地上侵攻
2001年11月1日
アメリカ合衆国を中心とした有志連合諸国による報復攻撃から約1ヶ月が経過した。アフガニスタンへは断続的に空爆とミサイル攻撃が続けられ、アフガニスタンの軍事施設は完全に破壊されていた。その間にアメリカ合衆国は活発な外交交渉を行っていた。
サウジアラビアは日米関係が悪化して以後も中東諸国ではイスラエル・クウェート・パキスタンと並んで、アメリカ合衆国と友好関係を続ける国であった。その為にアフガニスタン攻撃に於いて有志連合諸国が派遣した空軍部隊を受け入れ、アフガニスタン攻撃への重要な後方基地として利用されていた。
更にアメリカ合衆国はソ連崩壊後、永世中立国となっていたトルクメニスタンに外交交渉を行った。トルクメニスタンはソ連崩壊後、国連以外のあらゆる国家連合体に加盟しないとして永世中立国宣言を行った。そのトルクメニスタンにアメリカ合衆国は、アフガニスタン攻撃の為の軍事協力を求めた。具体的には地上部隊駐留の駐屯地の新設、後方兵站基地としての鉄道の利用、空軍部隊進出の為に空軍基地と空港の借用であった。当然ながらトルクメニスタンは永世中立国宣言を理由に断った。しかもトルクメニスタンの永世中立国宣言は1995年に国連総会で承認され、国際的な承認を得るという自称では無い公的な宣言であった。
そこでアメリカ合衆国は経済援助を申し出た。トルクメニスタン経済は天然ガスと石油輸出に支えられていた。輸出額の9割に達する為に、極端な迄に資源輸出に偏った経済であった。その他産業基盤は旧ソ連時代からの国営企業による体制の為に、旧態依然とした効率性の悪さが目立ち改革が求められていた。それに目をつけたアメリカ合衆国は、資源依存経済からの脱却と産業体制の改革という経済援助を申し出たのだ。トルクメニスタンは政府内で話し合い、アメリカ合衆国の提案を受け入れた。中長期的には資源依存経済からの脱却は必要な為に、今から産業体制を改革し基盤を整えるのが国の為になると判断した結果であった。これによりトルクメニスタンはアメリカ合衆国からの経済援助を受け入れ、引き換えに永世中立国宣言を放棄しアメリカ合衆国に軍事協力する事を世界に表明した。
そしてその表明を受け、アメリカ合衆国は陸軍・空軍・海兵隊の部隊をトルクメニスタンに派遣し、有志連合諸国も部隊を派遣した。拠点を確保した有志連合諸国は着々と地上部隊を増派し、地上侵攻の準備を整えた。アフガニスタン国内ではアメリカ合衆国特殊部隊が北部同盟に接触して、有志連合諸国との地上侵攻に連動した攻勢準備を行っていた。輸送機による空輸で有志連合諸国の全面的支援を受けた北部同盟は、装備面で見違えるように強力になった。
以上の準備は10月中には完了。そして2001年11月1日に有志連合諸国と北部同盟による地上侵攻が開始された。最初の目標は北部同盟がマジャーリシャリフの制圧、有志連合諸国がヘラートの制圧ではあった。アラビア海に展開する海軍は支援攻撃を開始し、サウジアラビアとトルクメニスタンに展開する空軍も支援攻撃を行った。湾岸戦争以来の大規模な陸軍部隊による侵攻は、アフガニスタン相手には過剰投入であった。そもそもが1ヶ国相手に、有志連合諸国という集団で戦争を仕掛けているから当然であろう。
兵器にも差が大きく、アフガニスタン軍の保有する兵器は有志連合諸国の攻撃に一方的に破壊された。緒戦に於いて有志連合諸国が投入した兵力は圧倒的で、航空優勢は有志連合諸国が握っていた。その為に序盤の目標の2都市は短期間で制圧可能と考えられた。