泥沼化
アメリカ合衆国大統領による『悪の枢軸』発言で対立が深まる中、アフガニスタンで作戦を続ける陸軍部隊は被害が続出していた。アフガニスタンとパキスタンの国境にあるヒンドゥークシュ山脈を潜伏場所としたタリバーンとアーカイダは、パキスタンからのルートを通じて物資を補給して戦いを続けていた。タリバーンとアーカイダの幹部達はパキスタンのクエッタ郊外で堂々と生活しており、アメリカ合衆国はいずれは撤退するとも公言していた。アーカイダが中心になってアフガニスタン全土でゲリラ戦を展開しており、NATOの国際治安支援部隊は翻弄されていた。小規模で散発的な攻撃は死者こそ少ないが負傷者を確実に増やしており、NATO各国は増援部隊を派遣していた。そのような状況にありながらアメリカ合衆国はアフガニスタンに深入りする事を恐れて、少数の部隊しか派遣していなかった。更にはアフガニスタンの国家建設も各国の分担で行うことを主張し、アフガニスタン軍の再建は米国、警察の再建はドイツ、司法の再建はイタリア、麻薬取り締まりはイギリスに任せて、徹底的に役割を分担させた。
アメリカ合衆国はもはやタリバーンは打倒されアーカイダも壊滅したとして、大日本帝国との戦争準備を行っていた。しかし実態はそう甘くは無かった。アメリカ合衆国陸軍が行う掃討戦でアフガニスタンに潜伏するアーカイダは打撃を被ったが、パキスタンの連邦直轄部族地域に撤退していた。連邦直轄部族地域はパキスタンで最も辺境の地域と言われ、また憲法によって事実上現地の部族による自治が認められていた。そのためパキスタンの法律制度が行き渡っておらず、犯罪行為が横行しテロ組織や反政府武装勢力の温床となっていた。そこにアーカイダは撤退し部隊を再編すると、ヒンドゥークシュ山脈を潜伏場所として再びアフガニスタンで行動していた。
大日本帝国との戦争準備の為にアメリカ合衆国のアフガニスタンに対する予算は極めて少なく、援助を期待していた地方住民は大いに失望した。また少ない予算の中から学校の建設が行われたが、アフガニスタンの特に田舎では女学校の建設は社会の急進的な変化や欧米の価値観の押し付けとみなされ、一部の住民が反発した。治安の回復もまま成らず、地元住民の反発を招く行動に、アフガニスタン統治は順調とは言えなかった。事態を重く見たアメリカ合衆国はカーブルにおいて緊急ロヤ・ジルガを招集。会議の結果、暫定行政機構に代わり、大統領を首班とするアフガニスタン・イスラム移行政府が成立した。しかしそれでもアフガニスタン統治は困難を極め、終わること無き掃討戦が延々と続いていた。
大日本帝国はアメリカ合衆国の真意を測りかねていた。『悪の枢軸』発言は当初は国内へ向けた反日キャンペーンの一環だと考えられた。しかしながらアメリカ合衆国の行動は着実に日米開戦へと向かっている事が判明した。I3が潜伏させている工作員による諜報活動の結果は具体的な準備を表していた。資金の流れは大日本帝国との戦争準備に使われ、アメリカ合衆国国内では軍の再編が行われていた。それらはテロリストを相手にするとは思えない、正規軍を相手にした部隊編成となっていた。日米戦争で主力となる海軍は大規模に再編されており、偵察衛星は空母戦闘群が多数太平洋に集結しているのを捉えており、それは何よりの証拠でもあった。
資金の流れは大規模に変化しており、アフガニスタンへ活用される民生費や陸軍の予算がかなりの割合で削減され、日米戦争の準備に回されていた。アフガニスタンでは掃討戦に移行した為の判断だが、国際治安支援部隊に参加するNATO各国の財政負担は増大していた。アメリカ合衆国からの予算は減少しており、治安の悪化により部隊は増派された。財政負担は増えるばかりで、減ることは無かった。
アメリカ合衆国海軍は空母を11隻保有していた。通常動力空母キティホーク級が2隻(キティホーク、ジョン・F・ケネディ)、原子力空母エンタープライズ、原子力空母ニミッツ級が8隻(ニミッツ、ドワイト・D・アイゼンハワー、カール・ヴィンソン、セオドア・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン、ジョージ・ワシントン、ジョン・C・ステニス、ハリー・S・トルーマン)であった。ニミッツ級のドワイト・D・アイゼンハワーは、船体切断を伴う2〜3年掛かりの大工事である燃料交換・大規模整備 (Refueling and Complex OverHaul, RCOH) を実施していた。大西洋担当の第2艦隊に配備されている、キティホーク級ジョン・F・ケネディとニミッツ級セオドア・ルーズベルト以外の合計8隻が、太平洋に集結していた。
問題はいつアメリカ合衆国が戦争を仕掛けてくるか、この一言に尽きた。しかも核保有国同士の戦争である。かつての日中戦争は大日本帝国による一方的な勝利で中国国内で内乱となり、核兵器については使う暇も無かった。しかし再び日米戦争となれば、核兵器が使用されないという保証は無かった。
大日本帝国は大東亜戦争に続いて再び、アメリカ合衆国により戦争に巻き込まれようとしていたのだ。