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1-3

 歳を一つ重ねた死に損ないが最初にやったことは、必要最低限の家具を買い揃えることだった。目が覚めたときに体が痛かったこともあり、寝具を真っ先に揃えた。とは言っても、掛布団は購入していない。夏場にそんな厚いものを掛けて寝るような馬鹿はいないだろう。敷布団と枕と、薄手のタオルケットを購入した。


 それから冷蔵庫を買った。冷蔵庫は酒とコンビニ弁当程度が入ればいいので、小さめのものを購入した。アルバイト代を溜めていたからか、資金には余裕があった。俺のような空っぽな人間の金の使い道なんて、たかが知れていた。洗濯機は買わなかった。長期的に見れば、コインランドリーを使うよりも安く済むのだろうが、死に損ないはそんなことを考えられるほど未来というものを見てはいなかった。俺はいつも、過去ばかり見ていた。


 昨日売り払ったはずのものを再度買い揃えるのは不思議な気分だった。随分と馬鹿なことをしている自覚はあった。ホテルやネットカフェを使う手も考えたが、俺は家具を買う方を選んだ。


 もしかしたら、最初から大して死ぬ気がなかったのかもしれない。死ぬ気もないのに、不満だらけの自分の人生に勝手に失望し、自暴自棄になり、情動的に行動し、死に損なった。随分と滑稽なものだ。乾いた笑いも出ない。


 俺は、結末がない物語はどれもクソだと思っていた。対して、結末がある物語は、その結末がどのようなものであれ高尚なものだと思っていた。


 花が美しいのは花が散るからで、夕日が美しいのはそのあとに暗闇が訪れるからで、蜩に郷愁を感じるのは、それが一日の終わりを教えてくれる先の短い命だからだ。すべてが終わりに向かって進んでいるから、意味を持っていた。


 俺はどうか。芽が出ることのない創作活動を延々と繰り返し、死んだように生きている。生命として死んでいないだけの空っぽのガラクタだ。そんな俺でも、終わりさえ迎えればその結末はどうであれ、自分に値札をつけることができる気がしていた。


 実際に値札をつけようとした俺は、きっと自分の結末を、数字の小さい値札を見るのが怖くなったのだ。だからこうして、のうのうと生きている。


 昨日のハプニングがなかったとしても、俺は首を括る前に怖くなって辞めてしまっていただろうと、今なら断言できる。


 つまるところ、二度と口にすることがなかった朝食を食べられている現実に、俺はほっとしていた。



 家具を買って部屋に運び込んだ後、朝食と一緒に買っていたコンビニのパスタを啜る。電子レンジは買っていなかったので、常温のまま食べた。美味しくはなかったが、この際飢えが凌げれば何でもよかった。


 一段落ついた俺は、部屋に敷いた布団で横になる。天井をぼんやりと眺めつつ、雨谷涼夏を名乗る女性のことを考えた。昨日からずっとこの調子だった。家具を選ぶときでさえ、頭の片隅には彼女がいた。少し前までは時間ができると創作のアイデアを空想していたが、創作を辞めてしまった今となっては他に考えるべきこともなかった。それに、死んだはずの人間が目の前に現れることは、どんな立場の人間であろうと考えずにはいられないはずだ。


 考えるとっても、彼女はいったい何者なのかとか、死んだ人間が目の前に現れることはあるのかとか、そもそも雨谷涼夏は死んでいないのではとか、もっとも初歩的な前提として、俺の記憶全てが何かの作り物ではないかとか、そんな文脈的な考え方はしていなかった。それらは全部、昨日の内に済ませていた。今はただただ、彼女の顔が泡の様に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返すだけだった。



 不意にスマートフォンが鳴る。画面を見る。俺は画面をスライドさせて電話に出た。


『なんだ、生きてたか。そろそろ死んでいる頃合いじゃないかと思ってたよ』


 電話口の男が言った。


「見計らったかのようなタイミングだな。ちょうど昨日、死に損なったところだ」


 俺がそう言うと、男は――日下部晴樹は息を吐くようにして小さく笑った。


 日下部は俺にとって唯一、友人と呼べる存在だった。小学生から高校生まで同じ学校に通っていた数少ない同級生でもある。もちろん、大学在学中に交流を持った同級生はいたが、その誰ともすでに連絡を取っていない。きっとみんな、俺のことを忘れているし、俺もそれを気にしたことはない。


 そんなこともあって、頻繁に連絡を取り合う日下部は友人と言っても過言ではないだろう。


 小中学生のときは、互いに関わる機会もなく、知り合い程度の関係性だった。会話はするが個人的な趣味嗜好を話すようなことはないし、事務的に言葉を交わす程度だった。


 先に距離を詰めてきたのは日下部のほうだった。高校二年のときにたまたまクラスが同じになり、昼休みに本を読んでいる俺に、日下部が話しかけてきた。俺が読んでいる本を、日下部も読んだことがあるらしかった。


 それから少し言葉を交わして分かったが、日下部と俺にはいくつかの共通項があるようだった。音楽の趣味、小説の趣味、漫画の趣味。それらを煮詰めた先にある死生観。そのどれもが、日下部と俺は近かった。結末がない物語はクソだ、という言説も、元を辿れば日下部が言い出したことだった。


 そんなわけで、頻繁に連絡をするわけではないが、定期的に連絡を取り合う仲になった。日下部が俺を何かしらのイベントに誘うようなこともないので、人付き合いが嫌いな俺にとっては気楽な相手だった。


「それで、今日は何の用だ?」


『ただの生存確認。半年に一度ぐらい連絡しておかないと、知らないうちにお前が骨になっちまう』


「それじゃあ話は終わりだな」


 俺が「じゃあまた」と話を切り上げようとすると、日下部が『まあ待て』と制止しようとする。『聞きたいことがあって』と話を続ける。


『お前、雨谷涼夏と何かあるのか?』


 その言葉に、俺は声を失う。


『その反応、ビンゴか』


「どうしてその名前が出てくる」


 俺と雨谷の関係について、日下部に話したことはない。彼の言い草から察するに、何かしら勘付いているのかもしれないが、俺はあえて何も知らない風に反応した。


『先日、雨谷涼夏を名乗る女が俺を訪ねてきた』


「……彼女はなんて?」


『お前の現住所を聞いてきた。俺は知らないと答えた。なぜなら雨谷涼夏は』


「すでに死んでいる」


『そうだ。つまり俺を訪ねてきた雨谷涼夏は偽物だ。顔は確かに、雨谷に似ている気がしたが俺は人の顔を覚えるのが苦手でな。正体の分からない人間に、友人を売るようなことを俺はしたくない』


 日下部の判断は適切と言える。彼もおおよそ、最初の俺と同じ予想に辿り着いたのだろう。死者を騙るタイプの詐欺師か何か。対処方法としては正解でしかない。


『ところで、俺はお前と雨谷涼夏の関係の方が気になる。詐欺師が雨谷を騙ってお前を騙そうとしていた可能性がある以上、お前を騙す材料として雨谷涼夏という故人は絶好の餌だったと考えられる。しかし、お前の交友関係はともかく、雨谷に知人がいるとは俺は思えない』


 俺は返答に迷った。別に隠し立てしていたつもりはないが、短い夏の初恋を語れるほど、俺は雨谷のことを自分の中で消化しきれていなかった。ただ、隠したところで日下部はきっと核心を突いてくる。そんな予感もしていた。


「……中学二年生の夏休みに、偶然仲良くなった。たったそれだけのことだよ」


 簡潔にまとめた。日下部がしばらく黙り込んでいたが、『そうか』となにかに納得したかのように呟いた。


『早めに忘れろよ』


「善処する」


 やはり、日下部は正解を察しているらしかった。



 雨谷涼夏が中学二年の夏休み明けに自殺しているのは、俺たちの世代では共通認識だった。夏休み明けの初日、全校集会が開かれた。校長はその事実と、辛いことがあるなら相談してほしいということを涙ながらに語った。不登校という予兆を放置していたのは学校側だろうと、俺はそのときに思った。理由は語られなかったが、様々な憶測が飛び交ったせいもあり、雨谷は学校の中では有名人だった。


 当時の、探偵気取りの邪推を吹聴する奴が多い空気感は、独特だった。俺にとっては非常に不快だった。


 そんなこともあってか、俺の「中学二年生の夏休み」というワードがおそらく日下部の中で引っかかったのだろう。ヒントを与えたつもりはなかったが、俺の中身を構成する材料で、一番容量を占めているのが雨谷だと日下部は見破っていた。


 日下部が言っていた雨谷を名乗る女性というのは、おそらく昨日俺を訪ねてきた女性と同一人物で間違いないだろう。日下部は完全に、死者を騙る詐欺師だと決めつけていたが、本物の雨谷、雨谷を名乗る女性両方と接した俺からすれば、あれは限りなく本物の雨谷に近かった。


 それにしても、昨日の雨谷を名乗る女性は、どうして俺の住所が分かったのだろうか。昨日は偶然、俺が扉を開けたところに彼女がいたわけだが、先ほどの日下部の話を聞くに、偶然の再会ではなく、意図して俺の前に姿を現している。


 しかし、日下部は彼女に俺の現住所を教えていない。俺は日下部と、俺の両親にしか住所を――。


 そこで一度思考が止まる。両親だ。彼女は俺の両親に訪ねたのだ。電話でなのか、対面でなのかは分からないが、日下部に会いに行っていることを踏まえると、対面で訪ねている可能性が高い。俺の家の場所を知っている同級生など、それこそ日下部と雨谷しかいない。より一層、彼女が本物の雨谷であることの信憑性が増す。


 俺は実家に、週末に一度帰ることを連絡した。大学を卒業してから帰ったことはないので、およそ五年ぶりの帰省になる。


 もともと、週末に地元に帰ったときは実家に顔を出さないつもりでいた。家庭環境が劣悪だったわけでも、親との関係が悪いわけでもないが、大学を卒業して就職もせずに、夢に飯を食わしてもらうどころか夢に時間を食わせていたことに後ろめたさがあった。


 電話に出た母は喜んでいた。食べたいものはないかと問われた。なんでもいいと答えた。

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