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「――通太ぁ、通太ぁ、ごはんよ」
通太の母親が彼の部屋の前で大声を出している。
「あは、ううん。はい、はあい」
そう返事をすると、通太はベッドからゆっくり起き上がり、目を瞬かせながら部屋を出た。
通太が食卓に行くと、母親は席に座りテレビを見ながら息子が席に着くのを待っていた。
「お父さんは今日も遅いの?」
通太は席に着くなり母親に尋ねた。
「ええ、今日も残業でしょうね。さあ、食べましょ」
と通太の母親は、おかずのハンバーグに箸をつけた。
通太も夕食を食べ始めた。
大体の平日は、通太は母親と二人で夕食をとる。通太に兄弟はいない。父親が毎日のように残業で帰宅が遅くなり、必然的に二人で食べることが多くなるのだ。
「寝てたの?」
母親が通太に聞いた。
「うん」
ポツリと答える通太。
「珍しいわね」
「そう?」
「今まで学校から帰ってきて夕食まで寝てるってなかったんじゃないの?」
「あったよ」
「あら、そお?」
母親はお茶を飲み、再びおかずに箸をのばす。
「今日学校から帰ってくるの遅かったわね」
「ん? そうだったかな?」
「学校で何かしてたの?」
「別に何もしてないよ」
それから二人は特に会話もすることなく、テレビを見ながら黙々と、夕食を食べ続けた。
その最中、階段下にある通太の自宅の電話が鳴った。
母親はテーブルに箸を置き電話口へと向かった。
通太は、玉子スープをすすりながらテレビを見ている。
「通太、電話よぉ」
通太は、口の中にあった玉子スープを飲み込むと
「はーい」
と、返事をした。
しかし同時に
(?)
と頭の中に疑問符が出てきた。
(僕に電話? 誰?)
通太がそう思うのも無理はない。彼に対して電話がかかってくるなんてここ最近ないことだった。通太が記憶しているところで最後に彼にかかってきた電話の相手は、小学校六年の時一緒のクラスだった毛利くんだった。電話の内容は、算数の宿題はどこのページをすればよかったのかという質問で、特に仲も良くなかった僕のところへなぜ? という不思議な思いが彼の脳裏に、まだ残っていた。
通太は、いぶかりながら電話口へと歩みを進めた。
受話器を持つ母親に通太は、
「誰から?」
と尋ねた。
「女の子よ。一波さんって名のってたわ」
「い、一波?」
通太は、母親が持つ受話器を取ろうとしていたが手を引っ込めた。
通太のその行動を見て、彼の母親は、
「はい」
と、通太に受話器を押し付けた。
母親はその場を立ち去り、受話器を押し付けられた通太は、それを見つめて固まっていた。
自分に電話がかかってきたということにも驚いたが、その電話の相手が一波綾乃だということで、通太の驚きは、より強いものとなっていた。
(一波さんが僕に電話?)
通太は、一度耳に受話器をあてたが、すぐにそれを離した。
とりあえず深呼吸をして、うん、と頷くと、再び受話器を耳にした。
「あ、もしもし稀川ですが」
「知ってるわよ」
と厳しい口調が返ってきた。声は間違いなく一波綾乃である。
「早く電話に出なさいよ、どれだけ待たすき」
「すみません」
通太は、素直に謝った。
「あのお、それで……」
「六組よ」
「えっ?」
「言ったからね」
「あの、何を?」
「六組よ、笹山露子のクラス」
「あ!」
通太は、驚嘆の声を上げた。
「そのかわり、笹山露子にストーカー行為みたいなことしたら承知しないわよ」
「そ、そんなことしません」
「どうだか」
「とにかく、ありがとうございます!」
と、通太が感謝の言葉を述べた時には、既に電話は切られ、
プープープー、
と受話器から電子音が虚しく響いていただけだった。
だが、そんな虚しい受話器からの音とは対照的に、通太の体は喜びの鼓動で躍動していた。
と同時に通太の中では、何で一波綾乃は、自分の家の電話番号を知っているのかということと、なぜささやまろこのクラスを教えてくれたのだろうという疑問が湧いてきたのだがそれらの疑問もすぐに彼の歓喜の心に押しつぶされた。
受話器を置いた通太は、満面の笑みを浮かべながらテーブルに戻った。
席に着いた通太の表情を見て、彼の母親は二度見した。
「どうしたの?」
「えっ、何が?」
「笑ってるわよ?」
「誰が?」
「通太がよ」
「笑ってないよ」
そういう通太だが、さっきほどではないが、顔はまだ微笑んでいる。
「一波?」
突然、何かを思い出したのか、母親が口にした。
「一波って、通太が小学校五年生か、六年生の時いっしょのクラスだった、あの一波さん?」
「うん」
「ああ、あの可愛いらしい子ね。その子が何で電話を?」
「今、いっしょのクラスでね。ちょっと……」
「ちょっと、何?」
「何でもいいじゃないか。ごちそうさま」
と、通太は、自分の使ったお皿やコップを台所の流しに持って行くとそのまま自分の部屋へと向かった。
その一連の通太の動きを、彼の母親は目で追って、その姿が見えなくなるとふと、あの子と会話らしい会話したの久しぶりだなぁ、と食卓で一人思った。