11.出航
箱に車輪をつけただけに近い簡単な作りの馬車に乗り込んで、マサキ、アキラ、シンジ、長そして手綱を取るカラルーの5人はどこかへ向かっていた。
車を引くのは、ヒビキとキョウ。
「長。どこへ行くんですか?」
「…。部落を捨てた若者のところだ。いや、もう若くはないだろう。14年前に部落を出ていった…。」
「クロークさんのことですか?」
「?!」
シンジの言葉に、長の顔色が変わった。
「なぜそれを…。」
「すいません。いろいろと聞きまわったんです。ミラジアリナ出身だ・・・ということも。」
「・・・そうか。」
長はまた考え深げに目を閉じた。
長はどのくらいのことを知っているんだろう?ウィオラのことは?ビルラのことは?もしかして、マサキのことも・・・?
「クローク・・・?」
左肩を包帯でぐるぐる巻きにされたマサキが不思議そうな声を出した。
「聞いたこと、ある。」
「どこで?」
「わからない。でも、すっげえ昔に聞いた気がする。・・・懐かしいんだ。」
「・・・。」
長は目を開かない。
「へえ、じゃ、どっかで会ったことあるのかもな。」
シンジが軽い調子で言った。
「あるわけねーだろ。」
アキラは即答。
と、突然馬車が止まった。
「どうしたんだ?」
長はやっと目を開けた。
「着いたな。ちょっとそこで待っておれ。先に行ってくる。」
長は馬たちの手綱を取っていたカラルーに支えられ、馬車から降りた。
そこは広い原っぱだった。背の高い草が伸び、奥にひっそりとたたずむ小さな小屋を隠していた。
「すぐに戻る。」
長の背中はカラルーと共に、生い茂る草の陰に消えていった。
3人は馬車の中に取り残された。
「…待ってろってさ。」
「てかさ、何のためにここに来たんだ?」
シンジがアキラに聞いた。もちろん、アキラが知る由もない。
「知らねえよ。あ、そうだ、マサキ。ウィオラ、出てきたか?」
「いない。どこにも…いない。」
「そっか。」
アキラは馬車を降りた。マサキもゆっくりと後に続く。
「マサキ、元気出せよ。ウィオラだってそのうちにきっと帰ってくるさ。」
「…。」
「気まぐれでどっか遊びに行ったんだよ。な?」
「…。」
「?」
マサキの様子がおかしい。さっきからうつむいたままだ。
「おい、マサキ?どうしたんだ?」
アキラの問いかけに、マサキの返答はない。
「どうしたんだ?」
アキラがマサキの肩に手をかけた。
「熱っ。」
また熱を持ちはじめている。でも、マサキの反応がない。<痛い>とも<やめろ>とも言わない。
「おい、マサキ!」
無理矢理上を向かせた。
「!」
目の焦点が合っていない。心がどこかに飛んでいっている。青い方の瞳の色に闇の色が混じりはじめている。
「マサキ!マサキ!」
思いっきり揺さぶると、マサキはふらっとアキラの腕の中に倒れ込んだ。
「マサキィ!」
マサキのからだが熱い。
左肩だけじゃない。体中が熱を帯びている。
「シンジ!マサキが…。」
「え?」
シンジも降りてきた。
シンジはアキラの腕の中で動かないマサキを見て、さっと青ざめた。
「マサキ!」
「今急に倒れて…とにかく熱いんだ。」
シンジはマサキの額に手を当てた。
「すっげえ熱…。」
シンジはさっと身を翻した。
「アキラ!早く乗れ!」
そう言いつつ、ヒビキとキョウの手綱を取った。
「ああ。」
アキラが乗るとすぐにシンジはすぐに馬を走らせた。
マサキのからだは相変わらず熱い。
「アキラ、もうすぐそこだ飛び降りろ!」
シンジの声がする。
もう小屋は目の前だった。アキラはマサキを抱えたまま馬車から飛び降りた。
「バタンッ」
大きな音を立てて小屋に上がり込んだ。
入ってすぐのテーブルを囲んで、長とカラルー、それにクロークと思われる人物がいた。
「まだ来るなと…。」
「それどころじゃない!」
長の言葉を遮って、アキラは叫んでいた。
「マサキが…マサキが大変なんだ!」
こんなことしてる間に、マサキが死んでしまうかもしれない。
「体中熱くて、死にそうなんだ!」
怖かった。マサキが死ぬかと思ったら、ものすごく怖かった。
クロークがアキラに近寄った。
「GOLDEN EYESと導きの龍…か。」
クロークは胸にかけていた十字架をマサキの額に押し当てた。
「闇黒龍ビルラの名のもとに 霄峻覇莞稀 」
「?!」
アキラの腕から重さが消えた。
マサキが宙に浮いている。
「この娘は私が預かろう。」
クロークはマサキを浮かせたまま奥のベッドへと運んだ。
「バタンッ」
また大きい音がして、今度はシンジが駆け込んできた。
「マサキは?!」
「ここだ。」
シンジはアキラとともにクロークのところへと駆け寄った。
クロークはベッドに寝かされたマサキの肩の包帯をほどいている。
「?!これは?!」
刻印を見たクロークは硬直した。
「わしがこの娘を連れてきたわけが分かったろう?わしらの手にはおえんのじゃ。」
「・・・。」
クロークは押し黙ってしまった。
「どうしたんだ?この刻印、何なんだ?」
「これは・・・<闇刻の封印 (ダークネス シールド)>だ。闇の力を使って、体の中の魂を冬眠状態にしてしまう。碧漆の石を使ったものは初めて見たが・・・。」
「魂を眠らせる?そんなことが可能なのか?」
シンジが食って掛かるような勢いで言った。
「ああ。特に、妖力の塊である妖魔や、交魂には有効だな。」
「てことは、今、マサキの魂は、眠ってるってことか?」
「そういうことだ。」
どおりで動かないわけだ。アキラは膝をついてマサキの顔を横から眺めた。
おーい、起きろよお。
「どうやったら起きる?」
「封印をとくしかない。だが・・・それには、炎の力が必要だ。」
「何で?」
「碧漆の石が使われている。だからこの石をはがすときには水とは反対の力・・・炎が必要なんだ。」
「炎・・・かあ。」
「取り合えず今夜は様子を見てみよう。熱が出ているのは刻印の副作用だと思う。少しすればひいてくるだろう。」
「じゃ、別にマサキは死ぬわけじゃないんだよな?」
アキラは念を押して聞いた。
「そうだ。」
「よかったあ・・・。」
ほっとする二人を見てクロークは不思議そうに言った。
「そんなにもこの娘が大切か?」
「ああ。もちろんだ。」
「友達だからな。」
「そうか。」
クロークはベッドの右手の扉を開け、部屋を出ていった。
しばらくして戻ってくると、その手には小さなビンを持っていた。
「それは?」
「妖力を溶け込ませた水だ。飲ませるといい。」
「どうやって?」
シンジは死んだように眠るマサキを指して言った。
「・・・じゃ、腕にかけとけ。」
「了解。」
水を受け取ったシンジはビンをアキラに手渡した。
アキラは蓋を開けて、中の水をマサキの腕にかけていく。黒い刻印は、さっきよりも色濃くなった気がする。
「それで少しは熱がひくはずだ。」
マサキが動く気配はない。まさかこのままってことは、ないよなあ・・・。
「ちゃんと起きるんだぞお、マサキ・・・。」
いつのまにか寝てしまってたみたいだ。起きたときには、もう窓の外が暗くなり始めていた。
「やっと起きたか。」
シンジの声。
「ん・・・クロークさんは?」
「夕飯のしたく。」
そう言えば、どこかからいい匂いがする。と、そこでアキラは朝食も昼食も食べていないことに気づいた。
「はらへったあ!あ、そう言えば長たちは?」
「いったん部落に戻った。」
シンジはそういうとちょっと困ったように言った。
「馬車で帰ったから、俺たちの帰る手段はない。長が3日ほどしたら迎えにくるってさ。」
「はいはい。」
どっちでもいい。マサキが生きてるなら、それでいい。
それにしても、いつのまにかマサキが自分の中でこんなに大きな存在になっていたなんて・・・。
「おい、運ぶの手伝え。」
クロークさんがキッチンから顔を出す。
「ふあーい。」
気のぬけた返事をしてシンジが手伝いに向かう。
「・・・。」
一瞬迷ったが、アキラも重い腰をあげてキッチンへと向かった。
クロークはあまり多くを語らなかった。黒い髪に黒い瞳、昔のマサキのように白い肌。端整な顔立ちの中に、どこか上品さがある。歳は、メシアと同じか、それより上・・・35~36歳といったところだろう。
片付けも終わってひと段落ついたころ、クロークは突然言った。
「お前ら・・・闇瞳のペガサスに会ったのか?」
「?!」
「クロークさん、あいつのこと知って・・・?」
「何でこんなことになったんだ?」
「えっ?」
「お前らがいたのに、何であの娘はああなってしまったんだ?」
クロークが問い詰めるように二人を見た。
「なぜあの娘を守らなかった?確かにあの娘の中には水龍がいる。だが、それだけだ。」
「・・・。」
「なぜ同じ場所にいて、守らなかった?それとも守れなかったのか?」
突然の尋問に、二人は言葉を失った。
マサキを・・・守る。考えてもみなかった。あいつの中にはウィオラがいて、俺はいつも守られる方・・・。
「GOLDEN EYESとは名ばかりか?友達だといったのは嘘か?本当に大切な者だったら、何にかえても守ってみせろ!」
ズキン
胸の奥にトゲが刺さったみたいにクロークの言葉が頭の中に響き渡った。
「もう少し考えろ。大切な者を失ってから気づいても・・・遅いんだぞ。」
クロークはそう言うと、奥に入っていった。
アキラとシンジはその場に立ち尽くしていた。
「・・・。」
息苦しい沈黙が続いていった。アキラの頭の中に、クロークの言葉が響き渡る。
<何にかえても守ってみせろ!>
「ガツンッ」
シンジが柱を蹴飛ばした。ミシミシ、小屋全体がゆれる。
アキラは呆然としていた。俺は、マサキを守らなかった・・・。
「キイィィ・・・」
何も頭になかった。何をする気もなかった。でも、考える前にからだが動いていた。
シンジは止めない。アキラは一人、夜の闇に出ていった。
「ホーォォ、ホーォォ・・・」
フクロウの鳴き声がする。どこにいるんだろう・・・?頭にそう浮かんでも、体は動かない。ただ前に進むだけだ。
しばらくいくと、川に突き当たった。水がさらさら流れていく。ウィオラの守護の水・・・。
「マサキ・・・。」
アキラは川のそばまで行ってみた。足元の小石がじゃりじゃり音を立てる。
なんだか無性に泣けてきた。マサキがあんな目に遭ったのは、俺のせい。何の力も持たず、マサキを助けようとしなかった俺のせい・・・。
「ホオーォ・・・」
闇夜に響くフクロウの声。
アキラは膝をついた。自分の不甲斐なさが悔しかった。いつまでもマサキに、ウィオラに頼っていた自分が情けなかった。
「っくしょう・・・。」
次々に涙が出てくる。目の前は滲んで、ぼやけて、ぐちゃぐちゃだった。かたく目を閉じたマサキの顔だけが脳裏に焼き付いて離れない。
アキラはただ悔しくて、情けなくて、どうしようもなくて・・・一人でずっと涙を流していた。
どれだけそうしていただろう。アキラは、ふと何かの気配を感じた。
「サワサワ・・・」
夜風にゆれる草の音に混じって、低い息遣いが聞こえてくる。
「・・・。」
アキラは顔を上げた。涙をぬぐって正面の草むらに目を凝らした。
何か来る。何だ?
「ガサッ、ガササッ」
明らかに風の仕業ではない、草むらのゆれる音。音からすると、大きな獣。おそらく妖獣だ。
アキラは立ち上がった。今ならどんな獣がきても、倒せる・・・。
「…。」
気持ちが落ち着いていく。と、草の音が止んだ。気配はすぐそこまで迫っている。
緊迫した時間が過ぎていく。むこうもこちらの様子を伺っているようだ。
「カサッ」
来る!
「グアオォーッ」
「!」
昨日この島に着いたときに逢った妖熊。眉間には矢が刺さったままだ。まだ死んでいなかったのか。
死にそうなほどの傷を受けた獣は、元気な獣よりずっと厄介だ。痛みに任せて、何をしでかすかわからない。
「もう一回倒してやるよ。」
アキラは剣の柄に手をかけた。
「ふぅーっ。」
シンジは大きくため息をついて床に寝転がった。
とりあえず落ち着いた。一瞬は頭が真っ白になったけど、今はもう正常になっている。
「マサキを、守る・・・か。」
高くない天井を見つめた。隅の方にクモの巣がはっていた。
マサキがあまりにも強かったから、守るなんてこと考えてもみなかった。あいつはウィオラで、導きの龍。そしてアキリア王子を導いて・・・。
「あ・・・。」
<確かにあの娘の中には水龍がいる。だが、それだけだ> クロークの言葉がよみがえった。
そうだよな、マサキだって普通の女の子のはずだよなあ・・・。あいつ、すげえ大変なんだ。あんなに華奢な身体してるくせに、俺達と同じように走ったり、動いたり・・・航海してるんだもんな。相当な体力だろうな。体力だけじゃなくて、精神的にも・・・。
シンジは体を起こして、奥にいるマサキを見た。相変わらずぴくりともしないで眠り続けている。
「どうだ?目が覚めたか?」
はっとすると、クロークが部屋に入ってきていた。
「・・・はい。俺、今まであいつのこと、心配したことなかったから・・・。」
シンジはちょっときまり悪そうに言った。
「ありがとうございます。なんか、マサキにたいしてどうしなくちゃいけないか、分かった気がします。」
シンジは素直に頭を下げることができた。本当に、クロークに感謝していた。
「それはよかった。」
クロークは少し微笑んだ。やはり、どこか上品さがある。貴族かどこかの出なのだろうか?
「私も…後悔したことがあった。大切な人だったら、自分の側から放すべきではなかったんだ。失ってから気づいた。どれだけ大切だったか…。」
クロークの瞳に、怒りと悲しみの入り交じった感情があらわれた。が、すぐに消えた。
「ところで、アキラくんは?」
「アキラなら・・・さっき出ていった。すぐ戻るだろう。あいつもバカじゃない。」
シンジはゆっくりと立ち上がった。
マサキの側まで行って、もう一度座った。
「クロークさん・・・マサキは、起きるんですか?」
「・・・どうともいえない。明日、試してみるが私の専門は炎ではない。うまくいけばいいが、もしできなかったら・・・私には手の打ちようがない。」
「炎の力・・・。」
大きな炎の力。ビルラの刻印を解くぐらい強力な・・・。
「あっ!」
「どうした?」
シンジはやっと思い出した。
コロウ島でフィルラからもらった笛のこと。<何かあったらこの笛を吹いてくれ>確かにフィルラはそう言っていた。
「フィルラ・・・。」
「フィルラ?」
「もしかしたら、フィルラに頼めるかもしれない!」
「炎龍に・・・?」
クロークは驚いている。当たり前だ。フィルラは妖魔たちの頂点に立つ炎龍なのだから・・・。
「フィルラがくれた。何かあったら、笛を吹けって。もしかしたらフィルラが来てくれるかもしれない。」
「もしそうなら・・・あの娘は助かる。」
「とりあえず、アキラが戻ったら・・・明日にでも試してみたいんだけど・・・。」
アキラは明け方頃、全身に傷を負って帰ってきた。
「アキラ?!どうしたんだ?!」
一晩中待っていたシンジは慌ててアキラに駆け寄った。
「疲れた。」
アキラはそれだけ言うとそのまま倒れこむようにして眠ってしまった。
「おいおい・・・。」
クロークは朝になって部屋にきた。
「アキラは帰ったか?」
「はい。でも・・・。」
シンジは床に突っ伏して眠っているアキラを指差した。
「まあ、無事ならそれでいいさ。」
クロークはそれだけ言うと、マサキの容体を確認した。
「熱は下がったようだ。刻印の方はまだ熱を持っているが・・・もう大丈夫だろう。」
「よかった。」
シンジは床に寝ているアキラを起こしにかかった。
「おい、アキラ、アキラ。」
「う・・・。」
アキラは頭を押さえて起き上がった。
「体中・・・痛い。」
「当たり前だ。傷だらけだぞ。何やってたんだよ、昨日。」
「わからない。」
「・・・別にいいけどよ。」
シンジはアキラが何をしていようがどうでもよかった。
すべてがうまくいきそうだ。
「さてと。」
シンジは外に出た。横笛の奏法はおやじに習ったことがある。何の曲にしよう。
「紅火炎武闘曲・・・知ってるか?」
「え?」
いつのまにか後ろに来ていたクロークが言った。
「その昔、フィルラが人間の中に入って作ったといわれる曲だ。」
「フィルラが?」
でも、シンジはその曲を知らない。
「吹けるだろう?」
「え・・・?」
「やってみろ。」
クロークの言葉に後押しされるようにして、シンジは笛を構えた。
と、同時に指が動き出した。
紅火炎武闘曲(ファイアデュエル・サウンドorくれないかえんぶとうきょく)。横笛のために作られたソロの曲で、作曲者はアリア出身の演奏家、クダカル=サンドメランとされている。が、フィルラがサンドメランに入って作ったという説のほうが有力だ。
曲調はアリアの音楽、アルティメラ。速いテンポの細かいリズムが特徴だ。
今アリアでナンバーワンの実力を誇る横笛奏者、マオ=リューイのテーマ曲もこの紅火炎武闘曲だ。
最後の音が消えるころ、アキラはやっと外に出てきた。
目が眠そうだ。
「どうしたんだ?」
が、その金色の瞳は目の前にあるものを見たとたん、大きく見開かれた。
「フィルラ?!」
燃えるように赤い翼。炎のような瞳。紛れもなく、人間の姿をしたフィルラだった。
「アキリアか。久しぶりだな。」
「な、何で?何でフィルラがいるんだ?」
「俺が呼んだんだ。フィルラならマサキを助けられると思って。」
「・・・。」
シンジの言葉に、アキラは口をつぐんだ。
「ウィオラに何かあったのか?」
フィルラの赤い瞳がアキラとシンジに注がれる。
「私が説明しよう。」
クロークが3人の間に割って入った。
「お前は?」
「私の名はクローク。<ビルラ>の力を持つ妖力者です。実は、そのマサキという娘がビルラのダークネス・シールドを受けてしまい、私の手には負えないのです。」
「そこで、なぜ俺を?」
「妖石に碧漆の石を使ってあるのです。おそらく、中にウィオラがいるために・・・。」
「そうか。」
一見するとクロークの方が年上なのに、敬語を使うのは不自然だ。
「通りでウィオラの力が感じられなくなったわけだ。」
フィルラは赤茶色の髪をかき上げた。
「で?その眠っている姫君は?」
「家ん中。」
アキラは扉を開けてフィルラを中に通した。
「・・・。」
フィルラは険しい顔で腕の刻印を見ていた。
「どう?」
アキラは恐る恐るフィルラの顔を覗き込む。
「起こすのは簡単だが・・刻印を解くのは難しい。いくら影とはいえ、ビルラの力は私より上だ。」
「・・・。」
「とりあえず石だけはずす。」
フィルラは自らの翼から、羽根を一本引き抜いた。
目を閉じて、集中している。真っ赤な羽根が赤い光を放ち、部屋の中を照らし出す。
「・・・!」
アキラは大きく目を見開いた。次の瞬間には羽根がフィルラの手を離れ、マサキの腕に吸い込まれるようにして消えていった。
刹那。
「キィーン・・・」
アキラを突如耳鳴りが襲った。
「?!」
頭の中に不快な音楽が鳴り響いている。頭が痛い。
「パキィーン!」
だがそれも一瞬で、何かが割れたような音とともに耳鳴りは吹き飛んだ。
フィルラはアキラたちを振り返った。
「もうすぐ目覚めるだろう。だが、刻印は消えていない。・・・これがどういう事か分かるか?」
アキラとシンジは首を横に振った。
「・・・。ビウィーラへ急げ。ビルラの影はおそらくそこにいる。」
フィルラは赤い翼を翻した。
「もう行くのか?」
「ああ。」
「フィルラ・・・ありがとう。」
アキラはフィルラの後ろ姿にそう投げかけた。
「ありがとうございました。」
扉の外にはクロークがいた。
「お前は何者だ?ビルラの力を持つ、といっていたが・・・。人間・・・妖力者としては相当な力を持っているだろう。」
「・・・私の名前はクローク=ミラジアリナです、とだけ申し上げておきましょう。」
それを聞いてフィルラは少し微笑んだ。
「また・・・会いたいものだ。」
「光栄にございます・・・。」
クロークは深く礼をした。
そして頭を上げたとき、もうフィルラの姿はなかった。
「マサキ、起きるかな?」
「起きるだろう。フィルラが石をとってくれたんだから。」
二人はベッドの側に座っていた。
マサキは相変わらず目を開けない。穏やかな呼吸も固く閉じた瞳も昨日と何ら変わりはない。
「起きろよお、マサキぃ・・・。」
少し伸びてきた黒髪をなでてみる。
「ん・・・。」
長い睫が少しだけ動いた。
「マサキ!起きろ!マサキ!」
「う・・・。」
ゆっくり、ゆっくりとマサキの瞳が開かれた。
碧い瞳、漆黒の瞳。少しずつ光を帯びていく。ピクン、と左手が動いた。
「アキリアか・・・?」
マサキの口からか細い声が漏れる。
「マサキ?!」
「ウィオラだ。」
今度はしっかりとした声でアキラに答えた。
「ウィオラか。」
「何だその反応は。悪いか?俺で。」
「いや、別に。」
でもウィオラにはがっかりした感情が伝わったらしい。
ちょっとすまなさそうな顔で、
「悪かった。マサキがまだ起きないから先にからだを使わせてもらった。」
と言った。
「マサキはまだ寝てるのか?」
「ああ。今回のは・・・だいぶ無理をさせた。普通ならマサキの魂は消滅していてもおかしくないくらいの力がかかったはずだ。」
「マサキ、まだ生きてるんだよな?」
アキラは急に不安になった。
「ああ。生きてはいるが、だいぶ弱っている。体力的にではなく、精神的に。」
ズキン。
またトゲが刺さったみたいに心が重くなる。
「また少しの間俺のままでいなくちゃいけないようだな。」
「・・・。」
マサキには無理をさせすぎた。あいつなら大丈夫・・・って思って、ぜんぜん考えてやってなかった。
「アキラ。」
シンジがアキラの頭に手を置いた。
「あんまり悩むなよ。お前だけが悪いんじゃないんだ。」
「シンジ。」
「話してもいいか?」
「あ、ああ・・・。」
アキラとシンジはウィオラに向き直った。
「とりあえず封印はといたけど、まだ刻印自体は残ってる。この刻印の効力は何か、分かるか?」
「わからない。」
フィルラも同じ事を言っていた。
「その刻印は、闇のエネルギーを集める・・・。そうだろう?ウィオラ。」
「?!」
慌てて声のした方を振り向くと、クロークが立っていた。
「お、お前・・・。」
ウィオラはクロークの姿を目にして、硬直した。
「何だ?知ってるのか?」
「え?あ、いいや、何でもない。」
何でもないようには見えないけど。
「どうだ?間違ってるか?」
「いいや、合ってる。」
ウィオラは一瞬目を落としたが、すぐにいつもの表情に戻っていた。
「率直に結論から言う。このままだと、ビルラが復活するのは時間の問題だ。」
「!」
率直すぎだよ。
「はは、いつになく正直だな、ウィオラ。」
「俺がいつ嘘をついた?」
「隠し事、多いだろう?」
「・・・。」
シンジの言葉に、ウィオラはちょっと顔を歪めた。
シンジは知らん振り。あさっての方向をむいている。
「・・・。とにかく、俺がビルラの力を押さえやすくするためにマサキの中に入ったことが裏目に出てしまった。もし今の状態が続けば・・・おそらくビルラがマサキのからだを支配するだろう。」
「えっ?!」
「はあ?!」
シンジとアキラは同時に叫んだ。
マサキがビルラに?冗談じゃない!
「何でだよ。ウィオラ、お前はビルラを押さえられないのか?!」
アキラはウィオラに詰め寄った。
「龍の中にも順位はある。俺の力じゃ、弱ってるビルラを押さえるだけで精いっぱいなんだ。」
ウィオラの顔が悔しそうに歪む。その表情にアキラははっとした。
一番後悔してるのは、ウィオラ自身なんだ。マサキをこんなことに巻き込んで・・・。アキラは握り締めていたこぶしをほどいた。
「ごめん、ちょっとかっとなった。」
「いや、もともと俺が悪いんだから。」
そういったウィオラの肩は落ち込んでいた。
ズキン。
また心の奥が痛み出す。俺は何を言ってるんだ?ウィオラに対して・・・。
「ウィオラもだ。何でウィオラもアキラもそういう風に一人でなんでも背負っちまおうとするんだ?マサキもだけどさ・・・。そんなことしてたら、俺の立場ねーだろーが。」
シンジがちょっとあきれたように、でも真剣に言った。
シンジの言葉が重い。
「俺はさあ、何の運命も持ってねえけど、何のちからも持ってねえけど、お前たちの役に立ちてえんだ。」
「シンジ・・・。」
「だから、3人とももう無理するの、やめてくれよ。俺、つらくて見てらんねえからさ。」
シンジがいつもみたいににかっと笑った。ウィオラは唇をかみ締めて下を向いていた。
アキラの頬を一筋の涙が伝った。わけの分からない気持ちが、全身を駆け巡っていった。
「アキラ。」
シンジは小さい子どもにするように、腰をかがめてアキラを下から覗き込んだ。
「今なら、マサキがいないから、思いっきり泣いていいぞ。」
シンジの笑顔がぼやけていった。
アキラは自分よりもずっと大きいシンジにしがみつくようにして、それこそ子どものようにして泣きじゃくった。
「落ち着いた?」
「ああ。」
アキラはひとしきり泣いてから、腕で涙をぬぐった。
「すっげー恥ずかしい。人前でないたの、久しぶりだ。」
ちょっと困ったようにシンジに笑いかける。
シンジも笑顔で返してくれる。
「あ・・・。」
ウィオラが突然声を出した。
「どうした?ウィオラ。」
「マサキ・・・起きそうだ。」
ウィオラは左肩の刻印をぎゅっとおさえた。
ゆっくり目を閉じる。きっと次に目を開けるのは、マサキだろう。
「マサキ。」
アキラはマサキの手を肩から外した。
碧い瞳と漆黒の瞳が同時に開かれる。そしてアキラをまっすぐに見つめた。
「れ・・・。」
「え?」
マサキの口から発せられたのは、信じられない言葉だった。
「誰だ?お前。」
「?!」
アキラは動きを止めた。
「マ・・・サキ?今、なんて・・・。」
「どこだ?」
マサキはベッドから立ち上がった。
アキラは動けない。
「お前、誰だ?ここはどこなんだ?」
マサキはアキラに質問を浴びせる。
「・・・!」
アキラはもちろん、そばにいたシンジも少し離れたところで見ていたクロークも言葉を失っていた。
「何なんだ?」
マサキは鋭い瞳でアキラを見下ろした。
「お前の、名前は、何だ?」
マサキは念を押すようにゆっくりと言った。
「・・・。」
「黙ったまんまじゃ何も分かんねえよ。」
「マサ・・・キ・・・。」
「マサキ?それがお前の名前か?」
アキラは悲しくなった。
さっき十分泣いといたおかげで涙は出なかったけど。
「違うよ・・・。」
「違う?何が?」
「マサキっていうのは・・・。」
アキラは覆い被さるようにマサキを抱きしめた。
「お前の・・・名前だよ・・・。」
マサキは拒みこそしなかったものの、困惑した表情で立ち尽くしていた。
マサキには一切の記憶がなかった。
自分の名前はもちろん、アキラのことも、シンジのことも、メシアのことすら記憶に残っていなかった。
「つまり、俺の名前はマサキで、お前はアキラで、お前がシンジ。それからクローク。そんでもってさっきから俺の中でしゃべってるやつがウィオラ。」
「そう。」
マサキは小さくため息をついた。
「それで?俺は誰だ?」
「お前はマサキ。俺達といっしょに旅をしている。」
「旅?」
「そう。シンジの船で。ここは<デルタス>という国の中の、<キチ>という名の島。」
「旅の目的は?」
「・・・。」
アキラは一瞬迷った。が、マサキの目を真っ正面から見つめて、はっきり言った。
「世界を救うこと。」
「世界?」
「そうだ。俺たちの旅の目的は、お前の中にいる、ウィオラと協力して、ビルラという龍を倒すこと。」
「龍?!」
マサキは目を見開いた。
「ビルラっていうのは悪い龍だ。今はまだ眠っているけど、起きたらきっと世界中を暗闇だらけにするだろう。」
「暗闇?やだ、そんなの。」
「だから俺たちはビルラを倒すために旅してる。」
「ビルラはどこにいるんだ?」
アキラはもうマサキに対して隠し事をする気はなかった。
「マサキ、お前の中だ!」
「えっ?」
大きな目をもっともっと見開く。
「ビルラはお前の中にいる。今はまだ眠っているがな。もしそれが目覚めたら、大変なことになる。」
マサキは口をぽかんと開けてアキラの顔を見ていた。
「・・・ほんと?」
「本当だ。」
アキラは金色の瞳でマサキを見つめた。マサキも視線を外せないでいるみたいだ。
「アキラ。そんぐらいにしとけ。」
シンジが声をかけるまで二人は動かなかった。
アキラははっとしてマサキから視線を外した。
「と、いうわけだ。大体分かったか?マサキ。」
「・・・うん。」
マサキは少なからずショックを受けている。
またマサキを追いつめるようなことしてしまった・・・。
「アキラ。シンジ。マサキ。」
クロークが不意に名前を呼んだ。
「すぐに出発しろ。記憶がどうのこうの言ってる場合じゃない。ここからなら、トリニダを経由すれば、一週間ほどでリオナ海流に乗れる。」
「はい。」
「急いで部落に向かうぞ。」
クロークが言いおわると同時にアキラとシンジは行動を開始していた。
「ピィーー」
森の奥にクロークの笛の音がこだました。
と、向こうの方から聞きなれた足音が・・・。
「ヒビキ!キョウ!」
対照的な黒馬と白馬がこちらに向かってかけてくる。
「アキラ、シンジ、キョウに乗れ!マサキはこっちだ!」
クロークはマサキの手を引いてヒビキに飛び乗った。
慌てて二人もキョウに乗る。
「全速力だ。行くぞ!」
2頭の馬はクロークの叫び声とともに風のように疾走した。
「クローク!」
「クロークさん!」
クロークの姿を目にした部落の人々は驚きを隠せないでいた。
「戻ってきたのか…。」
長は相変わらず細い目でクロークを見た。
「長らくご迷惑をおかけしました。長老…。」
クロークは毅然とした態度で長と対峙した。
「これでやっとすべてが始まる…。」
長が小さくそうつぶやくのがアキラの耳に入った。
これでやっと…?
「アキリア王子。もう旅立たれるのであろう。」
「あ…はい。」
突然声をかけられてアキラは慌てて答えた。
「きみもだ。その力があれば、この二人についてゆける。」
長はシンジを見ていった。
「それからマサキ…といったか。」
「俺?」
「いい名だ…。お前はこれから辛いかも知れん。だが…くじけるな。すべては始まってしまったのだ。」
「???」
マサキは訳が分からない、という顔をした。
結局長はその悲しげな瞳の中にどんなことを隠していたんだろう…。
部落全員で見送りに行く、というのを断って、アキラたちはクロークとヒビキ、キョウに見守られてその日のうちに出港することになった。
「気をつけてな。」
「クロークさん。本当にありがとうございます。」
アキラは深くお辞儀する。
「そうだ。マサキ。これを・・・。」
「?」
クロークはマサキに金色の布を渡した。
「これは?」
「刻印に巻いておくといい。きっと闇の力を押さえてくれるはずだ。」
「ありがとう。」
マサキは素直に布を受け取った。
3人は船に乗り込んだ。
「クローク。」
「何だ?」
「どこかで会ったこと、ないか?なんか・・・すごく懐かしい感じがする。」
「気のせいだ。」
マサキの瞳に写ったクロークの姿は、脳裏に焼き付いて離れないだろう。
生まれた瞬間から、仲間だったのだから…。
「…?」
ウィオラとも違う声が、頭の中に鳴り響いた。
誰?
聞いてみても、返事があるはずがない。マサキも船に乗り込んだ。
クロークが、ヒビキが、キョウが、小さな点になっていく。アキラとマサキの2人はじっと立って動こうとしなかった。
次の行き先はトリニダ。船はどんどんスピードを上げるが、アキラの心は沈みこんだままだった。




