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シンクロナイズド  作者: 響野旬悟
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 稀川通太まれかわつうたが舞峰南高校に入学して二カ月が経った。

 その頃になると彼の学校の過ごし方には、ある種のリズムが出来ていた。

 授業→ 十分休憩の時、寝る。授業→ 十分休憩の時、寝る。授業→ 十分休憩の時、寝る、と、十分休憩の時の彼は、立てば猫背もやしと揶揄される体を小さくして机に突っ伏し、両腕で頭を囲んで寝るということを習慣にしていた。

 寝ると記したが、これは正確な表現ではないだろう。やることがないから俯いている、これが正確な表現か。もっとも、本当に眠たくて寝ている時もあるが……。

 そんな通太が机に突っ伏して俯いている間、他の生徒は、友達と喋ったり、他のクラスの友達のところへ行ったりして、たった十分間の休憩を満喫している。

 通太にはそんなことをする親しい友人がいなかった。

 高校入学したての頃は、一緒のクラスの何人かが彼に喋りかけてきたが、通太の無感動な対応に、こいつとは疎通できないと、誰も近寄らなくなった。

 で、今もまさに俯く行為をしている通太が一年五組の教室にあった。

二時限目の数学の授業がさっき終わり、終わると同時に通太は机に突っ伏した。

 彼の左斜め後ろの窓側の席では、三人の女子が、きゃっきゃきゃっきゃ言いながら騒いでいて、一方、通太の席の列の最後部には二人の男子が、昨日あった格闘テレビ番組の話で盛り上がっていた。他の場所でもそのようなことが繰り広げられている。

 いわゆる、教室の中は賑やかであった。

 そんな喧騒の中で通太だけ俯き、次の授業が始まるのを待っていた。

 当初、この通太の俯きを周りの生徒は、「なんかこいつ、いつもこんなことしてるよな」とか「このこ暗いね」「気持ち悪い」などの陰口をたたき、偏見の目で見ていたが、今ではそうゆうこともなく、いつもの日常の光景として誰も気にも留めなくなっていた。

 通太も黙然とその十分間をいつも過ごしていた。

 はたから見ればだが……。

 机に俯いている彼の内面では凄まじいほどの感情のうねりがいつも起こっていた。

 それは、(やっぱり、変なやつと思われているだろうなぁ)(周りの人に暗い人間と認識されてるんだろうな)などであり、通太は、奇しくも目を閉じた暗闇の中で他人から自分がどう思われているか色々考えていたのだ。

 さきに、通太が高校入学したての頃、何人かが彼に喋りかけてきて、彼の無感動な対応に、嫌気をさし、離れていったと書いたが、それは素の彼の受け答えで別に通太自身、冷めているだとか、相手に対して無反応ということではなく、その表現方法自体が彼自身なのだ。

 しかも致命的なことに彼は極度の受け身人間で、自分から人と交流を深めていこうという行動力も無く、自然に孤立していったのだ。

 ある種、自業自得の成り行きに、彼は一人苦しんでいた。

 もっと自分から人に打ち解けていきたい、楽しい学校生活を送りたい、通太は日々そういう思いで一日一日を過ごしていた。

 今も悶々と机に俯き暗闇の中で思いを巡らせていた。

 そんな時、

 「おい」

 という男の声が通太の耳に響いた。

 とても野太い、しっかりした声だ。

 だが通太は、誰も自分になんか声をかけてくるはずはない、誰かが他の誰かに声をかけているんだと思い、そのまま机に顔を伏せていた。

 伏せつつ、額を乗せている右腕が痺れてきたので左腕に額を乗せなおした。

 額を乗せなおし、ややあってまた、

 「おい」

 と通太の耳に誰かの呼び声が聞こえた。

 さすがに気になり通太は机から顔を上げた。

 周りを見渡したが、相変わらず窓側の席では女子が甲高い声を出し喋っていて、そこからさらに上半身をまわし真後ろを見ても、三席あけた向こうで男子二人が会話に熱中していて、声をかけられた気配は見えない。その他の生徒も各々が友達との会話に集中していて、彼には目もくれないでいた。

 通太は首を傾げ、再び机に顔を伏せ目を閉じた。

 「おれだ」

 三度目の声がした。

 机に伏せた姿勢のままパチリと目だけをあける通太。汗がブワっと頭皮から噴き出る。

 (誰だ?)

 明らかに自分に呼びかけている声と認識した通太は、意識を集中し思案した。

 声はすぐ近くでしている。自分の知っている声ではない。誰? いたずら? 気のせい?

 いや、確かに聞こえている。あれこれ考え込んでいる彼の目の前には、机と腕の隙から入り込んだ淡い光に照らし出されているこげ茶色の机がある。

 「そう、それがおれ」

 「えっ」

 「いまおまえがみているのがおれ」

 「つ、机?」

 「そうだ」

 空気をおもいっきり鼻から吸い込んだ通太は電撃的に仰天し、おもわず席からけたたましく立ち上がると凄まじい音を立てながら今座っていた椅子ごと後ろにたじろいだ。

 一瞬にして教室内は静まりかえり、教室にいた生徒全員が通太に注目した。

 通太は呆然と今自分が突っ伏していた机を見ている。彼の今の動きによって通太の真後ろにあった机は列からはみ出、その押された衝撃で、机の中にあった筆箱、教科書、ノートの幾冊かが床に落ちていた。

 「なに?」

 「どうしたの?」

 通太の突然の挙動に面食らった教室内の生徒たちは、じっと通太を見つめたまま思い思いに口を開いた。

 そんな時、トイレに行っていた通太の真後ろの席に座る盛奥寛治という男子生徒が、教室に帰ってきた。盛奥は教室に入るなり、教室内の変な空気を察知して、

 「なんかあったの?」

 と、近くにいた丸刈り頭の男子生徒に尋ねた。

 「いや、あれ」

 丸刈り頭の男子生徒が指さす方を見ると、稀川通太がぼうと立っている。

 「なにやってんのあいつ―――あ! 俺の席っ」

 自分の席が通路にはみ出ししかも自分の筆箱、教科書、ノートが床に落ちているのに気づいた盛奥は、席に駆け寄った。彼が通路にはみ出た机を見ると、通太が後ずさりしたことによってそれが押し出されたということがありありとわかった。

 「おまえか、稀川! おまえがこれやったんやろ!」

 盛奥は通太にむかって大声で怒鳴った。

 通太はその大声が聞こえないのか、ぴくりとも動かず一点を見つめその場にじっと立っている。

 通太の無反応に、さらに憤った盛奥は、通太の肩を掴むと自分の方にむかせ、

 「おまえがこれやったんちゃうんかっ」

 と通太を睨みつけた。

 「えっ、えっ?」

 目の前に盛奥がいることは認識したような通太だったが、それでもまだ現状がよくわかっていないようだった。

 「えってなんや。これおまえがやったんちゃうんかって聞いとるんや!」

 盛奥が一瞬目線を送ったところを見ると、通太の真後ろの席が通路にはみ出ていて、その机から飛び出たであろう筆箱や教科書が床に散乱していた。

 「あ……あ、うん、そう、これ僕のせいでこうなった……と思う」

 「ほんじゃ早よなおせや!」

 言われるがまま通太は席を元に戻し、教科書ノートを机の中にしまうと、盛奥に謝り、自分の席に着いた。

 「なんやこいつ、キモイのお」

 そういうと盛奥はその場を離れ、教室の後方にたむろする自分の仲間たちの輪の中に入っていった。

 「なにがあったんや?」

 盛奥は、グループの一人に聞いた。

 「いやな、いきなりすんごい音がしたと思ってその音の方見たらあいつが突っ立ってて。なあ?」

 尋ねられた少年は、そこにいた仲間の顔を見渡した。

 「そうや」

 「おう」

 「マジびびったわ」

 と少年たちは互いに相槌をうちあった。

 「そうなんか。どうせあいつのことやから、寝てて怖い夢見て、びっくりして立ち上がったのとちがうか」

 「そうかもな」

 「しょんべんちびってるんちがうか?」

 「あははははぁ」

 男子生徒たちは大笑いしている。

 その笑われている対象の通太だが、背筋を伸ばし、まだ机を凝視している。

 自分の心臓がバクバクと波打っているのがまざまざとわかった。

 また、いたるところから汗も噴き出ている。

 (なんなんだこれは?)

 机を見つめながら自問するが答えは見つからない。当然であろう。

 机が喋る。

 そんなことあり得ない。

 もう一度確かめるか? 確かめるためにまた机に突っ伏すか?

 いや、机が喋るのならこの距離でも声が聞こえるはずじゃないか。

 色々な疑問が通太の頭の中で入れ替わり立ち替わり出てくるが、正確な答えは導き出せそうにない。

 そこで通太は意を決し、少し机に顔を近づけ、

 「あの」

 と小さな声で机を呼んでみた。

 机からはなんの反応もない。

 そこで通太はもう一度、机に顔を近づけ声を出そうとしたが、やめた。

 そんな通太の様子をクラスの何人かはまだ見ている。

 「おい、あいつ誰に喋ってんの?」

 通太を見ている何人かの生徒は、彼の不審な動作に眉をひそめている。

 キーンコーンカーンコーン

 三時限目の始まりを知らせるチャイムが鳴り響いた。

 教室のいたるところに散らばっていた生徒、また教室から出ていた生徒が戻ってきて、自分の席に着く。

 席についてもある生徒はご丁寧に、さっきの休み時間教室から出ていて通太の奇行を知らない人に一連の出来事を教えてあげるということしていた。

 しばらくすると英語担当の教師が教室にやってきた。

 始業の号令が終わり、英語の授業が始まった。

 授業は淡々と進んでいく。

 「――稀川、ここに入る前置詞は何だ?」

 しばらく時間が経って通太は先生に当てられた。

 通太からは何の反応もない。

 「おい稀川、聞いてるのか?」

 「…………」

 「稀川!」

 びくっと肩を震わせた通太は、やっと目線を先生に向けた。

 「今の先生の質問聞いてたか?」

 「あっ、はい、いや、ええぇと……」

 と、通太がモジモジしていると、彼の後ろから盛奥がニヤニヤしながら顔を出し、

 「せんせえ、こいつに当ててもだめですよぉ。こいつさっきの休憩時間寝てて、その時見た怖い夢のせいでびっくりして――」

 と、勢いよく席を立ち上がり、

 「こうやって、呆然としていたんですよ」

 ぽかぁんと口をあけ肩を落とし、盛奥は大げさに通太のさっきの様を表現してみせた。

 「わははははっ」

 盛奥のひょうきんな格好に一年五組の教室は爆笑に包まれた。

 「だからだめなんですよ、こいつその夢のせいで放心状態なんですよ」

 「なんなんだそれは。まあいい。立ったついでだ、盛奥おまえが答えろ」

 「えっ、俺? そんなぁ」

 「わははははっ」

 再び教室に笑いが起こる。

 それから少しして三時限目終了を知らせるチャイムが鳴った。

 通太の後ろに座る盛奥は、席から立ち上がると、通太の隣まで行って、

 「お前のせいで当てられたやないか」

 と、低い声で通太に迫った。

 「ご、ごめん」

 通太は、眉毛の下に目を隠さんばかりに震わせながら盛奥に謝った。

 「ほんまキモイやつやで」

 盛奥は、通太を一睨みすると、自分の仲の良いグループたちのところへ去っていった。

 いつもの通太なら、今、盛奥に恫喝されたことをクヨクヨ考えるだろうが、盛奥のことなど一瞬にして頭から消えた。すぐに彼の頭の中は、目の前にある机のことで支配された。通常、休み時間はここで机に教科書をしまい、身を伏せ、寝たふりを決め込むのだが、さすがに躊躇していた。

 (聞こえた。確かに聞こえた)

 そう自答する通太。

 (でもありえない。机が喋るなんて。そうだ気のせいだ、気のせいだったんだ)

 通太は、気持ちを落ち着かせようと、深呼吸を三回してみた。

 三回した後、もう三回してみた。

 功を奏したのかどうかよくわからないが、幾分か冷静さを取り戻せたように思えた。

 無理やりともいえるだろうが、自分の気持ちを納得させた通太は、目を閉じるのと同時に机に突っ伏した。

 暗闇の世界はいつもと一緒だったが、明らかに違うことが一つだけあった。

 それは、教室内がとても静かだということ。

 いつもの休み時間の賑やかさが今回なかった。

 理由は、クラスにいる者が黙りこくって好奇の目で通太に注目しているからで、口を開く生徒がいてもボソボソと喋っているからであった。

 そんな静けさが気になった通太だが、その意識を吹き飛ばすことがまた起きた。

 「おい」

 声がした。

 驚き目を開いた通太だったが、今回は席を立ち上がることもなく、机に俯いた状態のままでいた。

 「もうおどろかないか」

 今確実に、通太の耳の奥にその声が響いている。

 「ほ、本当に机が?」

 通太は声をひそめて言った。

 「そうだ。おれがおまえにしゃべりかけている」

 「なんで、なんで?」

 「なんでかな」

 「信じられない……」

 「ふふふ、そうだろうな、まぁ、ありえないことだからな」

 「そ、そうだよ、ありえない、こんなこと」

 通太は、出来る限り小さい声で喋り続けている。

 「それにしてもおまえはいつもねているな。ええっとたしかなまえは……まれかわつうただったな」

 またまた通太は驚いた。自分の名前までこの机に知られている。

 「ぼくの名前を知ってるの?」

 「しっている。せきがえでおまえがこのせきにきてからずっとみていた」

 「見てた? 僕のことを?」

 「そうだ」

 「う、うう」

 この信じがたい現実に気分が悪くなった通太はおもわず唸ると机から顔を上げようとした。

 「どうした? きぶんがわるいのか? しかしおちついてそのままかおをふせておいてくれ。たのむ」

 「…………」

 心ならずもだったが、とりあえず通太は机の言う通りにし、そのままの姿勢をとどめた。

 「ありがとう」

 「げほん、げほん、げほん!」

 通太は、唾が喉に引っかかったのか、激しくむせかえった。

 「おどろくのもむりはない。つくえがしゃべるなんてことありえないのだから」

 通太は、むせかえりを抑えつつ黙ったまま聞いている。

 「しかし、かおをあげないでくれ。おまえがかおをあげたらおまえとこうしんができなくなってしまう」

 「こ、交信?」

 通太は囁いた。

 「そうだ。ああ、かいわといったほうがいいか。とにかくそのままのしせいでいてくれ」

 「この体勢じゃないとあなたとは喋られないの?」

 「そうだ」

 「なんで?」

 「わからない。さっきおまえはおれにむかって、ふせないじょうたいで『あの』といったろ?」

 「いいました」

 「おれにはおまえのことばがきこえ、へんじしたのだが、おまえにはきこえなかったろ?」

 「は、はい聞こえませんでした」

 「このきょりでないとだめなんだ」

 「この距離……」

 そう。通太が突っ伏して鼻の先が机に付くか付かないかの距離でないと交信できないらしい。

 「ひさびさだ、ひととこうやって、かいわするなんて」

 「久々……」

 「そうだ、まえにひととかいわしてからながいねんげつがたった。それからいままでなんにんかのにんげんにしゃべりかけたが、なぜかこうしんするのはむりだった」

 「……」

 通太は、机の言葉を黙って聞いている。

 「おまえにもだいぶまえからこえをかけていたのだが、きょうはじめておまえからはんのうがあったのだ」

 「前から僕に声を……」

 「ああ、そうだ。だめとおもいつつもいつもおまえはこのつくえにふせてくるので、ついな」

 と、言いつつ、机は急に語気を強めてこう言った。

 「むっ、いかん。いいか、まれかわつうた。まもなくやすみじかんがおわる。おまえはじゅぎょうをうけなくてはいけない。そのじゅぎょうがおわるとひるやすみだろ?」

 「ええ、そ、そうです」

 「そのときまたおれとこうしんしてほしい」

 「…………」

 「もちろんしょくじをとったあとだ。たのむ」

 この机は通太が昼休憩の時間、ご飯を食べるのも知っているようだった。本当に何でも見えているだ。

 始業を知らせるチャイムが鳴った。

 突然のチャイムにびっくりした通太は、思わず机から跳ね起きた。

 机との交信はそこで途絶えた。

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