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序章 ブヒブヒと神様は笑う

 空は、よく晴れていた。


 雲一つない蒼穹の、さらにその上。人の目には決して届かぬ高度に、ひとつの巨大な「円」が浮かんでいる。外周はきらびやかな金色に縁取られ、内部には緑と土と白い柵で構成された楕円形──そう、見た目だけなら、どこにでもある競馬場とそう変わらない。


 ただし、そこで走るのは馬ではなく、元・人間の豚さんたちであり。

 そこからこの世界の「序列」が決まるという点で、地上のどんな競技場よりも残酷で、どんな神殿よりも神聖な場所だった。


 その天空豚さんダービー場の最上段。王侯貴族の観客席などという生ぬるい言葉では足りない、ただ一人のための「玉座」に、ワイ様は肘をついて座っていた。


「ふぁーあ……今日もええ天気やなあ」


 ワイ様はあくび混じりに空を見上げ、気分で指をひと鳴らしする。パチン、と軽い音が響くが、その一音だけで、世界のどこかでは数人の人間が豚に変わる。


 もちろん、本人たちに前触れなどない。

 ワイ様が「今パチンしたから、あいつら豚な」と決めただけで、因果律はねじ曲がり、現実がそれに従う。


「あ、今のちょっと音ええな。今日は指の鳴りがいいわ」


 誰にともなく呟きながら、ワイ様は足をぶらぶらさせる。玉座の横には透明なグラス、その中には純米大吟醸が冷やされていた。香り高い酒の向こう側──天空から見下ろす地上には、今日も人間どもがうじゃうじゃとひしめき合い、働き、嘆き、怒り、祈っている。


 だが、そのすべてはワイ様にとって「アリの巣」の延長に過ぎない。


 誰が泣こうと、誰が笑おうと、誰がどこで死のうと。ワイ様の心は一切揺れない。ただ一つ、「おもろいか」「おもんないか」だけが、善悪や正義よりも偉大な評価軸として存在しているだけだった。


「さて──そろそろ『今日の分』、粛清しに行こか」


 ワイ様が立ち上がると、玉座の足元に円形の魔法陣のようなものが展開される。だが、これは魔術というより、彼の気分を視覚化した「演出」に近い。本当は一瞬でどこへでも、姿を見せずとも粛清は出来る。だが、


「やっぱ、儀式感、大事やからなあ」


 キャッと口元を歪め、ワイ様はくすりと笑う。

 そして、次の瞬間には、彼の姿は天空のダービー場からふっと消え去っていた。


 向かった先は、この世界のとある一国にある粛清タウンホール──「粛清」が日常業務として管理される、市役所じみた建物の上空である。


 まだ誰にも見えていない空中にふわりと浮かびながら、ワイ様は眼下を覗き込む。

 朝から慌ただしく出入りしている役人たち。壁には、ワイ様だけが読める「ワイ様語」でびっしりと書かれた粛清リストが貼られている──ように、人間には見えないが、ワイ様には見えている。


「ほうほう、今日はここかいな。ブラックランクの無能、三名。オリハルコンが十数名、あとは雑魚やな」


 ワイ様はにやぁ、と笑い、指をまたパチンと鳴らした。

 同時に、タウンホールの中で、ひとりの男が自分の名前が書かれた紙を見て顔を真っ青にし、足元から崩れ落ちる。


 ──粛清対象通知書。


 彼の視界にはそう見えるそれも、実際にはワイ様語で書かれた意味不明な文字列であり、真実の内容を理解しているのはワイ様だけだ。だが、「自分は終わった」ということだけは、直感で理解してしまう。


「ほんで、あいつがオセロ要員、と。ふふ」


 ワイ様は男の顔をじっくりと見下ろす。怠惰と言い訳、うっすらと他人を見下してきた人生が、その表情から透けて見えるタイプの無能である。


 ワイ様の大好物だ。


「さて。今日はここの国の統治者が、『人間オセロ』やる言うてたな。ワイ様、ちょっと楽しみにしとるねん」


 そう呟いた瞬間、ワイ様の姿は再びふっと掻き消え、今度は粛清タウンホールの地下にある『ゲーム専用競技場』の天井近くに現れた。


 そこでは、すでにオセロの盤に見立てた巨大な升目が用意されていた。

 黒と白の服を着せられた人間たちが、ガタガタと震えながら、それぞれ決められた待機エリアに立っている。


 まだ、ゲームは始まっていない。

 まだ、誰も豚にも芋虫にもなっていない。


 だが、それはほんの数分だけの猶予に過ぎなかった。


「……この『間』が、一番ええよなあ」


 ワイ様は、天井近くからすべてを見下ろしながら、グラスをくいっと傾ける。


 純米大吟醸が喉を滑り落ちていく。眼下では、人間たちの喉が、恐怖でひくひくと震えている。


 ブヒブヒと笑いたくなるのを堪えながら、ワイ様は思う。


 ──世界は今日も、よう回っとる。

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