偽聖女と婚約解消をされたので、結界を解除すると……?
「偽聖女、エレイン・リヴァーズ伯爵令嬢。貴様との婚約を解消する!」
第三王子であるリーマスの言葉に、シン、と夜会は静まり返った。
王妃と国王、兄王子達も眉を顰めつつ、成り行きを見守る。
止められない事で調子に乗ったリーマスは続けた。
「そして、真の聖女たるフェニアンを我が婚約者とする。彼女こそ、この国の結界を維持している影の功労者なのだからな!功績を横取りした貴様になど、慈悲をかける事もしたくはないが、フェニアンはそんな貴様にも寛容な態度を示せというのだから、その慈悲に縋るがよい」
「エレイン様、婚約者の座は退いて頂きますが、殿下には追放や修道院送りなどは見合わせて頂きましたの」
豊かに揺れる胸の前で、フェニアンは白い指を組んで可愛らしくエレインに語り掛けた。
まるで、特別ですよ、というかのように笑顔で。
だが、エレインはそんな二人をフン、と鼻で嗤った。
淑女らしくは無いが、そうするだけの理由はあるのだ。
「あら、有難うございます。婚約の解消は承りました。が、わたくしを偽聖女だと断じたのですから、この王都に巡らせた『わたくしの結界』は解除しても良い、と仰せですわね?」
そう確認をされて、思わずリーマスはウッと首を竦める。
「そんな脅しは通用致しませんわ!何故なら、結界を張っているのはわたくしだからです」
まるで舞台役者のように大仰に手を広げて、眩い金色の髪を揺らしてフェニアンは美しい顔を傾げた。
勿論、彼女の豊かな胸も揺れる。
おお、と歓声が上がったのは、どちらにだったのか。
ともかく、エレインの言葉は退けられた。
フェニアンの言葉を訂正しない王家や王子を見て、エレインは口角を吊り上げて笑みを作る。
冷たい美貌が悪魔の様だった。
「そうでしたのね。では、引き続き聖女フェニアン様による結界が張られるとの事で、わたくしの結界は今この場で解かせて頂きます」
「お待ちなさい」
声をかけたのは玉座から立ち上がった王妃だった。
「息子の非礼は詫びましょう。今すぐ解かずとも、其方こそが結界を張っている聖女だと名誉は回復させます。婚約も…」
言いかけたところで、リーマスが「母上」と抗議の声を上げる。
忌々しげにリーマスに目を向けた隙に、エレインがすかさず言葉を継いだ。
「婚約はこのまま解消でお願い致します。簡単な嘘に騙される王族の妻として生きるのは難しゅうございます。わたくしは神殿での責務もございますので、殿下の面倒事までは負い切れません」
ばっさりきっぱりと言われて、リーマスが顔色を無くし、兄王子達は溜息を吐く。
今まで婚約の解消にまで踏み出したことは無かったものの、度々聖女との婚約に不満を漏らしていたのは周囲も知っている。
結界を張る聖女を擁する神殿の力は、昔ほどには無く、されど無視できない勢力ではある。
本当に結界が張られているのか、と疑う者さえいるほど形骸化されてはいたのだが。
儀式も行っていたが、それは表向きであると。
王都だけでなく、小さな町にも聖女は派遣されていて、それぞれの力に見合った結界を維持している。
その恩恵は周囲には分かりづらく、神殿としては日々の業務、習わしであるから主張する事もない。
だが、確かに森林や街道にも魔物は出没していたし、各地の自警団や冒険者、王都からは騎士団が討伐に出かけている。
戦う彼らと神官や聖女たちだけが、その恩恵を強く知っていた。
だが、国の中枢にいる貴族達が戦う事はない。
故に、軽視する者達も増えていた。
エレインは更に言葉を続ける。
「わたくしはもう結界を張りません。もし今後張って欲しいと仰せでしたら、第三王子殿下の王籍離脱とフェニアン嬢の投獄を条件とさせて頂きます」
すっとエレインが見事な淑女の礼を執って、夜会の場を後にする。
「ど、どういう事だ、エレイン」
言い縋るリーマスの言葉に、エレインは振り向きもしなかった。
異変はその日の内に表れた。
夜会も終盤に差し掛かったころ、警鐘が鳴り響いたのだ。
鎧姿の騎士達が夜会の会場に現れて、国王の前で跪く。
「城壁の近くに魔物が出没致しました。騎士団で対処しておりますが、このように王都の近辺で魔物が目撃された事例はなく、報告に参りました」
貴族達はその言葉に震えあがる。
どう考えても第三王子リーマスの元婚約者である聖女エレインの結界の解除と関係していたからだ。
皆の突き刺さる視線を避けるかのように、リーマスがフェニアンを見る。
「き、君が結界を張っているのではないのか?」
「張っておりますけど、弱い部分があるのかもしれませぇん」
上目遣いにリーマスを見上げてぎゅっと胸を寄せて押し付けているが、そんな事をしている場合じゃない。
「そ、そうか。張っているのなら、良いのだ」
良くは無い。
ただの馬鹿である。
「おい、ちょっと待て。今私の事を馬鹿と言ったか?」
リーマスは目の前の男、側近であり宰相を多数輩出する宰相家とも言われる侯爵令息のヴァレリーを睨んだ。
「いえ、私が馬鹿と言ったのは、私の予想の中のリーマス殿下でして、今現在目の前におわす殿下の事ではありません」
きっぱりと言ったヴァレリーの真摯な目つきを見て、リーマスは誤魔化された気がしたが、その先を続ける様に言った。
「ま、まあいい。続けろ」
「は」
短く返事をしてヴァレリーは続ける。
結界が弱いというより頭が弱く胸だけの聖女のフェニアンの誤魔化しに、胸に多大な興味を抱いているリーマスはその言葉を鵜呑みにした。
だが、周囲はそうもいかない。
国王は徐に立ち上がると、言葉を発する。
「皆の者。今まで神殿及び聖女が結界を張っていた事を疑問視してきた者達もいるだろう。今のところ我が国の優秀なる騎士団が魔物どもを食い止めている。だが、もしかしたら今後はもう少し厳しい状況になるやもしれぬ事を心しておいて欲しい。領地へ帰る際は気を付けるよう」
夜会の音楽は止まり、紳士淑女達は一斉にその頭を深々と下げた。
王都が盤石でないとしたら、領地へと急ぎ帰る者達も増えるのが必定だ。
そして、自領で抱えている聖女を手厚く遇すれば、少なくとも自分の領地で危険な事は起きない。
その位の皮算用は子供でも思いつく。
次の日も、その次の日も、警鐘が鳴らない日は無かった。
王城に軍靴が響くようになり、鎧姿の騎士達が闊歩する。
その中でリーマスは頭を抱えていた。
どう考えても、フェニアンの結界は弱い、どころか張れていない可能性すらあるのだ。
「王籍を失ってたまるか……」
自分勝手なリーマスが呟く。
では、どうするのか。
「エレインを捕まえて投獄すればいいんだ。そして無理やりにでも言う事を聞かせれば」
それは無理な話である。
そもそも神殿が聖女であるエレインをはいそうですか、と引き渡す訳もない。
形骸化されていたのは結界に関してだけで、神殿には神殿騎士もいる。
その上に位置する聖騎士と呼ばれる上級騎士は、王国の騎士達の頂点と並ぶくらい強い。
少なくとも内輪揉めで戦う余裕は、王宮騎士達にも全くないのだ。
更に言えば、エレインはれっきとした伯爵令嬢であり、王族とはいえ罪も定かでないのに投獄するのは難しい。
「そうだ!エレインの家族、リヴァーズ伯爵家の者を人質に取り、従わねば殺すと脅せば良いのだ……!」
「おおい!ちょっと待てェ!!!私がそんな屑な事をすると思っているのか!」
リーマスが割って入ったので、ヴァレリーは面倒くさそうに片手を振った。
「殿下ならしかねません。王都が魔物に囲まれて、騎士団が対応出来るとしても中型や大型の魔獣が連日来たらどうなるんですか?死人も出ますし、背に腹は代えられませんよ。離籍されたくない殿下は、その位します」
「おい、お前……不敬だろう……」
わなわなと身体を震わせるリーマスを見て、ヴァレリーは口を引き結んで周囲の側近達を見渡す。
「しそうです」
「するんじゃないですかね?」
側近達に口々に言われて、リーマスは顔を真っ赤に染め上げた。
「貴様ら……」
「もう良いですかね?今いいところなんですが……」
ヴァレリーが言えば、リーマスは更に地団太を踏む。
「何も良いところなど無かったではないか!」
「え?では予想を終了して、殿下が魔物をバッタバッタと倒して終幕を迎える形で終了しましょうか?」
「やめろ、何だその英雄譚は!」
明らかにあり得ない展開にされては予想の意味が全くない。
やや疲れながらもリーマスは言った。
「もういい、続けろ」
屑な提案をした屑殿下の暴挙はすぐさま実行に移される。
「なに、脅すだけだから実際にリヴァーズ伯爵家の者を人質に取る必要はない。ただエレインと話して、言う事を聞かせれば良いだけだ」
周囲の優秀な側近達はそううまくはいかないと止めるが、馬の耳に念仏である。
意見を言うだけ無駄であるが、側近である以上言わなくてはならない。
何せ自分達にとっても死活問題だからだ。
第三とはいえ王子の側近というだけでも、将来的に色々な面で好待遇を受けられる可能性が高い。
文官にしろ武官にしろ、王族の後ろ盾の有無は出世に響くのだ。
逆に、その王族を失脚させた場合はどうなるかといえば、余程うまく立ち回らない限りは同じ運命を辿る。
個人的な能力が高く、その道において使えると判断されれば残されもするだろうが、それでも立身出世は儘ならない。
馬鹿王子の我儘に付き合い、一行はエレインの元へと参じる。
神殿に用意された部屋で、神官に付き添われて現れたエレインは楚々としながらも、清らかな美しさを湛えている。
銀の髪は後ろで結われ、神秘的な紫の瞳は知的な輝きを帯びていた。
そして何より、凛として背筋を伸ばした姿は、王族であろうと屈しないという気高さに満ちている。
「何か御用でしょうか。……まだ魔物の襲来で死人が出たという話は聞き及んでおりませんが」
馬鹿王子の我儘とはいえ、婚約解消に加えて偽聖女と罵られたのだ。
更に貴族達からは実際に聖女が結界を張っているのか否か、などと疑いの目を向けられながらも日々真摯に祈りを捧げ、聖なる魔力を人々の為に使ってきたのである。
彼女の目に翳りが見てとれるのは、結界を解く事で怪我人や死人が出ないかという憂いからだろう。
だが、己や家門、神殿の誇りを汚されてまで踏みつけられ続けるのは違うと判断した。
なればこそ、彼女は苦渋の決断を下したのだ。
「結界を張れ。フェニアンの力だけではどうやら足りないらしい」
「……約束を今すぐ守って頂ければ、元に戻しましょう」
「私は、離籍など御免だ。何故、貴様との婚約を解消しただけでその様な我儘を……!」
激高したリーマスと対照的に、エレインが静かな湖面のように凪いだ瞳を向ける。
「違います、殿下。殿下との婚約解消だけであれば、わたくしは結界を解くなどという暴挙は起こしませんでしたわ。殿下が仰ったのです、偽聖女と。結界はフェニアン嬢が張るから要らぬと。ですから、そのようになさいませとお言葉に殉じたまで。訂正すらなさらずに、謝罪もせずに、言い訳を重ねて再び利用するおつもりですか」
理路整然と言い返されて、リーマスは言葉を失う。
幾ら優秀な側近でも擁護は全く不可能である。
彼女は何一つ間違った事は言っていないのだから。
「謝れば良いというのなら、謝罪してやる」
「必要ございません。条件なら申し上げました」
ぴしゃりと断るエレインは、冷たく微笑む。
だが、王子は下衆な笑みを浮かべた。
「いいのか?そんな事を言って。お前は自分の家族の命が惜しくないのか?このまま我儘を通すというのならば、家族の命が無事で済むと思うな」
下衆なリーマスの残酷な言葉に、僅かにエレインの表情が揺らいだ。
けれど、彼女が折れることはない。
「構いません。家族と共にわたくしも死にましょう。この国に王都を網羅出来る聖女は、現在わたくし一人しかおりませんが、唯一のその聖女を失っても良いのなら」
頑なな表情を見て、やっとリーマスは間違いに気づいた。
更に静かな青い炎を湛えたような瞳で、彼女はリーマスを見つめて微笑む。
「命を対価にするのでしたら、こちらも命を所望いたします。わたくしが結界を張る条件は、殿下と聖女を騙ったフェニアン嬢の処刑が条件でございます。正式に神殿より王家へも遣いを出します。……お引き取りを」
「ま……待て、離籍でよい…だから……!」
「条件は変更いたしました。これ以上話す事はございません」
エレインの言葉を機に、神殿騎士達が待て、とわめく愚かな王子を神殿から摘まみ出す。
共に居て、止められなかった側近達も自分達の身に降りかかる災難に暗澹たる思いを…。
「おい待てェ!何で処刑される流れになってるんだ!!」
「処刑の場面もお聞きになりますか?」
「聞かんわ!」
我に返ったリーマス王子の叫びで、大方の予想が終わったようで、ヴァレリーは溜息を吐く。
「つまり、婚約解消など愚策中の愚策で、良くて王籍離脱の上に臣籍降下、順当に行けば処刑になるかと」
「いや……それは、そのほら……フェニアンが本当に聖女で結界を張っていたらどうだ……?」
諦めの悪いリーマスの問いかけに、ヴァレリーは目を眇める。
「馬鹿も休み休み仰いませ。あの低能乳女がそんな高尚な術を使えるとでも?」
「おっ、おま……っ将来我が妃になるかもしれぬ女性に何という事を……!」
だが、傍らにいた魔術師長の息子であり自身も高名な魔術師であるロイセンが口添えをする。
「乳牛女の成績をご存知ですか?下から数えた方が早い位ですし、魔術の実技の点数も良くない。あれでは精緻な結界を張る事は不可能ですよ。魚どころかもっと小さな虫すら捕まえる事が可能な網を持つのが聖女エレイン様だとしたら、乳牛女は糸が二、三本てところでしょうね」
「お、お前迄……!」
だが、フェニアンへの評価はさておき、結界を張る力に関しては真面目な考察である。
間違いなく無理。
それがここにいる側近達の総意だ。
「ただし、婚約の解消だけなら受けて頂ける可能性がございます。進めても宜しければ、私の方で何とか致しますが……」
ヴァレリーの言葉に、リーマスは一も二もなく飛びついた。
「では頼む。離籍や処刑にならないように頼む!」
「ええ、勿論」
とても良い笑顔で答えたヴァレリーに、他の側近達はうへあ……という顔をしたが、ヴァレリーに注目していたリーマスだけは気が付かなかったのである。
婚約の解消は速やかに行われた。
王家と神殿と伯爵家、そして侯爵家。
三日もせずにとんとん拍子に決まったそれは、果たしてリーマスの予想した結果とはまるで違っていた。
「……婚約相手の、変更?」
リーマスは呆然と国王の言葉を問い返した。
「うむ。お前にはドミナント帝国の姫に婿入りをしてもらう。いずれ女帝になられる御方の王配だ、喜べ」
ほくほくと嬉しそうに国王が言うが、理解が追い付かずにリーマスは首を傾げる。
笑みを絶やさぬまま、国王は続けた。
「ヴァレリー・ドナティアンはお前の側近でもあるが、母君は帝国の公爵家出身で帝室とも繋がりが深い。この度お前の婚約者であったエレイン・リヴァーズを婚約者に迎えるにあたって、かねてより打診があったフランソワ姫の婚約話をお前にと譲ってくれたのだ。先方も乗り気でな」
「え……え……?どういう……?」
婚約を解消して自由になるつもりが、自由になれたわけではなかった。
これから……例えば評判の悪いフェニアンが駄目だとしても、別の女性を妻に選ぶ事が出来るのだと思っていたリーマスにとっては青天の霹靂である。
しかも、側近であるヴァレリーが聖女であるエレインを娶るだなんて聞いていない。
「幼い頃からヴァレリーはエレインを慕っておったそうでな。求婚はうまくいったと聞いている。うむ、万事うまくいったな」
「え?万事うまくと仰いましても、私は何も聞いていませんが?」
「今話しているだろう。元々お前は成績も振るわぬし、王家で面倒を見ようと思っていたが、帝国で引き受けてくれるのだから、最上である。いいか?帝国語を完璧に覚えて、姫の機嫌を損ねぬようにな」
サヴィア王国よりも数倍大きいドミナント帝国の未来の女帝相手である。
機嫌を損ねれば処刑されかねない。
震えあがったリーマスは必死で帝国語を覚えた。
勿論、このすべての立役者であるヴァレリーにも文句は忘れずに。
「確かに離籍でも、処刑でもないが!将来的にはどうなんだ!?」
「巨乳ですよ」
ぽつりと呟いたヴァレリーの一言に、リーマスは発言を止めた。
「今何て?」
「大変美しく、胸も豊かな女性ですので、殿下のお好みかと」
悪くない、とその顔に書いてあるのを見て、ヴァレリーはにっこりと笑った。
勿論、遠縁ともいえるフランソワ姫の性癖やら何やかやは口にする気はない。
幼い頃から好きだったエレインと漸く婚約できるのだ。
気が強く正しく、真摯で折れないエレインを、ずっと甘やかしたかった。
別の意味で気が強いフランソワ姫とは悪友にはなれても、愛し合う仲にはなれないし、ましてや彼女の下僕になる事は出来ない。
だが、キャンキャン吠えるリーマスなら姫の好みにも合うだろう。
期待に胸を膨らませたリーマスを見ながら、ヴァレリーもエレインとの将来に思いを馳せるのだった。
色々言いたい放題してしまうけど、好きな人の表現は力を入れてみるヴァレリー。ちなみに王配になった王子は元気で椅子をしています。ヨカッタネ。
最近レンチンで出来るかに玉に嵌ってます。おいしいよぉぉ!
廃嫡→王籍離脱、離籍に直しました(ご指摘感謝です)




