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新世紀日米戦争  作者: 007
第2章 テロとの戦い
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安定化への道

アメリカ合衆国で巻き起こった猛烈な反日キャンペーンは、その規模から世界中で報道された。それは大日本帝国が大使館と総領事館を引き揚げると発表するに至り、更なる盛り上がりをみせた。

大日本帝国は発表後にすぐ様、空軍輸送機をアメリカ合衆国に派遣。大使館と総領事館の引き揚げを通達されたアメリカ合衆国は、州兵を動員して大使館と総領事館の全ての職員を空港もしくは空軍基地に送り届けると約束した。反日キャンペーンは政府主導のマスコミ誘導で展開されていたが、現状で大日本帝国外交官に危害が加えられるのは避けたかったアメリカ合衆国政府は、大使館と総領事館全てを警察とFBIに護衛させていた。

アメリカ合衆国の協力により大使館と総領事館職員は全員が空軍輸送機に乗り込み帰国した。これによりアメリカ合衆国から日本人はいなくなる事になった。1998年3月の対日強硬派大統領による大日本帝国資本凍結により、アメリカ合衆国に進出していた企業は政府主導で総引き揚げを行った。大日本帝国政府が亜細亜各国やロシア連邦へ企業を移転するのに必要な金額を全て補填し、当初の計画以上の早さでアメリカ合衆国から企業は引き揚げた。打撃を被るとされたトヨタ自動車を筆頭とする自動車メーカーは、亜細亜各国やロシア連邦への移転が順調に進み好調な売上を記録した。人口規模や今後の経済発展を考えると、亜細亜・ロシア市場は拡大を続ける為に更に需要が高まると予想されていた。

進出企業の総引き揚げ以後大日本帝国外務省は、アメリカ合衆国に対する危険情報を『レベル2・不要不急の渡航は止めて下さい』とした。この外務省による危険情報により、アメリカ合衆国への旅行客は著しく減少した。その危険情報は911テロ以後に『レベル4・退避して下さい、渡航は止めて下さい』へと引き上げられた。旅行客は危険情報の引き上げにより続々と帰国し、反日キャンペーン開始前には事実上アメリカ旅行は行われなくなっていた。そして今回の反日キャンペーンによる大使館と総領事館総引き揚げに伴い、大日本帝国外務省は危険情報を『レベル5・渡航禁止』とした。大日本帝国による大使館と総領事館総引き揚げ後、アメリカ合衆国政府は反日キャンペーンのギアを更に上げた。連日マスコミを使って国民感情を反日へと誘導した。


そのような反日キャンペーンが続いている中、2001年11月末にドイツのボン近郊のケーニヒスヴィンターにおいて北部同盟を含むアフガニスタンの4つのグループの代表をアメリカ合衆国が招集して会議が開かれた。会議には更に北大西洋条約機構・欧州連合・米州機構も参加し、改めてアメリカ合衆国が国連を蔑ろにしている事が浮き彫りになった。

ボン会合当時タリバーンとの戦闘は継続していたが、すでに北部同盟軍がカーブルを占領。タリバーンは弱体化しリーダーもパキスタンへ逃亡し、アフガニスタン全土の支配権は不安定であった。その為に早急な暫定政府設立による支配権の確立と、国際的な部隊による治安維持を決める必要が生じた。これにより急遽、ボン会議が招集されることとなったのである。会議は円滑に進み、暫定政府の成立、ロヤ・ジルガ(パシュトー語で大会議を意味する。何世紀もの間、ロヤ・ジルガは、アフガニスタンにおいて、新国王を選出し、憲法を採択し、その他の重要な政治問題を解決するために召集された。)の招集、国際治安支援部隊の成立とアフガニスタン支援ミッションの設立が合意され、翌日アメリカ合衆国連邦議会・北大西洋条約機構理事会・欧州連合理事会・米州機構理事会において承認された。これをボン合意といい、以降のアフガニスタン復興計画のスタートとなった。しかし、タリバーンはボン合意に参加しておらず、またボン合意に基づき成立される予定の暫定政府にタジク人が多かった為に、パシュトゥン人の不満が高まり、タリバーンが復活する一因となった。

このボン合意に大日本帝国は非難声明を出した。タリバーンを排除してのボン合意は早晩破綻すると警告し、タジク人を優遇しパシュトゥン人を冷遇する暫定政府ではアフガニスタンは安定しないと言い切った。そして、国連を蔑ろにして自分達だけの組織で全てが賄える筈は無く、復興支援もまともに行えず結果的にアフガニスタンは復興出来ないと断言した。この大日本帝国による非難声明に対して、亜細亜・アフリカ・中東各国は賛同した。

この非難声明によりアメリカ合衆国は逆恨みし、国内での反日キャンペーンを更に強化した。だが遂にヨーロッパや南米の一部から、何故に国連を中心としないのかとの声が出始めた。これにはアメリカ合衆国も想定外であった為に、対応に追われることになった。

事態は安定する事なく不安定な状態のままに、2001年12月からNATOを中心に国際治安支援部隊とアフガニスタン支援ミッションが任務を開始。そして2001年12月22日には暫定政府であるアフガニスタン暫定行政機構が成立した。

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