帝国安全保障
2001年9月23日
カルト集団の残党とされた危険人物が逮捕死刑にされてから2日が経過した。戒厳令も無期限で延長され憲兵隊と警察による更なる捜査が行われていた。その間にI3の情報で逮捕死刑にされたのは、3人である。その他に国防省国家安全保障局からの情報で、1人が逮捕死刑になっている。大日本帝国史上最悪のテロという事もあり、国民は政府の対応を支持していた。更に大泉政権の支持率は過去最高を更新した。
大日本帝国はこのように安定していたが、世界は違っていた。アメリカ合衆国は連邦議会に於いてテロを計画、承認、実行、支援したと大統領が判断した国家、組織、個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与えるとする合同決議が上院98対0、下院420対1で可決。着々と国家としての方針を固め、国防長官はアフガニスタンの北部同盟と共同して軍事作戦に当たることを発表していた。また欧州連合外相会議も全会一致で攻撃を支持した。南米各国も米州機構臨時首脳会議で全会一致で攻撃を支持した。これからも分かるようにもはや国連は形骸化しており、アメリカ合衆国は911テロ発生後から国連を無視して行動していた。その行動にヨーロッパと南米は同調し、アメリカ合衆国の行動のみを支持。アメリカ合衆国の後援団体に成り下がっていた。
その行動に亜細亜・中東・アフリカ諸国は非難を繰り返していたが、大泉総理が個別に各国と電話会談を行い止めさせていた。テロとの戦いを支持しある程度アメリカ合衆国と距離を取る事を決めたので、もはや相手にせずに自由にさせてあげるべき。そう大泉総理は電話会談で亜細亜・中東・アフリカ諸国首脳に伝えた。亜細亜条約機構加盟国には既に方針が伝えられていた為に、静観していた。これによりアメリカ合衆国側の国々は騒ぎ立てていたが、大日本帝国側の国々は不気味な程の静観をするようになった。
大日本帝国は戒厳令により憲兵隊は警察と共同で帝国全土を捜査しており、I3をはじめとする情報機関の協力により迅速に活動出来ていた。また戒厳令発令により陸軍部隊が帝国全土に展開し、更なるテロに警戒していた。陸軍だけで無く、空軍も戒厳令発令により警戒行動を強めていた。常時89式戦闘爆撃機紫電改と84式戦闘攻撃機飛燕改を戦闘空中哨戒させており、帝都防空の88式戦闘機震電ですらも戦闘空中哨戒を行っていた。これは前回の戒厳令でも行われておらず、今回の戒厳令が戦時状態と同じであるとマスコミは報じていた。海軍連合艦隊も戒厳令発令により、哨戒活動を実施している。
大日本帝国の安全保障政策は敗戦後の再軍備から、一貫した大方針があった。『海軍優先』である。大東亜戦争での敗戦は、海軍が壊滅した事に理由があると結論付け、島国である大日本帝国は何にもまして海軍を優先させるべきだとの方針を決めた。再軍備に際して正規空母エセックス級2隻と軽空母インディペンデンス級1隻の譲渡を受け、一躍大日本帝国海軍は東亜細亜最大の海軍国となった。第1次国防力整備計画で近代化改修を行い、第2次国防力整備計画では敗戦後悲願の国産空母鳳翔級鳳翔・龍驤を建造した。鳳翔級は満載排水量72000トンもあり、アメリカ合衆国海軍のキティホーク級に迫る大型空母であった。イギリス海軍のオーディシャス級空母を上回り、世界で2番目に大きな空母となった。鳳翔級の建造にアメリカ合衆国は衝撃を受けた。敗戦から20年も経たずにキティホーク級とほぼ同じ空母を建造したからだ。
その衝撃は第3次国防力整備計画でも続いた。軍艦史上初の満載排水量10万トンを超える翔鶴級が建造されたからだ。しかも建造されたのが呉・佐世保・横浜の3箇所の造船所で行われたのも衝撃を受けていた。超大型空母を建造出来るだけの能力があるだけで無く、それを複数箇所で同時に建造出来ていたからである。その衝撃は第4次国防力整備計画で大和級が建造されると、ある種のパニックに変化していた。原子力空母の大和級も呉・佐世保・横浜の3箇所で建造されたからである。アメリカ合衆国は原子力空母ニミッツ級を唯一ニューポート・ニューズ造船所で建造している。それが満載排水量13万トンの超大型原子力空母を3箇所で建造出来る能力にアメリカ合衆国はパニックとなっていた。
独自のドクトリンにより世界最大の超大型原子力空母大和級を建造した連合艦隊は、翔鶴級と合わせて6隻の超大型空母を保有する事になった。世界でアメリカ合衆国海軍に次ぐ空母保有数を誇り、空母自体の攻撃力でいえば世界最強といわれていた。それは日米のドクトリンの違いによった。大日本帝国海軍が極端なまでに艦隊防空を水上艦に任せてしまい、空母艦載機の大半を攻撃的任務に投入可能なものとしていたのに比べ、アメリカ合衆国海軍の空母は艦隊の全てを守りその上で攻撃にも使おうとした事から、攻撃力と言う点で大日本帝国海軍の空母と比べるとかなり低いレベルでしかなかった。単純に空母の艦載機用兵装搭載量比較で大日本帝国が1.8倍もあった。その攻撃力の差が如実に表れたのが湾岸戦争に於いてだ。自らの空母のあまりの攻撃力の低さにアメリカ合衆国海軍を慌てさせる事になる。しかも大日本帝国海軍が伝統的に命中率にも異常にこだわり、派遣されていた航空集団の中でもっとも兵器のスマート化と大威力化が進んでいた事は、攻撃力の違いをより一層大きくしていた。
要するにこの戦いまでの空母とは、大日本帝国海軍にとって長い槍であり続けそれ故徹底的に磨き上げ、アメリカ合衆国海軍にとってはありとあらゆる用途に使える万能銃であったと言うことだろう。この基本的な考え方の違いがこの差をもたらしたのだ。これによりアメリカ合衆国海軍はF/A-18E/Fの実用化が前倒しされ、F-14の退役が早まるという事態になった。しかし艦体規模の差から兵装搭載量は如何ともし難い為に、随伴する補給艦を増やすという場当たり的な対応をしている。
その為に湾岸戦争以後世界最大の海軍はアメリカ合衆国だが、世界最強の海軍は大日本帝国だと認識されるようになった。口の悪い者はアメリカ合衆国海軍は規模だけが肥大化している絶滅間際の恐竜だと酷評している。実際に現実を目の当たりにしたアメリカ合衆国海軍はその事に反論する事なく、海軍版湾岸戦争症候群とも呼べるパニック状態になっていた。