首脳会談
大泉総理により大日本帝国の方針は世界中に示された。アメリカ合衆国が武装解除要求を続けるのなら宣戦布告する。この単純明快な方針に世界各国は驚きを隠せずにいた。そんな中でも亜細亜条約機構加盟国はある種のパニックになっていた。大日本帝国が宣戦布告をして亜細亜条約第2条が適用されると、自衛権発動によりアメリカ合衆国と戦争状態になるのである。それに対して大泉総理は矢継ぎ早に電話会談を行い、亜細亜条約第2条適用は求めないと断言した。大泉総理は今回のアメリカ合衆国による挑戦に対しては、大日本帝国が真正面から対抗する事を明言し、亜細亜条約機構加盟国各国には迷惑をかけないと言い切った。ロシア連邦は日露相互防衛条約により参戦を明言したが、大泉総理は序盤は静観してほしいと要請した。日米戦争となればアメリカ合衆国海軍空母戦闘群と、連合艦隊空母機動部隊の激突から始まると予想されるので、その後の反撃から参戦してほしいと伝えた。その要請をロシア連邦は了承した。亜細亜条約機構加盟国の中で自ら日米戦争参戦を言い出したのは、中華連邦・インド・タイであった。その言葉に大泉総理は感銘を受けたが、迷惑をかけるわけにはいかないとして丁重に断った。しかし3ヶ国は大日本帝国への恩義を返す時だと、参戦を強く要請したのである。困り果てた大泉総理はロシア連邦と同じく、序盤の空母決戦以後の反撃からの参戦を提案した。その提案を3ヶ国は喜んで受け入れた。
翌日に行われた亜細亜条約機構緊急総会では、アメリカ合衆国の武装解除要求を激しく非難し大日本帝国の宣戦布告に賛同する決議を全会一致で採択した。大日本帝国大使は亜細亜条約第2条の適用は求めず、亜細亜条約機構加盟国には迷惑をかけないと、力強く言い切った。大日本帝国の方針に世界各国は感銘を受けた。アメリカ合衆国による理不尽な要求に、大日本帝国は1ヶ国で立ち向かう事を決意したのである。亜細亜・中東・アフリカ各国も大日本帝国の宣戦布告に賛同すると声高らかに発表した。南米各国もここに至り、大日本帝国に賛同し改めてアメリカ合衆国に武装解除要求を取り下げるように求めた。欧州の一部からも武装解除要求を取り下げるように求める声明が発表された。世界は極度の緊張状態にあった。軍事力と経済力が世界1位と世界2位である国が開戦前夜の事態にあるだ。
バチカンのローマ教皇も遂には極限状態にある世界情勢に、戦争回避の行動を取るように要請する声明を出した。国連事務総長も悪の枢軸発言の時にはピエロにされたが、今回ばかりは何を言われても引かない覚悟で行動を始めた。しかしローマ教皇や国連事務総長の行動にも関わらず、アメリカ合衆国は武装解除要求を取り下げなかった。しかも大々的に大日本帝国への武装解除要求を世界各国が同意するように要請する、とアメリカ合衆国大統領は言い切ったのだ。反日に固まっている国内世論は大統領の発言に称賛の声を送り、その全ての行動を支持した。アメリカ合衆国連邦議会も大日本帝国が武装解除要求を受け入れない場合は、武力行使を可能とする事を上下両院で圧倒的多数の賛成で承認した。
アメリカ合衆国の大日本帝国に対する武装解除要求に世界で最初に賛同したのは、イギリスであった。イギリス政府はかつて自分達がナチスドイツに対して行った、チェンバレン政権の宥和政策を引き合いに出して武装解除要求に賛同すると断言した。ナチスドイツに対する過ちを繰り返さない為にも、古い帝国は打倒されるべきだとも言ったのである。イギリス以外で賛同したのはポーランドとオーストラリアであった。南米各国は言うに及ばず、欧州各国もその大半が大日本帝国に対する武装解除要求に賛同しなかった。賛同する国が世界で3ヶ国しか無かったが、アメリカ合衆国は今後の作戦を検討するとの理由で首脳会談を呼び掛けた。
その呼び掛けに3ヶ国は応じ、2002年8月3日にアメリカ合衆国ニューヨークにて首脳会談が開かれた。その首脳会談にてアメリカ合衆国は大日本帝国に対する武装解除要求を突き付け、それを受け入れない場合の武力行使を提案した。3ヶ国はそれは武装解除とセットになるべきだ、として武力行使も支持した。嬉々として話し合う首脳達を前に、各国の軍関係者は頭を抱えていた。大日本帝国との戦争など考えたくも無かった。連合艦隊空母機動部隊と戦う事になる海軍関係者は、一様に自殺行為だと考えていた。しかし軍人たる者は、国家が戦うと決めた以上は戦うしか選択肢は無かった。陸軍関係者はある意味で楽観視していた。海軍と空軍が勝ってこその大日本帝国本土攻撃である。それは無理だと分かり切っていた為に、捉え方は楽であった。しかしそんな中でも軍関係者が一様に心配していたのは核兵器だった。通常兵器で勝てないとなると、核兵器を使用する危険性が大いにあったからである。戦争は回避しろ。それが首脳会談に参加した軍関係者全員の気持ちであった。