護衛は……
マッカート公爵との話も済まし、ルイスは城へと帰った。
護衛もすべて部屋から下げると、ルイスは薄い笑みを顔に乗せた。
「アザミ。カルミアを連れて来い」
「畏まりました」
声だけが聞こえ、気配はない。
けれど、アザミがカルミアを探しに行ったのは確かだろう。
今日、イザベルの護衛をアザミが、別邸を守る役目をカルミアが担っていた。交代制で行われるが、イザベルの護衛をする者は、ルイスからの信用が非常に高い女性の影のみ。
アザミは、ルイスの信頼を勝ち取れるだけの実力も忠誠心も持っている。
「まだそこらにいるかな? いなくても、アザミが連れ戻すだけだが……」
影といえど、失敗はある。
それはルイスも重々承知しているが、今回の件に関しては、失敗はないと確信している。
二人の実力差が顕著であり、アザミは油断をしない。
(俺が殺してもいいが、後始末も面倒だな。何より、俺が誰かを殺すとなると、イザベルが悲しむ。その事実を知ることが生涯ないとしても、イザベルを悲しませるようなことは避けるべきだ)
ルイスは、部屋の隠し扉を開けると、一つの瓶を取り出した。
中身は透明の液体で、甘い香りが少しするくらいだ。
「これで、永遠の夢でも見てもらおうか……」
(俺が直接、手を出さなきゃいい。知識さえあれば、簡単に手に入る。口に含めば毒となるものが、世には溢れている。便利だよなぁ)
鼻歌交じりにルイスは小瓶を眺めた。
翌日、決戦に挑むような気持ちでリリアンヌは家を出た。
フォーカス家所有の馬車は王都にはなく、リリアンヌは乗合馬車を利用して学園へと向かっている。
(今日、決着がつくわけじゃない。長期戦を覚悟しなくちゃ……)
馬車乗り場へ着き、今日一日の動きをシュミレーションしていると、隣に背の高い人が立った。
「おはよう」
「……おはようございます」
(何でここに?)
あり得ない人物にリリアンヌは瞳を瞬かせた。
「すまない。遅くなった」
「えっ?」
(殿下から聞いてないのか?)
(待ち合わせしてないよね?)
少しの沈黙が流れ、お互いに何となく察した。
「護衛として迎えに来た」
「ローゼン様が護衛なんですか?」
重なった言葉に、どちらからともなく小さな笑いが溢れる。
「乗合馬車で通学してたんだな」
「貧乏なので、所有している馬車が一台しかないんですよ。その馬車も領地で父が使用しています」
「……そんなに厳しいのか?」
「残念ながら……。まぁ、それも私がどうにかしますけどね!!」
(前世の記憶があるとはいえ、普通の大学生だった私にできることなんて限られてる。それでも、この世界にはないものをたくさん知っているってアドバンテージだよね。上手く知識を使って、儲けてみせるんだから)
やる気に満ち溢れた様子を見せるリリアンヌに、一瞬だけローゼンの視線に冷たいものが混じる。
「誰を選ぶか知らないが、すべて楽な道じゃないだろうな」
「……えっ?」
(誰を選ぶ? 楽な道じゃない……って、まさか……)
「私、誰かとお付き合いするつもりも、婚約する気もありませんよ。そう思われる行動をしてきたので、勘違いされても仕方ないんですけど」
(そりゃそうだよね。ハーレムエンド狙ってたんだもの。それをやめたところで、周囲からの評価は変わらない。起業したいって話も、パトロンを探していると思われたのかもなぁ……)
その事実が心にズシリときた。
そう思われる覚悟はしていたはずだった。自分で選んだ道に後悔はないはずだった。
けれど、笑顔を作るのがしんどくて、馬車が来たか確認するふりをして、リリアンヌはローゼンに背中を向ける。
「馬車、来ないですね」
声が震えないように気を付けて、丁寧に言葉を紡ぐ。
涙はまだ溢れていない。
(大丈夫、大丈夫。泣くことなんか、何一つない。だから、大丈夫……)
リリアンヌは、自分自身に言い聞かせた。
大丈夫に理由なんかない。それでも、いつも辛かったり悲しかったりした時は、繰り返してきた。
「フォーカス嬢?」
優しい声で呼ばれ、八つ当たりしたい気分になった。
けれど、そんなのは甘えだ。
(しっかりしろ)
リリアンヌは、唇を噛んだ。
それは癖になっていて、口の中に鉄の味が広がってから、またやってしまったことに気付く。
「今日は、サボるか」
「はい!?」
(何言ってんの? まじめで誠実なのが、ローゼンの売りでしょ? どうしちゃったのよ)
驚きすぎて、溢れそうになっていた涙も引っ込んだ。
リリアンヌの唇をローゼンが親指で拭う。
「悪かった」
「謝らないでください」
(ローゼンは何も悪くない。私が自分で決めたの。周りから批判されることも、彼等の婚約者を傷つけることも、罰せられる可能性も、分かったうえでやってたの。私は加害者で、被害者じゃない。私が謝らなくちゃいけない側なんだから……)
ヒロインも楽じゃない。なんて言いながら、リリアンヌも分かっていたのだ。
イザベルを救うために、他の令嬢を犠牲にしていることを。
(物が無くなるのも、コソコソ言われるのも、当然だもの。人の婚約者にちょっかい出して、何人も将来有望な男子を引き連れてるなんて、許されるのはゲームの中だけ。ここは、ゲームの中のようで現実なんだから……)
このくらいで済んでいるのは、学園に通う貴族の子息・子女が理性的で、心優しいからだとリリアンヌは思っている。
無意識に唇を噛んだ瞬間、ローゼンの指がリリアンヌの下唇に触れた。
「噛むな」
どこか責めるようでいて、優しさも含む声に、リリアンヌは視線をそらした。
「ほら、いくぞ」
そう言いながら、ローゼンはリリアンヌの手首を掴んで引っ張った。
そのせいで、リリアンヌは馬車乗り場の列から外れてしまう。
「ちょっと待ってくださいっ!!」
リリアンヌの言葉に足を止めることはなく、ローゼンは歩みを速めた。
腕を引かれたままのためリリアンヌは小走りとなり、文句を言うのも疲れてきた頃、やっとローゼンは歩みを止めた。