八話 軽侮と焦燥
その視線に気づいたのは、遭難から二十日過ぎた頃だろうか。
チカは、たき火を眺めていた。ほたるがなにごとか呼んだので、愛想よく返した。ほたるは、まじまじとチカの顔を見つめた。改まった様子に、チカは居心地悪くなる。
ほたるは、チカを鼻で笑った。眉を下げて、口角をやんわりと上げていた。困ったような顔だが、目には軽侮があった。
チカはその意味がすぐにはわからなかった。島での二十日が、チカから社会を遠ざけていた。しかし、チカにしみついた慣習が、チカに警鐘を鳴らした――ほたるにバカにされている、と。
――そういえば、私、今どんな顔してる?
他のことに煩わされて、チカは人間的な生活を忘れていた。ぞっとするような予感の中、チカは水場に向かった。
森の中にある水場は、澄んで美しい。そして、現在のチカの姿をあまさず映しだした。
日焼けして、肌理の荒くなった肌。眉毛は繋がり、うぶ毛とひげまで生えていた。潮風に荒れた髪は艶を失い、ばさばさに肩に散っている。
チカは水をかき消した。顔を覆い、うう、とうめく。
こんな姿になっていたなんて! なぜ気づかなかったろう。
女失格や。チカは己を恥じた。
でも、仕方ないではないか。生きるか死ぬかで精一杯だったのだ――でも――
恥と弁護をくり返し、わき起こったのは、ほたるへの憎しみだった。
(あいつ、これを見てたんや。それで、笑いよった。不細工になったって)
許しがたかった。ただでさえ思い悩むこと、わずらうことが多いのに、また悩みごとができた。一人でいても苦しいのに、人間がいる。自分の無様を見ることができる者が。
チカは状況の打開を試みた。顔のむだ毛を一本ずつ、抜いていく。それだけでは間に合わないので、貝殻や石を集め、研ぎ、肌に滑らせてみた。それらは、肉は傷つけるのに、毛には弱かった。チカの手足や脇には、擦過傷が疼いている。
(せやけど、剃刀がほしい)
抜くのでは、時間が足りない上、ある程度伸ばす必要がある。その間、ほたるに見られ、笑われるのは耐え難かった。
どうしたらいい? ――頑張るしかない。
脇の毛を無心にむしっていたら、頭が痛くなってきた。
不意に風が吹いて、砂浜がさざめいた。そこで、チカは我にかえる。辺りを見渡すと、誰もいない。そのことにほっと息をつく。これ以上、笑われてたまるか。
チカは砂浜に倒れる。ひどく疲れていた。あまり、眠れていないせいだ。船がいつ来るかもわからなくて、横になっても落ち着かない。その上、気の休まる相手といるわけでもない。ぐうぐうと寝ているほたるを見ると、顔を蹴り飛ばしてやりたくなった。しかし安全のため、それもできない。袋小路だ。
日付代わりの貝殻の群れには、十枚区切りで枝をおいた。もう、四本目の枝だった。本当なら、冬休みに入っているころだろうか。
(考えたら、あかん)
過去の生活、あったはずの日々を思うことは、チカを苦しめた。けれど同時にそれが、チカに正気を保たせていた。
苦しい、辛い。それでも、動かなければならない。生きていかねば助からない。チカは、暗澹たる息を、貝殻に吹きかけた。