10.闇瞳のペガサス
部落に戻って、ここは中心の広場。昨日パーティーをしたところ。
昨日よりずっと狭く感じる。
「暇だ。」
「俺も。」
アキラとシンジはすることもなく、ただただ部落の人が目の前を通っていくのを見ていた。
水を運んでいる人、食べ物を運ぶ人、駆けていく子供たち…。
「ふあーあ…。」
アキラが本日13回目のあくびをしたとき、どこかから声がした。
「アキリア王子…。」
「ん?」
振り向いたアキラの目に映ったのは、馬?
「うえっ?」
「馬?」
の影にいたのは、昨日晩酌してたおばさん。確か名前はユミナと言ったはずだ。
「あ、ユミナさん。どうかしました?」
「…シンジさんがクロークについて知りたい、とおっしゃっていたので…。」
「!」
アキラとシンジの表情が変わった。
「私が知っていることをお話します。ここではなんですので、私の家へいらしてください。」
狭い家に通された。一人暮らしなのだろうか?
「どうぞ。」
「あ、どうも。」
今日はワインではなくて、ただの紅茶。
「どこから話しましょうか…。」
ユミナは白く細い指を膝の上で重ねあわせた。
「…約20年前のことです。この島に、ミラジアリナからの逃亡者の船が流れ着きました。」
「逃亡者…。」
「はい。小さな船にたった一人で…。かなり弱っていたので、部落で介抱することになりました。そして、体力が戻ってくると、クローク=マカルトと名乗りました。」
「クロークか。見たところ、ミラジアリナの者のようだが…?」
長はクロークの漆黒の瞳と黒い髪を見て言った。
年の頃は18ほど。デルタス人らしからぬ端整な顔立ちは、確かにミラジアリナ人のものだ。
「はい。わけあって国を捨てることとなりました。」
「そうか。これからどうする気だ?」
「これから…。」
クロークはその瞳で遠くを見つめてじっと考え込んでいた。
「私に帰る場所はありません。お願いします。ここに置いてください。」
クロークは頭を下げた。
「ここは妖力者の集まる島だ。自ずから妖獣や妖魔も集まってくる。お前は自分自身を妖獣たちから守っていかなくてはいけない。」
「大丈夫です。私も妖力者です。」
「そうか。それなら…。」
「長はその時、二つの課題を出しました。一つ目は、そのころ島の妖魔と妖獣のリーダーだった妖狼、<ウォール>を捕らえること。もう一つは、部落一の荒馬だった<ヒビキ>を乗りこなすこと。」
「ウォール?!」
「嘘だろ?!」
4龍にはそれぞれ妖魔と妖獣の腹心がついている。ライラには妖飛馬<シャラメイ>(妖魔)と、妖鷲<イーグル>(妖獣)。ウィオラには、海獣神の<レヴィ>と、妖鯱<オルカ>。フィルラには不死鳥<フェニックス>と、妖虎<ビャクヤ>。そしてビルラにはダークホーンの<デーモン>と、妖狼<ウォール>。
もっともデーモンは<あの戦い>に巻き込まれ、命を落としてしまったが。
「それで?クロークはその課題をクリアしたのか?」
「…ヒビキにはすぐに乗れるようになりました。ヒビキはもともとビルラのグループに近いものがありましたから、クロークとは波長が合ったんでしょう。そして、クロークはヒビキを連れて部落を出て行きました。ウォールを探すために…。」
一週間ほどして、クロークは帰ってきた。
今度はヒビキだけでなく、妖狼のウォールを引き連れて…。
「クローク!」
「長。これでクリアですね。約束通り、この部落の人間としてみとめてもらえますね?」
「ああ…。」
長はぞっとした。妖獣の中でもかなりの力を持つウォールを、たったの一週間ほどで捕らえるどころか仲間にしてしまうとは…。
少なくとも長よりはるかに大きな力をクロークは持っていた。
こうしてクロークは部落に住み着いた。最初は近寄ろうとしなかった住人たちもそのうちに<仲間>としてクロークを迎え入れた。
「クロークは、妖力者だったんですか。」
「ええ。」
ユミナは微笑んだ。
「私もクロークと同じくらいの年だったんですけどね。私の力なんかぜんぜん及びませんでしたよ。」
「…。」
シンジはちょっと首をかしげた。
人間がウォールと同じくらいの力を持つことは可能なのか?確かにマサキみたいに中に龍がいるっていうんなら話は別だけど。トゥージみたいに妖魔だけが入ってるやつとか。
「それから、<メシア>という妖力者をご存じですか?」
「ああ。」
「かつてメシアもこの島にいたことがあったのですよ。そう…クロークとメシアは同じくらいの力を持っていました。」
「へえーっ。メシアが。」
メシアと同じくらいの力っていったら相当だな。
でも、それならウォールを仲間にしたっていっても納得できる。何しろメシアの場合、使い魔がレヴィアタンなんだから、半端じゃない。
「それでその後、クロークはどうなったの?」
アキラはそれが知りたかった。
「…一度は部落にとけこんだのですが、クロークはいつも影のようなものを背負っていました。どこか寂しげで。やはり部落の人間とは合わなかったようで、14年ほど前から一人森の中で暮らすようになったんです。」
それだけ…?
アキラはちょっと拍子抜けした。もうちょっとなんかあってもよさそうなもんなのに。
「あのお、クロークって人は、やっぱり闇の力を使ったんですか?」
「ええ。たいていは。私たちは水や光を使いますから、その点ではクロークは一人外れた存在でした。」
「闇の力を…使えるのか…。」
闇の力を使えたなら、ビルラを崇拝するミラジアリナ出身なら、操らなくても、自ら進んでビルラに従う、ということも有り得る…。
アキラが考え込んでいると、
「どうもありがとうございました。」
シンジはそう言って立ち上がると、アキラを引き連れて家を出た。
「おーすげえ。」
マサキは木の上でパチパチ拍手した。
10本投げて、10本命中。まさに百発百中だ。結構小さなまとなのに。
「マサキさんもやってみます?」
「やるやる!」
マサキはあっという間に木の上から降りてきた。
そしてまとに刺さっていた投擲を何本か抜き取ると、ティラのもとにかけよった。
「おしえてくれ。どうやって持つんだ?」
「じゃあ、まずは一本だけ。親指以外の指は全部そろえて…。」
ティラに言われたとおり、マサキは左手に一本だけ持ってみた。
「左手でいいですか?右手で持った方がやりやすいかもしれませんよ?」
「いいんだ。右手は剣を持つから。」
「え?」
マサキは右手で剣を持ち、左手で投擲をやろうと思っていた。
「アキラに対抗してやる。俺も二刀流だ。」
マサキは嬉しそうににぃっと笑う。
「アキラさんは二刀流なんですか?」
「ああ。俺にはかなわねえ。だから、違う武器で強くなってやる。」
ティラはマサキに向かって微笑んだ。
「がんばってください。私にできることなら、何でもお教えしますから。」
「どうしたんだよ、シンジ。そんなにも慌てて…。」
シンジはアキラの手を引いて無理に外に出た。
「近くであの気配がするんだ。」
「?!」
アキラはとっさに周囲の気配を調べた。
「あ…!」
あの気配だ。消そうとしても消せない、あの濃い闇の気配…。
「あっちだ!」
アキラとシンジは気配のする方へ駆け出していた。
広場をぬけ、家と家の間を縫って…と、突然視界が開けた。部落の端に出た。ここから先には罠がしかけてある。これ以上この気配に近づくことはできない。
「くっそお…。」
二人は肩で息をしながら十数メートル先に広がる林の奥を睨み付けた。
「あ!」
林の奥に、見えた。
金色の身体、美しい金色の翼。<妖飛馬>と呼ばれる、光の力を使う者…。
「シャラメイ?!」
その姿はシャラメイのものだった。
木々の隙間から見える、金の光。それはやがて、掻き消すように消えていった。
「あ!待てよ!」
「危ない、アキラ!」
シンジが止めたときにはもう遅い、アキラは罠のことも忘れて駆け出していた。
次の瞬間…!
「わああっっ!」
アキラの足元の罠が発動した。地面から炎が吹き上がった。たちまちアキラが炎の渦に飲み込まれる。
「アキラ!」
シンジには、何をしたつもりもなかった。ただ、アキラが危ないと思った。助けなくては…と。
シンジの中で何かが目覚めた。
「?」
マサキは何かを感じた。
辺りをきょろきょろ見渡してみる。何ら変わった様子はない。
「どうかされました?マサキさん。」
「いや、今何か…。気のせいか?」
違う。何かあったんだ。いったい何が…?
「ティラ…悪いんだけど、いっぺん部落に戻っていいか?変な感じがする。」
「ええ、いいですけど。」
ティラは投擲をしまった。
「投擲の練習は、また今度ってことで。」
マサキも持っていた投擲をティラに渡した。
ドクン
「?!」
マサキの心臓が突然鳴り出した。
ドクン ドクン
「何だよ…いったい…。」
胸が締め付けられたように痛い。
いったい何なんだよ?!
部落では、井戸の周りに人だかりができていた。
「どうかしたんですか?」
ティラが部落の人に尋ねる。
「いやね、さっき突然井戸から水が吹き出して…。」
「水?」
「向こうの方に飛んでいったんだ。今何人かが見に行っているんだけど…。」
マサキは部落の人が指差した方向に向けて走り出した。
「あ!マサキさん!」
後ろからティラも追いかけてくる。
強い妖力が一瞬現れて、消えたんだ。誰だ?
「ウィオラ!」
心の中でウィオラの声がした。
「感じたのか?今の。」
ああ。
「マサキさん?」
はっとすると、ティラがいぶかしそうな目でこっちを見ていた。
確かに一人でぶつぶつ言っていたのでは<変>以外の何者でもない。
「何でもないっ。」
部落の外れに人だかりができていた。
中心にいるのは…。
「アキラ!シンジ!」
二人ともずぶぬれで地面に座り込んでいた。
「何があったんだ?!」
「マサキ。」
二人が駆け寄ってきたマサキとティラに気づいた。
「俺たちにも…わからない。」
「シンジ。」
マサキはウィオラと交代。ウィオラはすっとシンジの側に寄った。
マサキよりちょっとだけ低い声をひそめて、シンジに尋ねる。
「お前、交魂だって言ってたよな。」
「ああ。」
「それって、誰かに診てもらったか?」
「誰かって…?」
「たとえば、メシアみたいに妖力を持つ人にさ。」
「いや。母さんが生まれてすぐの俺に妖力を感じたから、交魂だって判断したらしい。」
「そうか。やっぱりな。」
「どういうことだ?」
ウィオラはくっく、と笑った。
「フィルラの言った意味がやっと分かった。シンジ…お前は交魂じゃない。先天的な<妖力者>だよ。」
「妖力者?」
「シンジが?」
アキラが驚いた声を出す。
「しかも先天的に妖力者だった、何てことあるのかよ。」
「親が妖力者の場合、ごくまれに。ま、確率からいけばほとんど奇跡に近いけど。」
ウィオラはシンジを見下ろして言った。
「やるじゃねえか、水を呼ぶなんて。さすが、フィルラの言ったことはまんざらじゃねえな。」
「水を呼んだ?!」
にわかに周りの人々がざわめいた。
「俺が?水を?それってすごいことなのか?」
「すごいことなんだよ。水っていうのは<世界>の象徴だ。光、闇、炎、水。世界はこの4つを中心に成り立ってる。普段妖魔たちが操るのは、風や大地のみだ。水や、炎や光なんて、早々操れるもんじゃない。。」
「…。」
「<世界の中心>を動かす力ってのは、半端じゃねえんだ。分かってるだろうけど、水は俺が、光はライラが、炎はフィルラが、そして闇はビルラが支配している。でもな、自由に水を操るって言うのは、とんでもないことだ。」
ウィオラはパチン、と指を鳴らした。
「?!」
アキラとシンジについていた水の雫が、霧のようになってはじけとんだ。
「とんでもないことだからこそ、やるのは難しい。」
上に向けられたウィオラの手のひらに、さっきはじけ飛んだ水が集まってきた。ウォーターボール。始めて見た。
碧い、碧い水の光。ゆらゆらと光を反射している。ウィオラの手の中に、海の色が集まったみたいだ。
「シンジ、俺は…お前をとんでもないことに巻き込んだかもしれない…。」
ウォーターボールの放つ碧い光を受けて、ウィオラの表情はますます沈んで見えた。
「おい、ウィオラ。どうしたんだよ。返事しろよー。」
マサキはさっきからずっとこんな調子。
「おーい。」
こつんこつんと自分の頭をたたいて、ウィオラに呼びかけている。が、やがてあきらめたらしい。
もうすっかり寝る準備を整えたアキラに話し掛けた。
「なあ、アキラ。ウィオラは、シンジが妖力者だって言ったのか?」
「ああ。おまえ、聞いてなかったのか?」
「ウィオラが使ってるとき、俺に聞こえるのはウィオラの声だけだ。」
「そうなのか?」
「ウィオラには今も俺たちの声聞こえてるはずなんだけどな。」
シンジは二人の隣で難しい顔をしている。
「シンジ。お前の親って妖力者だったのか?」
唐突にマサキが聞いた。
「母さんは交魂。おやじは普通の人間。妖力者なわけない。」
「じゃ、何でお前は妖力者なんだ?」
「知らない。でも…。」
シンジは眉をひそめてこう言った。
「母さんの親類って、メシアおばさん以外会ったことない。母さんがどこから来たのか、どういう人でどんな風に育ったのか、全然知らない。」
アキラは思った。
「もしかして、お前の母さんも交魂じゃなくて妖力者だったんじゃないのか?」
「…。」
シンジの返事はなかった。
次の日。
「おはようございます。」
ティラが起こしに来た。
昨日は全然結論が出ないまま就寝。遅くまでおきていたせいで寝不足である。
「朝食をお持ちしますから。あ、水は小屋の裏にありますから、自由に使ってください。」
そう言ってティラは朝食をとりにいったん部屋を出ようとした。
「あ、そうだ。」
ティラが部屋のドアのところで思い出したように立ち止まる。
「後から畑に行きますけど、一緒に行きますか? 」
「行っていいのか?」
「もちろんです。じゃ、後で。」
ティラは部屋を出ていった。
「で?畑行く?」
「行く。」
マサキの問いにアキラは即答した。
作物をどんな風に作っているのか、見たことがない・・・見てみたい。
「じゃ、行こう。」
マサキはにぃっと笑った。
外へ出ると、日差しが強かった。
「眩しい。」
「あ、シンジさーん、アキラさーん、マサキさーん。こっちでーす。」
向こうからティラの叫ぶ声がする。
見るとティラは、馬が放し飼いにしてある囲いの方で手を振っていた。
「馬に乗ってくのか?」
シンジが聞くと、ティラは笑って答えた。
「はい。あ、この中から一頭選んでいいですよ。」
そこには約20頭ほどの馬がいた。
「どの馬でもいいのか?」
アキラは柵を越えて中に入った。
「はい。」
いろんな馬がいる。毛並みも白、黒、茶など、さまざまだ。
「俺、こいつな。」
シンジは一番近くにいた馬の手綱を取った。
こげ茶色のたてがみに、赤みがかった毛並み。おとなしそうな目でシンジを見下ろした。
「よろしくな。」
ぽんぽん、とたたくと馬は小さく嘶いてシンジに擦り寄った。どうやら相性はよさそうだ。
「じゃあ、俺は・・・。」
きょろきょろ見回すと、ちょうど一頭と目が合った。
でもそれは、運命の出会い・・・というよりも、<こいつとは合わないだろうな>という感じの敵意のこもったまなざし。しかもその馬は、妖馬らしかった。
「・・・。」
アキラはちょっとむかっときた。馬のくせに人をにらんだな。
アキラはその妖馬に近寄った。馬は、しらんぷり。
「おいこらそこの馬。人を無視すんじゃねー。」
ぷんっ。
妖馬はさらにそっぽを向いた。
「こら、ヒビキ。何やってんだ。」
ヒビキ?こいつがクロークが使ったっていう妖馬か…。
「だめじゃないか。」
ティラが声をかけると、しぶしぶ振り向いたが、<何だこいつ?>という感じの表情で、アキラをちろっと睨んで、
「バサッ」
しっぽでアキラをおいはらった。
「・・・。」
妖馬とアキラのにらみ合いは、しばらく続いた。
「どうしたんだよ、アキラ。」
マサキが寄ってきた。
すると・・・。
「ひひーん」
「?」
妖馬は急に甘えた声をだし、マサキに擦り寄った。
「?なんだ、この馬。」
マサキは困惑。
「ヒビキ。」
ティラがきてマサキから妖馬を引き離す。
「どうやらマサキさんが気に入ったみたいですね。」
「じゃ、お前、俺と来るか?」
マサキの声に反応するように妖馬はひひぃんと嘶いた。
マサキの妖馬の名は、ヒビキ。黒い鬣、黒い毛並み。鼻の先からしっぽの先まで真っ黒な妖馬だ。瞳の色は黒い。きっとビルラのグループに属していた頃の名残だろう。体つきからすると、足はかなり速そうだった。
「・・・。」
アキラは全くおもしろくない。
何で俺とマサキで態度が違うんだ、馬のくせに。
「アキラさん、合わない馬もいれば合う馬もいますよ。」
ティラがアキラの気持ちを察して言った。
そこへ、もう一頭の妖馬がやってきた。
「キョウ。」
<キョウ>と呼ばれたその妖馬は、アキラの方へと寄ってきた。
「アキラさん、キョウに乗ってやってください。キョウは・・・アキラさんがいいみたいです。」
ティラはキョウの鬣をなぜた。
ヒビキと対照的な、純白の毛並み。白というよりも銀に近い色の鬣。目の色は、ごく薄い赤だ。ピンクに近い色かもしれない。
「お前、キョウっていうのか。よろしくな。」
アキラはキョウの首をなでてやった。
表情が笑っているように見える。馬なのに。
「じゃ、行きましょうか。」
ティラも一頭の馬をつれてきた。
黄土色の毛並み。角度を変えると金色に見える。
「ティラの、きれいな馬だな。」
ヒビキに跨ったマサキが言った。
「あ、マサキさん。鞍つけないと。」
「くら?」
「ちょっと待っててください。」
ティラはすぐ近くにあった小屋から鞍を運んできた。
「はい。」
ヒビキの背に鞍をのせた。
「じゃあ、行きましょう。」
ティラは先頭に立ってかぽかぽと馬を進めた。
「あれ?そっちには罠があるんじゃ・・?」
「馬たちはみんな罠の位置を覚えています。」
「賢いんだな。」
マサキはヒビキにいった。
ヒビキは小さく鳴いて答える。
「畑までは、ゆっくり歩くと結構かかります。少しスピードを上げられますか?」
「もちろん。」
アキラは手綱を手にした。シンジも手綱を取る。
マサキは・・・。
「だってよ、ヒビキ。早く走れるか?」
ヒビキに話しかけている。
もしかして、馬に乗ったことも、ない?
「あのー、マサキさん?」
「何だ?」
「ヒビキは、人間語は理解しないんですよ。」
「あ、それなら大丈夫。ウィオラは妖馬となら話せるから。」
アキラとシンジは硬直。
マサキが余計なことを・・・。
「妖馬と?」
ティラは驚いた声を出した。
「ああ。当たり前だろ。」
マサキがこれ以上何か言いやしないかと、アキラとシンジは気が気ではない。
まだビルラのことは、国民には言わないほうがいい。噂となって広まれば、パニックに陥るだろう。そしてビルラが生きていることをミラジアリナの者が知れば、ビルラを・・・マサキをねらってくるだろう。それだけは絶対に避けたい。
「とりあえず、ちょっとだけ急ぎましょう。」
ティラは手綱を引いて馬を走らせた。
アキラとシンジも後を追う。
「じゃ、よろしくな、ヒビキ。」
「ひひぃぃーん」
高い嘶きのあと、ヒビキは他の3頭を追って駆け出した。
「うわ、速いな、お前!」
あっという間にアキラたちに追いついた。
「アキラさんもシンジさんも、馬に乗ったこと、あるんですか?」
「ああ、俺は一応王宮で・・・。」
「俺は親父に叩き込まれた。<商人の子が馬ぐらいのれんでどうする>なんていうわけわからん理屈で。」
畑に着いた4人は馬を下りた。
「ごくろーさん、ヒビキ。」
マサキがヒビキの首をなでた。
ヒビキは嬉しそう。馬なのに。
「ここ・・・ブドウ畑なのか?」
「はい。昨日お出しした酒の原料となります。・・・ミラジアリナでは<ワイン>と言うそうですが・・・。」
畑と言うよりも、庭に近い。
棚に蔓を延ばしたブドウの木にたくさんの実がなっている。
「はい、どうぞ。」
ティラは一房ブドウをもいでマサキに手渡した。
「ありがと。」
マサキは受け取ると、そのまま口にほうり込んだ。
「あ。」
ティラが止めようとした時にはもう遅い、マサキは思いっきり顔をしかめた。
「何だこれ、苦いぞ?!」
「あ、ワイン用のブドウは普通のブドウと違って皮が苦いんです。ちゃんと皮を取って実だけ食べないと・・・。」
「うげー。」
マサキは持っていた竹筒の水を飲み干した。
「苦かった。」
一息ついたマサキに、シンジの声が降ってきた。
「毒盛られたら最初に死ぬのはマサキだな。」
「うっせえなあ。」
マサキはそう言いつつ残りのブドウの実をむき始めた。でもなかなか難しいらしい。
と、その時・・・!
「ヒヒィィーーン」
「?!」
突然ヒビキが高く嘶いた。
「どうした?ヒビキ。」
マサキがヒビキに近寄る。
シンジは何かの気配を感じ取った。
「何か来る!」
辺りの草木がざわめいた。急に出てきた雲が太陽を覆い隠す。いったい何が起きてるんだ?!
大きな妖魔の気配が近づいてくる。今まで感じたことのないような邪悪な気配だ。
「ビルラ・・・!」
ウィオラに変わったマサキが静かにつぶやく。
「え?」
ウィオラの瞳が真剣だ。
「ビルラと同じ気配・・・だが、ビルラはここにいるはずだ・・・。」
ウィオラの拳が震えている。碧と漆黒の瞳が空の一点を見詰めた。
「来る・・・!」
ウィオラの言葉が終わったか終わらないかだった。辺りは一瞬で闇に包まれた。
「?!」
闇に浮かぶ、光。黄金に輝くその体は、シャラメイのものかと思われた。が、違う。
瞳の色が黒い。いや、黒と言うより本当に闇のような色。何も映さず、すべてを飲み込んでしまう色・・・。
「・・・お前・・・ビルラの<影>か。」
ウィオラの低い声。空中に浮かぶ闇眼のペガサスは金色の翼をはためかせてウィオラの眼前に舞い下りた。
・・・ そうだ ・・・
「おかしいと思ってはいたんだ。最近マサキの中のビルラの力がだんだん弱まっていたからな。」
ウィオラは鋭い瞳でそのペガサスと対峙している。
・・・ お前が 表に出ている間に 影を作り出すのは 簡単だった ・・・
ウィオラは小さく舌打ちをした。
「そりゃ失敗だった。」
「どういう事だ・・・?影って何なんだ?このペガサスがトゥーギたちの言ってたペガサスなのか?」
「影ってのは自分の分身に近いもんだ。自分の魂を削って、別に自分のからだを作る・・・力の強い妖魔だけがなせる技だな。」
「じゃ、このペガサスはビルラの半身てことか?」
次のシンジの言葉はウィオラに届いていないようだった。
「別に今からマサキに体を任せてお前の本体をおさえにいってもいいんだが・・・お前をほっとくわけにはいかねえな。」
マサキはぱきぱきと指を鳴らし、戦闘態勢。
「ウィオラ。早い話が、そいつは敵だってことか?」
「そうだ。」
「つまり倒せばいいんだ。そうだろ?ウィオラ。」
「そうだ。」
ウィオラは頷く。
シンジはにぃっと笑った。
・・・ わたしは 戦いに来たのではない 戦うには まだ早い ・・・
「じゃ、何しに来たんだ。」
返答はない。
ウィオラは眉をひそめた。
「ま、いーけどな。」
言うが早いか背中の剣に手をかける。
ペガサスの周りの闇がいっそう濃くなり、黄金の翼をますます引き立てる。
「お前が<半分>になってくれたのは好都合だ。ひとりぶんは無理でも、半分なら倒せるからな。」
・・・ 何度も 言わせるな 私は 戦いに来たのではない ・・・
ペガサスの翼が闇の中を翻る。
・・・ お前を封じる ・・・
「ドンッ」
「?!」
と、ウィオラが突然突き飛ばされたように空を舞った。
「ティラ?!」
突き飛ばしたのはティラだった。そのままティラはウィオラを地面に押さえつけた。
瞳が黒い。ティラはペガサスに操られているのだ。
「てめえ・・・!」
ティラから逃れようとするウィオラ。しかしその動きが一瞬で止まった。
青と黒の瞳が閉じられていく。力を失った身体はゆっくりと、地面に倒れ伏していった。
「ウィオラ!」
シンジが駆け寄ろうとしたとき、突然辺りに突風が吹き荒れた。
「ゴォォッ」
「?!」
風の隙間からティラとウィオラが見えた。ティラの手に握られているものは何だ?
「碧漆の石!」
ティラの手には、碧漆の石があった。なぜティラが?!
考えている暇はない。アキラは突風の中を駆けた。
「ウィオラ!」
風の切れ目。地面に倒れているウィオラ(マサキかも)。闇瞳のペガサス。その背には黒い瞳のティラ。
「ティラ、お前・・・。」
「私が命を捧げるのはライラではない。ビルラ様だけだ。」
ティラの冷たい声。さっきまでのティラとは別人だ。
「戻れよ、ティラ!」
後ろでシンジの声がした。
少しだけティラの瞳が揺らいだ。一瞬瞳が青に近くなった気もした。一瞬だけ・・・。
「ビウィーラで・・・待っている。」
「ビウィーラ?!」
ペガサスが飛び立った。
辺りの闇がうすれていく。太陽はすぐに戻ってきた。元に戻った。さっきまでの景色だ。
「ヒヒィィ・・・」
ヒビキの心配そうな嘶きではっと我に帰った。
「マサキ!」
慌てて駆け寄る。
いつもと同じ。マサキは静かに寝息を立てている。
「シンジ・・・。俺、よく分からなくなってきたよ。」
「俺もだ。」
あのペガサスはなぜ突然やってきたのか。目的は?
ティラはいつから操られていたのか。最初に島で出会った気配は、ティラだったのか?もしそうだとしたらなぜ瞳の色は最初青かったのか?
「マサキ、マサキ。起きろよ。」
アキラはマサキを揺り起こした。瞳がゆっくり開いていく。
アキラはやっとほっとした。マサキが目を開けるまでは、怖い。もう目を開けなくなるんじゃないかと・・・。
「アキラ・・・。」
マサキは起きあがったが、表情がくらい。
「ウィオラが・・・いない。」
「え?」
「ウィオラがいない。俺の中に。いつもいたのに・・・!」
「!」
アキラはペガサスの言葉を思い出した。
<お前を封じる>確かにペガサスはそう言っていた。
「何でだ?ウィオラはどこに行ったんだ?」
立ち上がったマサキは問い詰めるようにアキラの瞳を覗き込んだ。
マサキのはずなのに、黒い方の瞳の色が濁っている。いつもは澄んだ色をしていたのに・・・。
「痛っ。」
「?」
と、突然マサキが左肩を押さえた。
「いってえ・・・。」
「どうしたんだ?」
アキラがマサキの手を肩からはずさせる。
マサキの左肩には、龍の刻印。焼け爛れたように黒ずんだ刺青。刻印の龍が手にした青い石。
「碧漆の石…?」
「何だよ、これ?!」
碧漆の石が龍の刻印とともにマサキの左肩に埋め込まれていた。
「なんだ、それ?」
シンジが不用意にその刻印に触れた。
「うわああっ!」
「熱いっ。」
マサキとシンジが叫び声をあげた。同時にマサキがその場に崩れ落ちる。
「マサキ!」
「大丈夫か?!」
「う…すっげえ…痛え…。」
マサキの顔が苦痛に歪む。
「わりい、マサキ。触ったらだめみてえだな。大丈夫か?」
シンジが刻印に触れたほうの手をぶんぶん振りながら言った。
「でもそれ、すげえ熱いぞ。」
シンジの指の先も赤くなっている。
「とりあえず、水かけてみるか?」
「うん…。」
アキラは竹筒を取り出してマサキの肩にそっとかけてみた。
「ジュウウウ…!」
「うわあああああ!」
マサキの叫び声でアキラは水をかける手を止めた。
「大丈夫か?マサキ。」
「うう…。」
刻印に触れた水は次々に蒸発していく。
「逆効果だな。」
「どうする?」
アキラはシンジに聞いた。
「とりあえず、部落に戻った方がいいんじゃねえか?」
「闇瞳のペガサス…?」
「はい。」
部落に戻ったアキラは長に事の次第を報告した。
マサキは別の家で肩を見てもらっている。シンジもいっしょだ。水をかけたのがよかったのか、部落へ戻るまでに熱はあらかた引いたようだった。
「それにティラがついていった…?」
「…はい。」
長は大きくため息をついた。
「多きなる災い、小さなる闇…。まさかティラが…。」
「長は何か知っておいでなのですか?」
アキラの言葉に長は少しだけ表情を変えた。
「いや…。今はまだ話すべきことではない。」
重苦しい空気が部屋を満たしていく。
「長!」
そこへ、マサキの容体を見ていた部落の女性が駆け込んできた。
長のところへ駆け寄り、小声で何かを伝えたようだ。
「そうか…。馬の準備を。出かけるぞ。」
「長…。」
「もう後には引けぬ。すべてが始まっておるのだ。」
長は力のない身体で立ち上がった。
「アキリア王子。」
「なんでしょう?」
「今はまだ話せぬが…すべてが終わったとき、すべてをお話ししましょう。」
「…。」
アキラは答えなかった。
わからない。何も分からない。何が起きようとしているのか、誰が何を知っているのか、これから何をしたらいいのか、マサキはいったいどうなるのか…。




