第三章 失敗
1.1月30日
なんだかほわほわした気分だった。あの花火大会から私たちの距離は縮まった。クリスマスも彼と過ごして、新年も彼と通話して迎えて。私は彼のことが本当に好きなのだと思う。もしかしたら、私と彼が結ばれる方法、私がこの罪から逃れられる方法があるのかもしれない。なんてこの一ヶ月考えていた。そのせいでずっと上の空で、何も手に付かない。
父に至急の用事があるから書斎へこいと言われて、重い足取りで地下へ向かう。相変わらずこの部屋は怖い。いいや、感情が戻って来たから一層恐ろしく感じるようになってしまったのか。
「紫蘭、年が変わってから依頼は他の者で回していただが、そろそろお前もゆっくり休めただろう。今夜から依頼を取ってもいいか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
依頼かぁ……、心の中で深いため息をつく。この一ヶ月と少し、ずっと朔くんと平和に過ごして来て、余計な感情も戻って来てしまった。そんな私に今までのような殺しができるのだろうか。
「資料だ。しっかり目を通しておくように。」
「はい。」
部屋に戻りながら資料に目を通す。依頼は一家を殺してほしいというものだった。一家の殺しは前から嫌だった。自分の幼い頃の境遇がつい重なってしまうから。昔とは違う今、私に本当に『完璧な殺し』ができるのだろうか。いいや、やるしかないのだが。仕方なく、なるべく暗い服に身を包み、化粧をしっかりして家を出る。手袋も忘れずに持って、ナイフをしっかり持った。銃ではなくナイフなのは標的の家が住宅街にあるせいだ。
「隣町の二条の黒い屋根の家で降ろしてください。」
「分かりました、紫蘭様」
こうやって、彼の車に乗るのもひと月ぶりだ。前は緊張なんてしなかった。でも今は何故だか手が震える。ああ、殺し屋失格だ、私。
足を洗えるならそうしたい、なんてここ最近ずっと思ってきた。けれど、拾われた私がここから逃げたいなんて言ったらどうなることか。結局生きるために人を殺さなければならない。でも、もしも彼への依頼が指名で届いたら……?
いや、そんなこと考えたらだめだ、今は目先のことに集中しないと……。
「紫蘭様、つきました。二分後またお迎えに上がります」
「に、二分! え、ええ。お願いね」
「紫蘭様、本当に大丈夫ですか。指名ではありませんし、今からでも彰様を呼びましょうか?」
「いいの! お兄様の手を煩わせるわけにはいかないわ。行ってくるわね」
今ここで逃げれば私は一生殺しができなくなるような気がして。
気配を消して、家の中に入る。ドアの鍵も音を立てず静かに開ける。多少音がなってしまったが、バレはせず、簡単に中に入ることができた。リビングに通じるドアの後ろに身を潜める。少し開けてリビングに全員がいることを確認する。
1、2、3……、あれこの家族は四人家族だったはずじゃ……?
「誰だ、お前」
背後から現れた長身の男性。おそらくこの家の父親だ。私が計算を間違えたというの? 仕事着を着ている感じから、今帰宅したばかり。どうして、どうして思い通りにいかないの? やばい、バレた……! そう思い、急いで彼の頸動脈を掻っ切る。返り血が顔にべったりつく。最悪だ。
「パパー?」
男に気を取られすぎて、背後が疎かになっていた。六歳の長男がドアを開けた。
「っ……!」
「いやぁあああああああ」
母親が息をのむ声と十歳の長女の叫び声が家中に響き渡る。いくら一軒家とはいえ、近所に聞こえてしまったはずだ。ここは早く仕留めないと。
「警察を呼びなさい! 早く!」
母親の指示により娘がスマホを取り出す。銃じゃない、今日持って来ているのはナイフだ。スマホを撃ち落とすことすらできない。目の前のこの少年を殺そうかと考えたが、計画が変わった。まずはあの娘を……、
「まま!」
警察を呼ぶ女の子を殺そうとした結果、母親にナイフは当たってしまった。娘に覆い被さるように。警察を呼ぶ時間を稼げるように、母親は身を呈した。そして、急所を外れてしまったが為に母親は痛みに苦しんでいた。
「住所は――。母が刺されて、父も! 助けてください!」
終わった。顔も見られた。震えが止まらない。どうしよう、どうしたらいいの。
迷っている暇はない。急いで母親を殺し切り、娘も殺さなければ……、
「助けてぇえええ!」
断末魔の叫びと共に二人とも死んでいった。残すは男の子。振り返ると彼はおらず、玄関のドアだけが開いていた。急ぎ追わなければ、と外へ駆け出す。男の子は家の前の道路を横断しようとしていた。それ以上いかれると光で殺す現場がみえてしまう……! そう焦っていると、一台の黒い車が男の子を猛スピードで轢いた。グシャっと人が潰される音と共に、地面には赤い液体が広がった。
「紫蘭様、早く!」
急いで私は車に乗った。騒ぎで集った人々は轢かれた男の子の亡骸や、家の中の遺体をみて叫んでいた。住民たちが私たちの車を追おうとしたが、我が家の運転手に敵う者はいなかった。そのまま家に帰るのではなく、山にある地下駐車場へと向かった。山の中は証拠が隠しやすい。男の子を引いた車を駐車場に停め、私は濡れたタオルと新しい服をもらい着替えた。合わせる顔がなかった。運転手さんの手も煩わせてしまった。こんなことなら最初から兄に頼んでおけばよかった。絶対にバレた、どうしよう。私のせいでしばらく白都家は依頼を受けられなくなる。どうしよう、私は『完璧な殺し屋』でなければいけないのに。全身が震え出す。殺されるかもしれない。
「紫蘭様、紫蘭様っ!」
はっと我に返る。どうして私はここまで弱くなってしまったのだろう。昔の私はもっと優秀だったはずだ。どうしてこんな簡単なことも出来なくなってしまったのだろう。
「紫蘭様、帰りましょう」
怒られる覚悟くらいできている。仕方のないことだ。死ぬ覚悟すらも決まった。
ああ、でも叶うことならもう一度だけ朔くんに会いたかったな。
運転手に促され、私は車に乗った。私の体はひどく震えていた。
2.1月31日
昨晩の帰宅後、家族の誰一人私に話しかける者はいなかった。ただその瞳に映るのは怒りと軽蔑の色だった。仕方のないことだ。まだ怒られないだけマシなのかもしれない。私はそのままお風呂に入って一睡もせずに朝を迎えた。朝食に毒が入っているかな、なんて思ったけれど、毒は一切入っておらず、いつも通りの朝食だった。けれど、家族の間に会話はなく、まるで葬儀を行っているかのようだった。そして私や兄弟は学校を休ませられ、午後一時、家族会議が行われた。家族会議といっても我が家だけでなく、白都家の親戚一同が集う会議で、殺しを引退したおじいさまたちもやってきた。議題は『私の処分と今後の対応』について。
「誰が逮捕されるか」
祖父がいきなり、話を始めた。確かに、白都家は捕まらない。けれど、現行犯、あるいは、名前または顔がバレてしまった時は例外だ。今回は多くの人に私と使用人の姿を見られてしまった。犯人として、私と同じ年頃の少女と成人女性を買収しなければならない。人身売買が規制されている今、そんなことをするのは本当に難しいことなのだ。
「本人達で良いのでは? どうせ、極刑だし」
一番初めに意見を出したのは、父の姉の息子。私よりも五つ年上だ。
「私もそれでいいと思うわ。確かに、美里さんはよくやってくれたけど、あの判断もよくなかったですしね。原則、失敗した者は見捨てるという規則がある中でのあの行動ですし」
そう言ったのは父の姉。かつては彼女も白都家でも父に次ぐほどの殺し屋であった。そのため、彼女の発言の重さは重く、いくら白都家を束ねる父とはいえ、それを無視することはできない。
「美里さんに罪はないです。私が全て悪いんです」
「黙りなさい! 殺人兵器じゃなくなったあんたに発言権なんてないのよ。あんたは私たちの家族じゃない。ただの拾い子なんだから」
耐えられず、意見を出したが、父の姉は私を一蹴した。私は言う通りに口をつぐんだ。
「姉さん、これは紫蘭を甘やかしてしまった私の責任でもあるんだ。紫蘭には極刑よりも重い罰を与えるべきだと思うし、私なら人を買う手配もできる。お父様、ここは私に任せてはくれませんか」
私を庇うように言ったのは私の父だった。いつも厳しい父が私を庇ったことに驚きを隠せなかった。おじいさまは少し悩んで、言葉を放った。
「いいだろう。実際今の白都家の主はお前だしな、終夜。して、紫蘭の罰は如何したら良いと思う?」
「私が思うに、確かに、紫蘭はよく活躍して来ました。ここ数年の売り上げの七割が彼女の活躍によるものだということは否定できません。指名リピート率も上がってきてはいるものの、やはり今回のような騒動は許されるべきではないですわ」
父の姉はやはり私を嫌っている。私の方を睨みながら、言葉を放っていたのだから。
「わしも彼女のこれまでの活躍は褒めよう。じゃが、今回のようなことはあってはならない。まだ白都家の純血の人間だったら許したかもしれぬ。だがこの娘はあくまで養子だ。使い古しの殺人兵器だ。そして、最近はあの冷酷さも消えてしまったと言うではないか。そんな壊れた機械など捨ててしまった方が良かろう」
そう言うのはおじいさま。父はその発言に対し、難しい顔をした。
「僭越ながら、次期主として、一つ提案があります。おじいさまは先ほど『彼女の冷酷さ』について言われましたよね。では本当に彼女からその冷酷さが消えてしまったのか確かめてみればいいのです。もし消えていなければ今回はただの不運と解決してはいいのではないのでしょうか。少なからず俺は彼女のような優秀な人材を自分の代まで残しておきたいと考えております」
白都家の多くの親戚が集まり、空気が張り詰めている中、兄は私を庇うようにそう発言した。私を庇おうとしていた父も兄の発言に目を輝かせた。
「ほう、面白い提案だな。して、具体的にはどのようにして彼女の『冷酷さ』を図るのかね?」
「それは……」
おじいさまの質問に兄は頭を抱えた。それはそうだろう、冷酷さを証明するなんて難しい。
「大切な人を自らの手で殺させる、なんて言うのは如何でしょう?」
そう言ったのは私の父。彼は私を助けようとしているのか、あるいは、私を陥れようとしているのか。本心が掴めない。
「ははっ。それは、それは面白い。確かにそれは冷酷さも測れるな。そしてそれは罰にもなるな。一石二鳥ではないか。まさかその罰を受けた本人からその提案を受けるとは思わなかったが」
おじいさまと父の姉は高らかに笑う。嬉しそうに。けれども、父は少し辛そうな顔をしていた。提案したのは彼だと言うのに。
「確か……、神城朔という紫蘭と仲の良い男子がおりましたわね。そういえば、ちょうど神城の一家にはこの騒動の少し前に依頼が来ていたような……」
父の姉が私の目を見る。やめて、彼だけは殺したくない。
「神城といえば、紫蘭の実の両親を殺せと依頼してきた家ではないか。そんなもの、紫蘭にとってみれば親の仇だろう。冷酷も何も容易く殺してしまうだろう」
おじいさまの言葉に唖然とする。彼の家族が私の親を殺すように依頼した……? 頭が真っ白になる。彼を殺さないといけなくなるかもしれないという焦りと彼の家族が私の実の両親を殺したかもしれないという憤り。感情が複雑に混ざり合う。
「おや、その顔は知らなかったのか。これは、これは出過ぎた真似を。」
おじいさまは、私の反応を見て笑っている。
「ですが。紫蘭はこの事実を知った今でも彼を大切に想っているはずです。彼を殺せば紫蘭の忠実性や、大切な人をも殺してしまえるという冷酷さが証明できるのでは?」
「確かにそうだったな、多少の恨みはあれど、親友を殺すのは酷であったであろう」
父の提案におじいさまは笑いながら頷く。そして他の親戚一同もだ。動揺を隠しきれず震えていたのは私や彰、楓だけだった。
「紫蘭、お前に二週間の猶予をやろう。二月十四日日没までに神城朔を殺せ。彼を殺せなければお前の命はない。いいか、これは指名依頼だ。白都家一同からの依頼だ。いいな?」
否、なんて言えない。
「分かりました。」
涙も止まらない。声は震え、どうしたらいいかわからなかった。
「ではこれで会議を締めるとしよう。皆、お疲れ様。」
「紫蘭……」
すすり泣きする私を兄が慰めようとしてくれたが、私はその手を払い、自室に籠った。