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第1章 粛清ツアー、本日も晴天なり

その日、朝から街はざわついていた。


 いつもより早く起きたパン屋が、窯に火を入れながら空を見上げる。

 洗濯物を干す主婦が、ふと手を止めて、遠くのタウンホールの方を気にする。

 通勤途中の役人が、足を速めながら、心のどこかで「今日ではありませんように」と曖昧な祈りを捧げる。


 ──粛清タウンホールに、ワイ様が来るかもしれない日。


 それは、どこの誰にも正確には分からない。

 だが、空気で分かる。胸騒ぎで分かる。理由もなく、みんなの視線が同じ方向に吸い寄せられる日がある。


 そして、今日がまさにそういう日だった。


「なあ、聞いたか。今日、人間オセロやるってよ」


 市場の片隅、野菜売りの青年が、隣の魚屋の男に囁く。魚屋は氷の上に並べた魚を見下ろしながら、眉をしかめた。


「はあ? あの地獄みたいなゲーム、またかよ。……誰が駒にされるんだ?」


「さあな。でも昨日の晩、粛清タウンホールの奴らが遅くまで残業してたってよ。ブラックやオリハルコンのリスト処理してたとか、なんとか」


「チッ……またウチの常連が減らなきゃいいがな」


 軽口を叩きながらも、二人とも笑ってはいなかった。

 働いていようが、真面目に生きていようが、この国では関係がない。

 「有能」とワイ様に認定されなかった時点で、いつでも誰でも「無能」「豚予備軍」だ。


 そして、その判定は三歳と十二歳と二十歳の節目に、勝手に下される。


 本人の知らぬところで、勝手に。

 どんな事情も、特例も、情状酌量もなしに。


 *


「……っ、嘘だろ……なんで、俺が……」


 粛清タウンホールの一室で、一枚の紙を握りしめて震えている男がいた。


 名はゲン。

 三十代半ば。働きは平均、頭も平均、人柄も平均──自分では、そう思っていた。


 だが、紙がそれを否定している。


【あなたは粛清対象に選ばれました】


 紙にはそう書かれている──ように見える。実際にはワイ様語でしか書かれておらず、読み取れるはずもないのに、脳が勝手に「理解させられて」いた。


 手が震える。膝が笑う。胃の中のものが逆流しそうになる。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 俺、サボってないですよ、ちゃんと働いて──」


「ゲンさん」


 事務机の向こう側から、タウンホール職員が目を逸らしながら言った。


「……すまない。そういう話じゃ、ないんだ」


 粛清タウンホールの職員もまた、ワイ様の判定に口を挟むことは出来ない。彼らはリストを見て、「はい、次の無能はこいつです」と、ただ事務的に流していくしかない。


「今日のオセロゲームの黒駒の一人が、あなたです」


「……お、オセロ?」


 ゲンは顔を上げた。オセロゲームのルールくらいは知っている。

 挟まれたら、色が反転して消される。盤面の取り合い。白と黒の戦い。


 だがそれが、「人間」で行われた場合何を意味するのか──想像したくもなかった。


「勝てば……ホワイトリスト、なんだってさ」


 職員は苦笑した。


「負けたら、まあ……見てのとおりだ」


 彼の視線の先には、壁に貼られたポスターがある。

 この国の統治者が考案した、ワイ様お気に入りの粛清ゲーム、「人間オセロ」の宣伝用ポスターだ。


 白と黒の服を着た人間たちが盤面の上に並び、その上空で、影絵のようなワイ様のシルエットが笑っている。


 勝者にはホワイトリストへの申請権。

 敗者には、即日ブヒブヒ転職コース。


 ゲンの喉が、ごくりと鳴った。


 *


 一方そのころ、天空。


「んっふふ。ええ顔しとるなあ、あいつ」


 ワイ様は、ゲンのアップになった顔を空中スクリーンで眺めながら、大吟醸をちびりとやった。さきほどの指パッチンで、彼の「無能ランク」はブラック寄りオリハルコンに更新され、今回のオセロにねじ込まれている。


「怠けてはおらんけど、よう考えたらずっと平均点でぬるま湯つこてるタイプ。これが一番おもしろいねんな」


 働いているから偉い、というわけではない。

 頭がいいから偉い、というわけでもない。


 ワイ様の価値基準は、ただ一つ。


「おもろいかどうか、や」


 職場で「まあまあ」な評価に甘んじ、家では「まあまあ」な夫を演じ、心のどこかで世界や社会を「まあまあ」見下してきたゲンという男。その人生が今、大きくひっくり返されようとしている。


 オセロの盤面に立つ前から、すでに彼はひっくり返され始めているのだ。


 *


 その日の午後。

 粛清タウンホール地下、ゲーム専用競技場。


 巨大な床一面に、白と黒の升目が描かれている。

 それを取り囲むように、高い観覧席が円形に並び、そこには各国から招かれた上位貴族たちがずらりと座っていた。


「ほう、今日は『人間オセロ』か。ここの統治者も、なかなか趣味が悪い」


「あら、あなたのとこの『豚さんジェンガ』に比べれば、ずいぶん理知的じゃなくて?」


 ワイ様のすぐ下の特別席では、そんな会話が飛び交っている。

 貴族たちはワイ様の正面席に座ること自体を名誉と感じており、互いのゲーム案でマウントを取り合いながらも、常に「ワイ様がどちらを楽しんでいるか」を気にしている。


 ワイ様はといえば、


「ふわー……さて。そろそろ始めよか」


 大きく伸びをひとつすると、指を軽く鳴らした。

 パチン。


 その音が合図となり、人間オセロの参加者たちが一斉に盤面の手前へと歩み出る。


 黒い服を着た者たち。

 白い服を着た者たち。


 彼らは、みな粛清リストに載っていた「無能」たちだ。

 ブラックランクからプラチナ、オリハルコンまでさまざまなランクの無能が、ごっちゃになって並んでいる。


 その中の一人が、ゲンだった。


「こちら、黒番代表のゲンさんです!」


 統治者直轄の司会役がマイクで紹介すると、観客席からひとしきり笑いが漏れる。誰も彼のことを知らない。だが、「黒番代表」として呼ばれた時点で、彼の人生がついさっきまでのそれとは完全に断絶した、ということだけは伝わってくる。


「ど、どうも……」


 ゲンは訳も分からず頭を下げた。

 手は震え、足はすでに逃げ出したがっている。


 だが、逃げれば即時粛清だ。

 逃げなくとも、負ければ豚だ。


 勝てば、ホワイトリスト。

 勝てば、「無能」ではないと、ワイ様に認められる可能性がある。


(勝てるのか、俺なんかが?)


 そんな疑問が喉もとまでせり上がる。

 だが、ここに立ってしまった以上、引き返せない。


 ワイ様は、そんなゲンの心情の揺れなどお構いなしに、大吟醸をもう一口。


「さーて。何手目までもつかな?」


 その一言が、静まり返っていた会場全体に、ぞわりとした空気を走らせた。


 やがて、統治者自らが姿を現す。

 痩せぎすで目つきの鋭い男で、黒いローブの胸には、この国の紋章が誇らしげに輝いていた。


「本日のゲームルールは、通常のオセロと同じ。ただし──」


 統治者は、わざとらしく間を置き、観客席と盤面を見回した。


「挟まれた駒は、その場で『即・粛清』とする」


 どよめきが起こる。知っていたはずのルールを、改めて口にされることで、現実感が増す。


「黒も、白も。どちらも、味方に挟まれた瞬間に終わりだ。……駒諸君、自分の立つ場所には、よく気をつけることだな」


 ゲンは思わず足元を見た。

 今はまだ、盤の外側。スタート地点だ。だが、ひとたび中に入れば、そこは「マス目」になる。


 白番が一人、前に出た。

 黒番からも、一人が前に出る。


 ターン順はくじで決められていた。今日のゲームは、白が先手だ。


「では、白番一手目。好きな場所へどうぞ」


 白の男は、唇を噛みしめながら、盤の隅を見た。

 オセロで最も強いと言われる「隅」。だが、そこに最初から立つのは危険でもある。


(ここに立てば、しばらくは挟まれにくい。けど……)


 彼はちらりと自陣の列を見る。

 自分の後ろにいる白たちは、自分が死んだ場合、その分盤面に出る機会が早く回ってくる。


 自分が延命を選べば、誰かが早く死ぬ。

 自分が犠牲を選べば、盤面は有利になるかもしれない。


 だが、自分は今日、この場に来るまでに、一度でも「誰かのために死のう」と思ったことがあっただろうか。


「……ここだ」


 男は、隅ではなく、盤の中央付近を選んだ。

 観客席から、失望とも嘲笑ともつかない声が上がる。


「ほう、隅は取らんのか。つまらんなあ」


 ワイ様は、大吟醸をもう一口。


「でもまあ、まだ一手目や。おもろなるかどうかは、これからやな」


 続いて、黒番一手目。

 ゲンの隣にいた、筋骨隆々の男が前に出た。


「俺は……隅に行かせてもらうぜ」


 男は迷いなく盤の角に立った。

 白の男がちらりと悔しそうに目を伏せる。観客席から、今度は少しばかりの歓声が上がった。


「ほうほう。ええやん。ちゃんと『殺し合う気』あるやつも、おるやんけ」


 ワイ様は、ニヤリと笑う。

 ゲームは、一手一手と進んでいった。


 盤面に人が増えるごとに、場の空気は重くなる。

 誰かが挟まれそうになるたび、当人の足がすくみ、味方同士で「そこに立つな」「いや、お前が動け」と小競り合いが起こる。


「おい、そこに立ったら、俺が挟まれるだろ!」


「知らねえよ! お前だってさっき、俺のこと盾にしようとしたじゃねえか!」


 ゲンは、そのやり取りを聞きながら、じわじわと胃が痛くなってくるのを感じていた。


(なんだよ……これ、ゲームかよ……)


 オセロという言葉の持つ軽やかさと、目の前の光景とのギャップが、彼の精神を削っていく。


 そして、最初の「反転」が起こった。


「白三手目、そこだ!」


 白の男が叫び、黒の駒役の一人を挟み込む形で前に出た。

 瞬間、ワイ様の指が、パチン、と軽く鳴る。


「──あ」


 挟まれた黒服の男が、自分の立っているマスを見下ろした。

 次の瞬間、彼の身体は淡い光に包まれ、ふくらみ、縮み、四つ足になり──


 ブヒ、と鳴いた。


 観客席から、どっと笑い声が上がる。

 盤面の上から豚に変えられた男は、そのまま足元のハッチが開いて下へと落ちていく。


 どこへ落ちたのかは、誰も見ていない。

 だが、誰もが知っている。


 そこは、豚さん発電所か、豚さん工場か、それともただの豚さん食肉処理場だ。


「よっしゃ一匹!」


 白の男が思わず笑みをこぼす。その顔に、自分が誰かを「駒」としか見ていない残酷さが浮かぶ。


 ゲンは、その光景を見て、知らず知らずのうちに両手を握りしめていた。


(……次は、俺かもしれない)


 盤面の上には、まだ空きマスが多い。

 だが、そのすべてが「誰かの死に場所」でもあった。


 ワイ様は、そんな人間模様を眺めながら、ほろ酔い気分で笑う。


「ええやん。ちゃんと、『人間』しとるやないか」


 そう、これはただの粛清ゲームではない。


 これは、人間が「人間」であることを試されるゲームだ。

 自分を守るか。誰かを守るか。

 勝ちに行くか。負けを受け入れるか。


 そして、そのどれを選んでも──


 最後に笑うのは、ワイ様だけなのだ。

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