戒光
田森の葬式が、終った。
それから、数日間は、あの老人との奇妙な会話が、ずっと頭にあった。
でも、僕は、日々の生活に、自分の生活に戻っていた。
今となっては、思うのだ。
あの老人との、やり取りは、僕の幻覚や幻聴だったのではないかと。
僕が、あの日、田森の死を知り、もう田森がいないという事実だけが、確かだった。
それが、僕の現実だ。
よくよく、僕が思うに、人が自分で限界まで、やっている!という言葉には、測る物差しがない。
つまり、僕が努力している!と言って具体的に誰かに話したら、
「それは、すごい努力だ!」
と、言う人もいれば、
「そんなの努力しているうちに、入らないよ」
と、言う人もいるだろう。
結局のところ、人間は、自分のことは、自分で一番分かっているはずなんだ。
それを、誰かが、何かの基準で測ることなんて、そもそも不可能な話だ。
田森は亡くなった。
僕は、生きている。
その事実だけが、何度も思うが確実なことだ。
もうすぐ、妻が出産する。
子どもが生まれたら、守らなければならない。
そして、ずっと見ていこうと思う。
僕の子どもが何かを頑張ろうとする時、どのくらいのことを、やろうとするのかが無性に知りたい。
今、産婦人科で、妻は定期検診中だ。
お、出てきた。
おい、走ってくるなよ、転ぶぞ・・
その途端、何かに躓いて、転びそうになった。
しかし、それを、近くにいた人がいた、かろうじで、受け止めた。
「大丈夫ですか?」
そう言って、妻は、
「大丈夫です、ありがとうございます!」
と礼を言う。
足早に、去る、その人を僕は、追いかけて言った。
「今の、本当に、ありがとうございます!」
その声に振り向かず、その人は産婦人科を出ていく。
「もし、俺が誰かを助けたら、俺が困った時に、助けてもらえるかもしれないだろう?・・北田!」
そう言う声は、何処かで聞いたことのある声だ。
僕は、走って、その人の後を追う。
振り向くと、その人は言った。
「北田、お前が、あの時に泣いてくれて、俺は、救われたんだ。俺は、救われたんだよ。お前に・・」
その瞬間、人の影すら、どこにも見当たらない外に僕は、立っていた。
(終わり)




