれの国で海軍の旗艦として生まれ変わった。しかし満載72000トンの大型空母はインドとタイには巨大過ぎた。その為に大日本帝国から売却された後は、連合艦隊から教官が派遣され教育が行われた。
タイ海軍はその国家規模から、チャクリナルエベトを空母機動部隊のみならず、海軍の主力としていた。タイ海軍が保有する全艦艇がチャクリナルエベト空母機動部隊に配備されており、タイ海軍=チャクリナルエベト空母機動部隊となっていた。大日本帝国が第4次国防力整備計画を終了した後にタイは近代化改修を依頼し、チャクリナルエベトは大日本帝国に帰国し近代化改修を受けている。機体も烈風と流星改に更新し、海防艦東京級を発注して空母機動部隊護衛艦艇を更新した。大日本帝国はタイの国家規模に合わせて、海軍整備の協力を行い、タイは東南アジア随一の海軍国となった。
インド海軍は国家規模が右肩上がりで発展を続けており、ヴィクラマーディティヤを購入して海軍の整備に力を入れていた。タイと同じく大日本帝国に近代化改修を依頼し、烈風と流星改に機体を更新。海防艦東京級とミサイル駆逐艦白露級を発注し、国産空母の開発も行っている。大日本帝国はインド洋での安全保障政策の観点から、インド海軍の整備に技術提供を始めとする数多くの協力をしていた。
中華連邦海軍は日中戦争で海軍が全滅してから全面的に、大日本帝国の協力を受けて海軍を再建していた。開き直りととれる行動は、ある種の潔さがあった。大日本帝国海軍連合艦隊のコピーとも言われる艦隊が整備されていった。大日本帝国の第4次国防力整備計画終了後に、海軍艦艇の大量発注を行い。正規空母鳳翔級を2隻、タイとインドに行った近代化改修をした上で新造艦として発注し、ミサイル打撃巡洋艦長門級とミサイル駆逐艦白露級を近代化改修した上で新造艦として発注した。海防艦東京級は新しい設計の為に、そのまま発注された。大日本帝国にすると少々煩わしい発注だが、安全保障政策に有利との政府判断から全ての発注を受け入れた。その結果鳳翔級2隻として『山東』と『福建』が竣工し、長門級・白露級・東京級も竣工し、中華連邦海軍は2個空母機動部隊を保有する事になった。そして大日本帝国に山東空母機動部隊を派遣する事になった。
ロシア連邦は『日露経済連携協定』と『日露相互防衛条約』締結により、海軍の近代化を強力に推し進めた。ロシア連邦は旧ソ連の時から海軍の水上戦闘艦は原子力巡洋艦やミサイル巡洋艦・駆逐艦を多数建造しており、海軍としての能力は高い方であった。ロシア連邦海軍の弱点は空母であった。旧ソ連が崩壊してから唯一保有していたアドミラルクズネツォフは、空母としての能力が圧倒的に低かった。蒸気カタパルトが実用化出来なかった為にスキージャンプ勾配としたが、そうなると兵装搭載量を減らさないといけない為に戦闘力が低下していた。それが大日本帝国との同盟関係により、大幅に変化する事になった。アドミラルクズネツォフは大日本帝国に回航され、徹底的な近代化改修を受ける事になった。スキージャンプ勾配は撤去され飛行甲板には蒸気カタパルトを新設、舷側エレベーターも耐荷重の向上した物に更新し、機関も新型に換装され速力も向上した。そして更にはかつて建造中止になったウリヤノフスク級原子力空母に変わる新型空母を大日本帝国に発注。大日本帝国はロシア連邦は空母の運用経験がある事から、正規空母翔鶴級を近代化改修した状態での建造を提案した。しかしロシア連邦政府と海軍は満載11万トンの空母は巨大すぎて、ドックや港が対応出来ないとして断った。これを受けて大日本帝国は正規空母翔鶴級を小型化した、90000トン空母に改設計して提案した。それをロシア連邦は受け入れ、2隻発注した。完成した空母は『ウリヤノフスク』と『ワリャーグ』と命名され、ロシア連邦海軍に編入された。空母機動部隊は3個編成可能となり、ウリヤノフスク空母機動部隊が大日本帝国に派遣された。
これにより大日本帝国は強力な援軍を迎える事になった。連合艦隊空母機動部隊も補給の為の帰国を急いでおり、大泉総理の要求した72時間の猶予は刻一刻と過ぎていた。