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2-1

 花火が終わるころ、雨谷に彼女自身のことをいくつか聞いた。今もこの町に住んでいること、両親はすでに他界していること、様々なアルバイトを転々として、生計を立てていること、俺を探すために町中を走り回ったこと。


 自分のことを知ってもらえるのが嬉しいのか、雨谷はそれらを楽しそうに語った。あの頃の雨谷と会話しているのと、何ら変わりはなかった。


「楓くんはどうしてたの?」


 そう聞き返された俺は、雨谷が死んでから絵を描くのを辞めてしまったこと、代わりに小説や音楽に傾倒したこと、そのどれもが伸び悩んだこと、自殺しようとしたこと、そんなときに雨谷に会ったことを話した。


 話を聞いていた雨谷は、絵を描くのを辞めたと聞いて悲しそうにしていた。そんな俺の語り口が自嘲的に雨谷の目に映ったのか、「でも、ブランクを感じさせないぐらい上手だね」と、俺の手元のスケッチブックを覗き込んで、昔の様に褒めてくれた。俺は素直にその言葉を受け取ることができなかった。ただの慰めとして受け取った。


 自殺という単語を出した時、雨谷は分かりやすく動揺した。雨谷が訪ねてきたあの日の夜に自殺するつもりだったと言えば、雨谷でなくとも驚いて反応に困るだろう。自殺が他人事ではない雨谷にとってはその限りではない。


「どこにも行かないでよ」


 何かに怯えるように雨谷は言った。それはきっと、かつての雨谷が掛けてほしかった言葉なのかもしれない。死を望みつつも、心の奥底では誰かに引き留めてほしかったのかもしれない。雨谷の希死念慮に気づかなかった昔の俺は、彼女にその言葉をかけてやることができなかった。それどころか、俺は彼女の覚悟を後押しするように、まるで遺影でも残そうとしているかのように、彼女を描くことしかしなかった。


 もしも当時の俺が、その言葉を伝えていたならば、どんな未来が待っていたんだろうか。


 俺は彼女の言葉に、「そうだね」と曖昧に返した。


「楓くん、もうしばらくこの町に残るの?」


 雨谷の問いに、俺は首を横に振った。もともと、彼女の存在を確認したら帰ろうと考えていた。帰ったところで何をするわけでもないが、実家に長居すると両親にあらぬ心配をかけてしまう気がした。今でも両親は、俺が創作活動に没頭しているものだと思っている。創作の泉がとっくに枯れていることを悟らせるようなことはしないつもりでいた。


「じゃあさ、私も一緒に行っていいかな」


「一緒に?」


 問い返すと雨谷は頷く。


「楓くんとやりたいこと、沢山あるんだ」


「例えば?」


「昔みたいに、私をモデルに絵を描いてほしいな。雰囲気のある神社を二人で探して、見つかったら夕方に神社の賽銭箱に凭れてぼんやりするの。楓くんは無言でそれを描く。あのときの再現をしたい。他にもね、一緒に線香花火がしたいし、夏祭りに行きたいし、水族館デートにも行きたいし、同じ部屋に住んでお揃いのカップを買って、一緒にコーヒー飲んだりお酒飲んだり、そうして一緒に映画を見たりとか。あの夏の延長線上にあるものを、全部やりたいの」


 俺は彼女の言葉に、贖罪の機会が与えられた気がした。雨谷涼夏が自殺しなければありえたかもしれない世界。俺が彼女の希死に気づき、自分の想いを伝えられていたもしもの世界。


 それを実行することで、自分の中で雨谷涼夏の死を過去のものとして消化することができるような気がした。かつての自分を許せる気がした。


「それじゃあ、まずは家具を揃えないとな」


 俺は雨谷に微笑みかける。


 彼女が何なのか、今の俺には分からなかった。ただ今は、彼女のことを本物の雨谷涼夏だと思うことにした。きっと彼女もそれを望んでいる。



 俺は明日の朝、駅で落ち合うことを約束すると、雨谷を彼女の家まで送った。雨谷の家は同じ小学校区にあり、その場所は昔と変わらなかった。両親もいない一軒家に、一人で住んでいるらしかった。


 家に帰ると俺は風呂に入った。湯船に浸かったのは久しぶりだった。風呂から上がると母が風呂掃除に来たため、「俺が洗っておくよ」と引き受けた。母は嬉しそうにしていたが、明日の朝には出ていくことを伝えると、少し寂しそうにしていた。


 風呂掃除を終え、部屋に戻ってベッドに横たわった俺は、雨谷涼夏を想う。それ自体は、俺にとって珍しいことでもない。創作をするとき、必ず彼女の顔が最初に脳裏に浮かぶ。俺にとっての創作は、夏の記憶に閉じ込められた彼女を呼び起こすために詞を書いて音楽にし、彼女を忘れるために多様なヒロインが登場する小説を書き散らすことだった。


 そのせいか、何かを考えるときは最初に彼女を想う悪癖がついてしまった。創作をしていれば、自然と俺の頭に溶け込んで、それは文章や旋律としてアウトプットされるが、創作を辞めてしまった今は違う。そのまま地続きに、雨谷のことを俺は考え続けている。


 雨谷は一度、俺に希死を仄めかしたことがある。


 八月も中旬に差し掛かるころ、普段通り画家の真似事をやっていた俺と雨谷を、突然の夕立が襲った。俺と雨谷は急いで秘密の倉庫へ避難し、雨が上がるのを待った。


 蝉時雨が鳴りを潜める。雨脚が強くなる。不意に、窓枠の前に立った雨谷が外に手を伸ばし、降り注ぐ雨に触れた。


「楓くんは、生まれ変わったら何になりたい?」


「唐突だね」


「唐突でしょ」


 雨谷が手を引っ込める。濡れた指先から滴る雫が、コンクリート製の床に染みを作る。


「なんだろう、考えたことがなかったな」


 少しだけ考えてからそう答える。「雨谷は?」と逆に聞き返す。


「私はね、生まれ変わったら蝶になりたいな」


「蝶? どうして?」


 俺が質問を重ねると、雨谷は手を後ろで組んで俺に背を向ける。


「蝶ってね、スピリチュアルでは死者の魂なんだって。私、死んだら蝶になって、羽ばたいて、ずっと楓くんのこと見守っていたいな」


 雨谷は俺に振り向きながらそんな風に答えた。


「でも、それって生まれ変わりなのかな。死者の魂なら、まだ生まれ変わってないんじゃない?」


 俺はそんな指摘をした。すると雨谷は「あはは」と小さく笑った。


「そうかも。確かに、そうだね」


 雨谷はやっぱり笑っていた。そうこうしているうちに雨が上がった。西の空に浮かぶ雲間から、光がスポットライトみたいに降っていた。



 それが雨谷の見せた最初で最後の希死だった。なんてことのない会話かもしれないが、彼女が夏休み明けに自ら命を絶っていることを考えると、あれは雨谷にとってすぐそこにある話で、決して遠い未来の話ではなかったはずだ。当時の俺はそれを、本当になんてことのない会話だと受け取っていた。


 俺は雨谷涼夏のことをなにも理解できていなかった。

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