対策会議
政府で行われた会議を受けて、連合艦隊司令部では対策会議が開かれていた。連合艦隊司令部は1975年に返還された、アメリカ合衆国海軍横須賀基地の敷地内に新設されていた。国防省内の海軍軍令部は主として作戦立案・用兵の運用を行う。戦時は連合艦隊司令長官が海軍の指揮・展開を行うが、作戦目標は軍令部が立案するという役割分担があった。
連合艦隊司令部で開かれた会議には連合艦隊司令長官以下の幹部陣に加えて、軍令部総長も軍令部の幹部陣を引き連れて会議に参加していた。大日本帝国海軍の幹部陣勢揃いで開かれた会議は当然ながら、政府の会議にてアメリカ合衆国海軍の空母が太平洋に集結していた事の対策であった。情報が情報なだけに空軍からも、統合総長が偵察衛星を運用する部隊の幹部陣を連れて会議に参加。I3工作員が諜報活動の結果資金の流れが変わっているとの事から、I3長官も直々に幹部陣を引き連れて会議に参加していた。
空軍の偵察衛星がアメリカ合衆国の空母が太平洋に8隻も集中している事、I3の工作員がアメリカ合衆国内部で資金の流れが日米戦争の準備に向かっている事、政府での会議の話は連合艦隊司令部に共有された。全て情報を聞き終えた連合艦隊司令長官は、ただ一言断言した。『海戦は勝てる』この一言に軍令部総長と統合総長は安堵の表情を浮かべた。そして連合艦隊司令長官は、勝てる理由について話し始めた。湾岸戦争に於いて連合艦隊司令長官は、原子力空母大和の艦長として実戦経験があった。その時に感じたのはアメリカ合衆国海軍の打撃力の無さ、であった。空母戦闘群は確かに強大な戦力を有しているが、連合艦隊空母機動部隊に比べるとその差は大きく現れていた。空母の搭載兵装量で1.8倍も違い、空母艦載機はドクトリンの違いから制空戦闘機も搭載し空母としての攻撃力を相対的に下げていた。砂漠の嵐作戦でイラク陸軍戦力を徹底的に壊滅出来たのは、大日本帝国が湾岸戦争に参戦し連合艦隊が攻撃したからである。砂漠の嵐作戦第1段階の戦略的航空作戦で空母機動部隊の攻撃は徹底的に行われ、空母航空隊とミサイル打撃巡洋艦長門級による巡航ミサイル攻撃は圧倒的であった。第2段階の敵航空隊減殺、第3段階の敵地上部隊減殺に於いても空母機動部隊は攻撃の手を緩めなかった。
戦後の調査で第3段階の時点で目標であった敵地上部隊50%撃破は達成しており、イラク陸軍の活動が低調な理由となっていた。イラク陸軍最精鋭の共和国防衛隊も壊滅的な打撃を受けていた。その後の地上侵攻で多国籍軍が終始優位に戦いを進められたのは、空爆による被害が甚大であったからである。多国籍軍総指揮官でもあったアメリカ中央軍司令官が戦後に『連合艦隊の打撃力により作戦はスムーズに進んだ』と語る程であった。それは空母機動部隊の空襲も圧倒的な打撃力を誇ったが、ミサイル打撃巡洋艦長門級の巡航ミサイル攻撃も壮絶な破壊力を示した。多国籍軍総指揮官を務めたアメリカ中央軍司令官はアメリカ合衆国本土からアイオワ級戦艦を派遣するように要請していた。しかしアイオワ級戦艦よりも先に、連合艦隊空母機動部隊が展開しておりその中のミサイル打撃巡洋艦長門級に司令官は目をつけた。そして連合艦隊に要請し、アイオワ級戦艦がアメリカ合衆国本土から到達するまでに攻撃目標を破壊し尽くしたのである。アメリカ合衆国海軍の打撃力の無さは海軍長官が中心となって、湾岸戦争後に改革を行う事になった。
しかし10年経ったがアフガニスタン攻撃を分析するに、空母戦闘群の打撃力は20%しか向上していない事が判明している。F-14を退役させてF/A-18E/Fを前倒しで実用化した結果の向上率である。湾岸戦争でミサイルキャリアーとして一躍有名になったミサイル打撃巡洋艦長門級に、唯一対抗出来たかもしれないアイオワ級戦艦も退役させている。
しかも連合艦隊とアメリカ合衆国海軍の最大の違いは、大東亜戦争以後に海戦を経験している点でもあった。連合艦隊は敗戦後に復活してから、竹島奪還作戦と日中でそれぞれ海戦を経験していた。しかしアメリカ合衆国海軍は大東亜戦争で連合艦隊と死闘を繰り広げて以後は、海戦を経験していなかった。アメリカ合衆国海軍にとって空母は、地上空爆の為の兵器であった。この違いは大きく、実戦に於いても差は出ると、連合艦隊司令長官は断言した。
その言葉にI3長官は安堵しつつも、『実際問題として日米開戦となれば作戦はあるのか』と質問した。それについて連合艦隊司令長官は、『帝国国防方針を改訂しアメリカ合衆国を仮想敵国とした時から存在します』と答えた。そして日米開戦時に於ける連合艦隊の作戦を話し始めた。