終章 約束
2月11日(朔)
あれからまもなく五年が経とうとしている。あの翌日、白都彰、楓、そして紫蘭は『急遽、家の事情で転校』した。紫蘭が住んでいた家にはもう誰もいなかったし、先生達に彼女達の引っ越し先を聞いても、「知らない」の一点張りだった。電話をしてもすでに解約されてしまっていた。彼女はきっと死んだ。あの日、僕を庇ったせいで。何となく、そんな予感はしていた。けれど、彼女を愚かにも信じてしまった。
彼女が死んでから、僕は彼女とは逆に『人を救う』立場になろうと必死に勉強して医学の道に進んだ。今は医者を目指し、毎日多くのことを学んでいる。
「朔くんってモテモテだよねー。そういえば、さっきお手紙が届いたよ。すごい美人さんで、この手紙を朔くんに渡して欲しいって言ってすぐに帰っちゃったけど。」
医者になるため、都会に出てきた僕は大学の寮で暮らしていた。いつも通り大学に行こうとした時、寮の受付のおばさんが僕に一通の手紙を渡した。黒い封筒。何か招待状のようなもの。送り主の名前はなかったが、異様に重かった。
「ありがとう。見てみるよ。」
鞄にその手紙を入れて、大学へ向かう。大学のキャンパス内にあるベンチに座り、手紙とハサミを取り出し、中身を見る。
中には昔人に渡したペンダントと、一通の手紙が入っていた。その瞬間わかった、これは彼女からの手紙だということを。急いで手紙を開く。教科書のような綺麗な字。これは紛れもなく彼女の字だ。
朔くんへ、
突然の手紙で失礼します。お久しぶりです、お元気でしたか。朔くんのことだから、元気にしていると信じています。
あれから、まもなく五年ですね。あの日、このペンダントを通してした約束を覚えていますか? 覚えていたら、あの日約束した場所に約束した日、午後五時半に来てください。安心してください、銃は持っていきません。
寮に押しかけてしまってすみません。これからも朔くんの益々の御活躍をお祈り申し上げます。
紫蘭
彼女が生きている――それだけで嬉しかった。彼女からのお誘いを断る理由もない。約束は三日後の五時、僕は期待に胸を弾ませながらその日を終えた。
2月14日(朔)
世間がバレンタインで盛り上がる中、僕は一人朝からずっとソワソワしていた。チョコが欲しい云々の話なんかじゃない。彼女に会えるという嬉しさから落ち着かずにはいられなかった。
「久しぶりだな、いやなんか違うよな。」
何度も会った時のデモンストレーションをする。十年も会っていないんだ、最初はどう挨拶をするべきか。質問したいことも山ほどあった。どうして僕にもっと早く手紙を出してくれなかったのか、どうしてあの日の翌日転校してしまったのか、この十年間君は何をしてきたのか。聞きたいことは山積みだった。
そして自分にも問う――僕は未だ彼女を愛しているのかどうか。答えは勿論、応だ。彼女を忘れた日などない。あれから五年も経ったんだ、また想いを伝えても良いだろうか。
「ああ、もういい。行こう。」
ここからあの海岸までは電車とバスで四時間で着く。今はまだ一時だが、居ても立っても居られず、僕は車を出して、カーナビを設定して、約束の地へ向かった。
「紫蘭?」
あの日と同じ場所で、海を見つめる女性がいた。彼女の髪は風に靡かれていた。
「紫蘭……、本当に君なのか」
「さぁ、どうでしょうね。私はあの日死にましたもの。幻かもしれませんわ」
「幻でもいい。会いたかった」
彼女に抱きつく。その暖かさは紛れもない彼女の温もりだった。彼女はすっかり綺麗な女性になっていて、より美しくなっていた。
「私も会いたかったわ」
彼女に聞きたいことはたくさんあった。だが、彼女も『依頼』があるということで質問は一つに縛るように、と言われた。だから僕は、五年前の告白の返事を求めた。
「それに関してはごめんなさい。私、結婚してしまったの。あの日、私は死んだの。白都紫蘭はあの日死んだの。父親に右肩を撃たれ、冷たい海に落ちて、溶けて。けれど、そんな私を助けたのは彰だったの。次期白都家の主の彰は私の治療を密かに行い、父に直談判して、彼と婚姻関係を結ぶことでまた殺し屋として復帰できるようにしてもらったの。彼に二つの選択肢が与えられたわ。一般人として過ごすか、紫蘭は死んだことにして新たな名前で彼と婚姻を結び、また殺し屋に戻るか。私はね、助けてくれた彰の力になりたくて、また殺し屋に戻ったの。貴方が医師になったと聞いて驚いたわ。なら尚更私は貴方の隣にふさわしくないわ」
そんなことない、と否定したかった。けれどこれも彼女が決めた人生だ。
「でもね、一つ。私の恋は水には溶けなかったわ」
彼女なりの告白に対する返事だったのだろう。それで十分だった。
「また会えるよな?」
「きっとね」
そういうと、タイミングよく迎えにきた車に彼女は乗って去っていった。本当に君は不思議な人だ。
また生きていればどこかで会えると信じて、彼女の車が見えなくなるまで見送る。
またいつか、会えることを信じて。