第2話 掃除の基本 効果の弱い洗剤から強力な洗剤へ。
(にゅあーん、あーん・・・)
猫が鳴いてるな。子猫かな?
使用人部屋のベッドの中で、夜中に聞こえる猫の声に耳を澄ます。
小雨も降ってるみたいだ。
母猫とはぐれたのかな?
(・・・にゅあーん…)
うつらうつらしかけた時、絶叫で目が覚める。
「いやあああ!!!返してえ!!!」
ただ事ではない声に、慌ててカーディガンを羽織って、階下に降りる。
2階のお嬢さまの部屋に駆けつける。
ドアは開いていた。控室に寝泊まりしている侍女のロミーさんがお嬢様にぬいぐるみを渡しているところだった。
ぬいぐるみ?
「・・・まあ、心配したのよ?どこかに行ってしまったのかと思ったわ。私の赤ちゃん…。」
ボロボロになったぬいぐるみは、お嬢様に大事そうに抱かれている。そう、まるで本当に赤ん坊を抱くように。
「ああ。あなたにはまだ言ってなかったわね。お嬢様が叫んでも、わざわざ起きて来なくていいわ。見たことは口外しないでね。」
ぬいぐるみをあやしているお嬢様の肩を抱きながら、ロミーさんがベッドに誘導している。そう言えば、他の使用人は誰一人として来ていない。夜中の、あの叫び声なのに。
「さあさ、お嬢様、赤ちゃんも眠ったようですし、お嬢様もお休みください。ロミーがお嬢様が眠るまで付き添いますからね?」
ゆっくり自室に戻る。
4回も離婚した出戻りのお嬢さま、としか聞いていなかったので、さぞや気の強そうな30からまりの女性を考えていたが…。昼間ご挨拶したお嬢さまは、透き通るほどの白い肌と、ほっそりとした体躯。長い、流れるようなブロンドと、長いまつげ。伏し目がちな水色の瞳…。妖精かと思ったわ。しかも、まだ16歳。
ロミーと言う、30歳を少し出たか、という侍女が、離れずについている。
この人は庶民によくある茶色の髪に眼鏡。
赤ん坊ねえ…。
確かに子猫の鳴き声は、幼子の泣き声に似ている。そんなことを考えながら眠った。
翌日から本格的に仕事が始まった。
男爵邸は失礼ながら、その位にしては豪奢。調度品も高価なものを用いている。掃除は慎重に。アルミン男爵家に歴史があるとも、これといった事業をしているとも聞いたことはないが。
お嬢さまの部屋をノックして、掃除に入る。
「気にしないで掃除してちょうだい。」
ロミーさんがそう言うので、窓に寄せた椅子で外を見ていらっしゃるお嬢様に一礼して掃除を始める。ベッドのセットを終えたあたりで、来客があった。
「喜べ!エレオノーレ!お前の社交界デビューが決まったぞ。お前の美しさを最大限に引き出せるようなドレスを作ろう!」
「・・・ありがとうございます。お父様。」
お嬢さまの声を初めて聞いた。か細い、聞き逃してしまうくらいの声。美しい人は声も美しいのね。
入ってきたのはここの当主、アルミン男爵らしい。
「今回はなあ、王城の舞踏会に出る。モーリッツ公爵家の嫡男が、ようやく元婚約者を諦めたようだぞ。あの方は王位継承権第3位だ。今がチャンスだ。子爵家の嫁に甘んじてる場合じゃなかったな。ガハハハッ。」
どこ情報でしょう?と、言うか…《《どなたからの》》情報でしょう?
「・・・お心遣い、感謝いたします。」
「ああ。いい。父親として、お前の一番幸せな婚姻を探すのは当たり前だからな。仕立て屋を呼んでおこう。国一番の美女に仕上げるようにな。」
機嫌のいい男爵が出ていくのを待って、下げていた頭を上げる。
お嬢さまは…何事もなかったかのように、また窓の外を眺めている。
夕食時、隣に座ったそばかすのキッチンメイドが耳打ちする。ミミさんという。
「ねえねえ、アンタ、旦那様に気を付けなよ?若くて綺麗な子は狙われちゃうからね?前居た子も、気味悪がってやめちゃったし。」
「え?」
「アタシみたいにさ、そばかすだらけの子は興味がないみたい。アンタさ、髪型はダサいけど、肌綺麗だし…。ま、今、お嬢様の次の嫁ぎ先のことで頭がいっぱいだからしばらく大丈夫か?」
茶色の大きな目をくりくりさせて、好奇心いっぱい、という感じ?
「そういえばさあ、昨日の夜、お嬢様の部屋に行ったでしょう?行かなくていいって言われなかった?」
「はい。伺ってから、そう言われました。」
「時々あるのよね。夜、おかしくなっちゃって。慣れると平気よ。」
「・・・慣れ…。」
「一番初めはね、なんと、9歳よ?お金持ちの商家だったわ。」
「え?」
「お嬢様は小さい時からあんな風にお綺麗でね。お人形さんみたいだったの。旦那様がいいお洋服着せて、連れ歩いて…。ほら、そういう小さい子が好きなオヤジに嫁に出すわけよ。」
「・・・え?」
「16歳になるまでは白い結婚を約束させてね。ロミーさんもつけて嫁に出すわけよ。監視係みたいなもん。変な事されないようにね。」
ミミさんというメイドさんはこともなげに言いながらご飯を食べていますが…なかなかに気持ちの悪い話ですね。
「なんだかんだいちゃもんを付けて、離婚させて慰謝料を貰う。で、次は11歳。その次は13歳。で、今回は15歳で資産家の子爵家だったんだけどね、もっといい話があったんでしょう?強引に連れ帰ってきたわけよ。もう16歳になったから、社交界デビューさせて、高位貴族を狙うみたいね?」
なんだか…吐きそうなほど気持ちの悪い話ですね。
「あ、ああ、でも、赤ちゃん、と言っていましたから…。子爵殿とそう言ったご関係だった?」
「ん?ああ。」
ミミさんが口に含んだパンをスープで飲み下して、
「ないな。子爵家から帰ってきたとき、想像妊娠?っていうのになっててね。お医者さんが言ってた。それでだと思う。大変だよね、お貴族様も。」
「あの…お嬢様は…本当に旦那様の娘なんですか?」
「ん?ああ、本当らしいよ。昔、メイドに産ませた娘らしい。あんまり可愛らしかったから引き取った?引き取る、って言うより、強引に連れ帰ったみたいね。」
「・・・・・」
まあ、貴族家、あるあるですかね?
「あの…お嬢様が大事にされているぬいぐるみは?」
「ああ。15歳のお誕生日に子爵殿に貰った物みたいね。もうくたくたになったウサギのぬいぐるみのことでしょう?」
「・・・・・」
「まあ、そう言ったわけだから、旦那様に気を付けて。アンタもそばかすでも付けておくといいわよ?」
そう言って、ウィンクしてミミさんが食器を片づけに立つ。なるほどね。
次の日から、みっちりそばかすを付けて、もくもくと掃除をする。
お嬢さまの部屋には、仕立て屋が何組も呼ばれ、旦那様が自らデザイン画を選定しているようだ。お嬢様の意見などは関係ないみたいですね。
「もっと清楚に、いや、妖艶なほうが良いか?お相手は次期公爵様だからなあ。最高の物を!色は紫だ。」
楽しそうです。
お嬢さまは、膝にデザイン画をのせてはおりますが、外を眺めているようです。
6着ほどドレスを作るようです。採寸、仮縫い、と順調に進んでいきます。
旦那様がそれぞれのドレスにあった宝飾品も揃えだしました。気合が入っていますね。
お勧めのドレスをお召になったお嬢さまは…紳士なら誘わない人はいないだろうと思われるほどの美しさです。
薄い紫のドレスに、アメジスト。
タイトな胸を強調するタイプだったり、ふわりとした妖精タイプだったり…。
「やはり、清楚な感じで行くか?あの方も元婚約者なんて忘れてしまうほどの美しさだなあ。」
なるほど。わからなくもないですね。
ロミーさんとお嬢様のお着替えを手伝って、間近で見ることが出来ました。生地も最高級品の様ですね。お嬢様は請われるがままに、くるりと回ってみせますが…感情はよく読めませんね。
ドレスや小物を片づけ終わるころ、お嬢様はいつもの席で夕暮れの空を見ています。
旦那様が部屋を出て行ったのを見計らって、ロミーさんがお嬢様にぬいぐるみを抱かせています。名前は、ティー、というらしい。
「ティー?お元気かしら?」
ウサギのぬいぐるみを撫でながら、どなたとお話されているのでしょうね?
さて。
*****
春の舞踏会は出席するように、と念押しされた。面倒だが、楽しみもある。
黒の上着に金糸の刺繍。タイは優しいブルー。いつもの支度だ。
ここのところ、どうしたことか縁談の姿絵がやたら届くようになった。見てないが。
リーンハルトは自分の銀髪をかきあげると、鼻歌交じりで馬車寄せに向かう。
いつものようにパートナーは連れていない。
両親と一緒に国王陛下に挨拶を済ませると、お目当ての人を探した。
今日はやたらいろんな人に紹介される。娘を連れた諸侯の挨拶も多い。にっこり笑ってこなしていく。
ようやく会場の隅っこでお目当ての人を見つけて、うち用の控室で待つように告げる。
会場に目をやると、ダンスが始まったようだね。
奥に物凄い人垣ができている。
あれかな?
「まあ、リーンハルト様!!」
「あの、よろしかったら、私と一曲…」
にっこりと笑いながら人ごみを突っ切って、その人の元に向かう。
僕が歩いていく先に、人ごみが割れて道が出来ていく。
その先に…見慣れたこげ茶の髪と眼鏡。あれ?そばかすまでついてるね?
あ、違った。それはまた後で。
「これはこれはアルミン男爵、いい夜をお過ごしですか?」
「り、リーンハルト様、恐縮でございます。」
「お嬢様のデビューおめでとう。少し、お嬢様をお借りしてもよろしいかな?少しお話をしたいんだが?」
アルミン男爵は満面の笑み。
「おお。これはこれは光栄でございます!!ささ、エミーリア?粗相のないようにね?リーンハルト様の仰せのままにね?」
「はい。」
顔色も変えず、エミーリアと呼ばれた娘が、僕が差し出した手にそっと手をのせる。真っ白な手だね。
ざわざわと会場が騒ぐのがわかる。
感嘆と、驚愕と、嫉妬と…。まあ、知ったことではない。
チラリと見ると、この子付きの侍女が2人、後ろを付いてくるのが見えた。うふふっ。
そのまま会場を出て、控室に向かう。
それにしても…この子は感情をどこかに置いてきたような子だね。まあ、他の女の子たちのように僕に手を取られて有頂天になっているような子なら…あいつは動かないか。
ドアの前に控えた近衛に目配せして、部屋に入る。
先にソファーに座っていた男が立ち上がる。
「エミー?」
「テオフィル様?」
僕に手を取られていたお嬢さまの顔が、ぱあっと明るくなる。なんていうの?ほっとしたような?
はっとして、上目づかいで僕を見上げたその子にうなずいてみせると、駆け出して行った。
久し振りの再会になる二人の姿を眺める。手を取り合って話をしている。
「話は尽きなそうだから…僕たちもお茶にでもしようか?」
侍従が3人分のお茶を出してくれた。席をすすめると、二人の侍女はしぶしぶ座った。
「子爵が出張に出ている間に、あの父親が来て連れ帰ったんだって?」
「・・・はい。」
ガチガチに緊張してる?大丈夫だよ。隣に座った侍女を見てご覧?美味しそうにお茶を飲んでるから。
「娘に離婚届にサインをさせて、置いてきたんだろう?あの父親はそれでもう離婚が成立していると思っているんだね?」
「・・・今までのお嬢さまの嫁ぎ先は、お金持ちとはいえ庶民でしたから。どなたも反論なさいませんでしたので。」
「今回はね、お相手も貴族だし。勝手が違うのに気が付かないのかな?国にまだ離婚届は提出されていないよ。」
「では!」
「そう、あの二人は、まだ夫婦なんだ。」
小さい頃からお嬢様付きだったロミーという侍女は、目を見開いて驚いた後、安堵の表情を浮かべた。
「このまま子爵があの子を連れ帰ってもいいんだけど…また同じことの繰り返しになるよね?」
「・・・ええ。」
*****
会場に戻ると、どよめきが聞こえる。
僕は一人だし、僕の後ろには子爵夫妻。
思った通り、男爵が物凄い表情で駆け寄ってくる。
「どういうことでしょうか?」
「どう?とは?」
「リーンハルト様が…うちの娘をお気に召したのでは?」
「え?いくら綺麗な人でも、人妻に手は出さないけどね。」
「ひと…これはすでに離婚をしておりますが。しかも、白い結婚です。」
「え?離婚?していたかな?ベンノ子爵?」
強面な癖に、さっきまではデレデレしていた子爵が、顔を元に戻している。
怯えているエミーリアを自分の後ろに隠している。
「私はエミーリアと離婚した覚えはございません。義父様の思い違いではございませんか?」
怒りのあまり真っ赤な顔のアルミン男爵が、僕を押しのけようとして、護衛に押さえ込まれる。
「おお。これはこれは、噂のベンノ子爵家の新妻か?噂通り綺麗な方だねえ。近くに。」
高い席の上から、国王陛下が声を掛けて下さる。顔を上げている者はいない。さすがの男爵もあわてて平伏している。
「今のお前の事業は上手くいっているようだな。若手がどんどん意見が言える環境が出来てくるだろう。尽力せよ。」
「もったいないお言葉でございます。ありがとうございます。」
「奥方も、こ奴をよく支えるように。」
「はい。努力いたします。」
若い二人は陛下の御言葉を貰って、微笑みあっている。いいね。羨ましいよ。
「男爵もよいところに大事な娘を嫁がせることが出来て、よかったな。」
「・・・はい…。」
陛下がニヤリと笑って、僕に目配せしてくる。借りを作ってしまったな。
「ときに、アルミン男爵?うちの側近に重婚を勧めていたのか?耄碌したのじゃないか?嫡男はもうすぐアカデミアを卒業するよな?優秀らしいな。代替わりしたほうが良さそうだな?」
「・・・・・」
「まあ、楽しんでいってくれ!」
*****
「思ったより、小物でしたね。」
「ああ。子爵にも聞いたが、俺が婚約者を広く募集していると、商工会でも噂が広がっているらしい。」
「リーン様も早くいい方が、見つかるとよろしいですね。」
「・・・・・」
ロミーという侍女はあの子について子爵家に行くらしい。
「あの、ロミーさんは、エミーリアさんの母親じゃないでしょうか?」
「ん?」
「髪色と眼鏡で、人の印象はかなり変わりますからね。」
お前が…そう言うなら、そうなんだろうな。
歩いて帰ろうとしていたアーダを無理やり公爵家の馬車に押し込んで、送っていくことにした。
「今回はなんで、子爵とあの娘が思いあってるって思ったわけ?」
「うさぎの名前と…想像妊娠、ですかね?」
「?」
「どうしても婚家に帰りたかったんでしょうね。子どもさえいたら、と、どこかで思いつめていたんだと思います。」
「え?だって…。」
「そう、女性の体は不思議ですよね?どうしてもどうしても子供が欲しいと思うと、そういうふうに変化することもあるそうですよ?」
「ふーーーん。あの、お前は、その…。」
「一応、子供はどうすると出来るかぐらいの知識は持っておりますので。」
「・・・・・」
アルミン男爵家、清掃終了です。
結果として、少し強めの洗剤を使わせていただきました。お陰様で、代替わりもスムーズに行えたようです。




