承認欲求と自意識過剰
どっちも厄介。
どうして生まれるんだろうね。
そして満たされないと攻撃に転じるのはなぜだろうね。
私にはそんなものがないので分からない。
承認欲求はそりゃあ多少はあるけど。
それよりも自虐の方が強いから、自意識過剰になってまで他人を攻撃する意味が分からないのだ。
そうでしか自分を維持できない人がいることは理解している。
ただ、過剰に話を大きくして自分が可哀そうだと演出するのはどうしてだろう。
可哀そうだね、と「よしよし」されて気持ちがいいのだろうか。
そんなものは一過性で、またさらに可哀そうな自分を演出しなければならなくなるというのに。
私の知り合いで過剰に人を攻撃する人がいた。
その人は「嘘100%の上塗り」を繰り返す人だった。
無い事をさも「ある」ように言うことで、自分が悲劇のヒロインと語った。
攻撃対象がいなくなると、次の攻撃対象を探した。
そして私はかわいそうと言った。
嘘をついてばかりで、1000人もいるアカウントのSNSでほぼ反応ゼロだった。
周りの人は、可哀そうでしょという投稿が誇張か嘘だと見抜いていたのだろうか。
今となっては分からないが、そう言う人は次々と攻撃対象を探さねばならないので大変だろうと思う。
承認欲求の塊の人はマウントを取りたがる。
自意識過剰な人は常に自分が攻撃されていると考えている。
ただあなたが過剰に反応しているだけ。
だれもあなたより優れているなんて微塵も考えていないし、誰もあなたのことなんて考えていない。
例えば職場の人。
それなりに仲が良くても、その日着ていた服や髪形を逐一覚えているか。
私はほとんど顔しか見て生活していないから、かわいいねと褒めてもその服を覚えていない。
職場の人のSNSのフォロワーが何人かなんてどうでもいいし、へー凄いねで終わり。
必死になってるの悲しすぎるので、もっと違う事に目を向けた方が良い。
承認欲求と自意識過剰は生きる上で甘い蜜かもしれないが、同時に毒でもあるのだから。
何でもほどほどがいいのだ。




