かんがえる
まずは指で考える
何でも自由に考えてよい、あるいは形作ってよい物語を紡いでも良いとして、では都合のいい物語を紡ぐのかとか何かを基にしてとか考えることはできるが、じゃあタイピングしている時間というのはほとんどが思考に割かれてるのかというと、指先と頭の音の連動が起きてる。
要するに人間が考えが先にあって何かを紡いでいるというより、あまりに長々しい文面の連続が続いていて現代にまで来てしまっているという具合になる、それだけ辺境に誰もが位置して、とりあえずこうやって指を動かすと体操になるんだよという行為をしているのがタイピングということになる、これと同じでスマートフォンでもなんとなく適当に文字列を投げ合ってる状態が続いていたりする、じゃあ何か小説や漫画や興味のあるコンテンツはあるのかという話になると、実はあまり無いのである。
僕はどちらかというと本を読むという行為より先にタイピングをするという行為に興味を持っていて、自分がタイピングする際にその通りにタイピングできることにある種の喜びを感じる生き物といえる、つまりタイピング自体が一つのリズムであり運動であり、反芻なので、それ自体が出来ていればそこそこ気楽といえる、ただ問題なのが集中の周期がいろいろあるということだ。
絵を描くという行為に集中している時間もあったりする、けれど別に絵を描く際に何か目的があってとか登場人物に思い入れがあって、というよりも、むしろこれが大きい、いわば玩具遊びの連続をさせていくに関して、自分が少しずつ推移していって、最終的に納得するまで手を動かしているということだ、絵を描いても納得したり満足したりすることは少ない、むしろ絵を描いてる、描けるということに愛着がある。
それは何なのかというと作るということや紡ぐということに興味を持っていて、では物語の良しあしとか感想とかはどうなのかというと、むしろ、個人の心地よさのほうにかかってくる話になる、僕が求めているのは、体感としての文字を入力してるボタン操作の連続、これにある種の心地よさを覚えて文字を手繰っている状態と言えるのかもしれない、それはおおよそ小説を書くということからは遠ざかっている。
考えた結果、指の動きは遊びであった




