第二章 作られていく思い出
1.7月15日
夏の暑さも本格的になって来た頃、夏休みが始まろうとしていた。テストの成績はいつも通りの兄と満点での一位で、倒れてでも勉強した甲斐があったな、なんて思った。七月に入ると、依頼の数も半減し、一週間に二、三回のペースになった。そしてもう一つ代わったことがあるとするのなら、朔くんが私に話しかけてくるようになったことだ。今まで避けてきた朔くんだったが、あの試験の日以来「おはよう」という一言だけだけれど、挨拶をしてくれるようになった。不思議だったが、彼はどこかもう私を避けているようには見えなかった。小学校の頃は仲が良かったことだし、また話せるようになったらいいな、という風には思う。
私は別に彼を嫌っているわけでもない、小学校の頃からの不仲を解くなら今しかないと思い、学校に行ったら彼に私から話しかけてみようと決心する。
「行ってきます」
自然といつもより早い時間に出てしまった。外は暑く、半袖の制服を着ていても手をあおがずにはいられない。
「今日もあちぃな」
「朔くん、タオル要る?」
「まだ汗かいてねーよ」
前の方に金髪の少年と栗色のツインテールが似合う少女が見えた。朔くんと最近噂の『年下彼女』だろう。話しかけようかと思ったが流石に二人の間に入るわけにもいかない為、後ろから気配を消して学校へ向かった。
「おはよう、朔くん」
「うぉお! びっくりした……おはよう、紫蘭。」
教室に入る前に彼が一人になったタイミングで声を掛ける。気配を消しすぎたか、驚かせてしまった。
「ごめんなさい。お話がしたくて」
「そんなの堂々と前から話しかけに来ればいいじゃないか」
すみません、とつい口走ってしまいそうになる。だが、父に容易く謝るなと叱られたことを思い出して、
「だって、朔くん、私のこと避けるじゃない」
と素直に本当のことを言った。図星をつかれたように彼は視線を逸らす。どういう理由で彼がこれまで私を避けてきたのかは知らないがなんだかムカムカする。
「すまない、いや、避けていたというか。いや、避けていたよな。すまない。一度そんな態度を示してしまってから、どうやって君に話しかければいいのか一層わからなくなってしまって。すまない、本当に」
「じゃあ私のことは嫌いじゃないの?」
「ああ、嫌いじゃない。それは誓って言う」
なんだかホッとする。これが『安心』なのか。いいや、そんなはずがない、私がそんな感情を持っているはずがないのだから。
「むしろ……仲良くしたいというか」
少し顔を赤らめて、彼は視線をそらした。そんな様子が面白くて口元が緩む。これが『笑う』ということなのか。何故だか彼と話していると不思議な『感情』が戻ってきた。
「紫蘭?」
あまりにもいきなり感情が戻ってきた為、動揺して固まってしまう。
「あ、いや、こちらこそ仲良くしてくれると嬉しい。」
「ほんと? ありがとう」
朔くんは嬉しそうに笑った。私を避けていた日々は幻のよう。釣られて私も微笑む。自分が微笑むことのできる人間だということに自らも驚きながら。
「何、朔とやっと仲直りしたんだって?」
「なんのことでしょうか」
昼休み、一人で昼食を取っていると、兄が私の席の隣に座ってきた。あれから歌恋とは話さなくなって、というより私から話さなくなって、私はクラスでも孤立していたなんとも思わないが。どうやら歌恋は兄の彼女枠を狙っていたようで、取り入るために私と仲良くしたらしい。純粋に仲良くしたいと思ってくれていたのかと少しは期待したのだが。
「いや、朔が喜んでいたぞ。あいつお前のこと……」
「あれれ? 彰、俺お前と親友辞めようかな」
「ちっ、全く。折角俺が助けてあげてやろうと思ったのに」
兄が何かを言おうとした瞬間、朔くんが兄の口を軽く塞いだ。一応兄弟だけど、やっぱり兄はかっこいいし、加えて朔くんも同じ絵の中に入るとより豪華だなとも思う。
「そういうのはなるべく早めにな!」
「うるせー、彰!」
朔くんは頬を赤らませていた。それが暑さによる赤らみなのかどうかは知らないが、少し面白かった。そして、無自覚にもこんな日々が続いてくれたらいいのに、なんて思ってしまった。前までの私ならこんな風には思わなかったのに。
「あのさ、」
改まったように彼は私の方を向いて、
「夏休み、花火大会行かない?」
「ええ、ぜひ行きましょう」
2.7月30日
夏休みに入ってすぐ花火大会は行われた。その日の『依頼』は兄に代わってもらい、私は午前中から支度をしていた。浴衣なんて初めて着るものだから動画を見ながら一時間かけて着る。なんとか着付けが終わると、待ち合わせの時刻も迫っていた。
「お待たせ」
駅で待ち合わせだったのだが、浴衣が予想以上に歩きづらく予定より五分遅刻してしまった。
「綺麗だな……、」
照れ臭いのか視線を逸らしながら彼は私に言った。すると、
「すごい! おねーさん綺麗!」
と、朔くんの後ろ方いきなり噂の年下彼女が現れた。二人きりじゃないのか、と胸が落ち込む。これが悲しいという感情なのだろうか。
「桜! 邪魔すんなよ!」
「わかってます! バイバイ、ばか朔! 私は可愛い親友ちゃんとデートなんですー!」
嵐のようにその女の子は去っていった。
「すまない、俺のいとこなんだがうるさくてな」
「彼女じゃないの?」
「か、彼女!? そんなわけねーだろ! それより行こうぜ、せっかく露天も開いているんだし」
「うん」
彼女じゃないと聞いて安心した。安心……? 感情がおかしい。
電車に一緒に十分揺られて会場を目指す。電車内はお祭りと言うこともあって、多くの浴衣の人がいた。朔くんは、というと普段の私服でどこか残念だなーと思ってしまう。
四時にお祭りの会場に入るとすでに多くの人で賑わっていた。人が多く、一歩足を進めるのも大変だ。なるべく早く会場入りしたつもりだが、これじゃあ、花火の打ち上げの前に軽食を買うのも難しそうだ。「はぐれないように」と言って手を繋がれて、私は彼につられるようにして歩く。何十分も並んで、りんごあめや焼きそばなど、お祭りらしいものを買えるだけ買った。しかし、普段こんな人混みに行かない私は、少し人混みに酔ってしまい、彼に誘導してもらい、会場の少し離れたところにある公園のベンチに座った。
その時だった。パッと、夜空に花が咲いた。気持ち悪さも吹き飛んでしまうほどに綺麗だった。嬉しいとはこんな感情なんだと知る。人を殺してきた私がこんな幸せな気持ちを得てもいいものなのだろうか。こんな、普通の生活をしても良いのだろうか。
「綺麗」
思わず声が出る。生まれてから、こんなに綺麗な花火は見たことがなかった。というより、こんなにしっかりと花火を見たことがなかった気がする。花火大会の日にはいつも決まって、人を殺していたから。花火の音に人の叫び声を隠すかのように。
「紫蘭、」
花火がクライマックスに近づいてきた頃、優しい声で朔くんは私の名前を呼んだ。
「なに?」
花火のせいで彼の言葉は聞こえなかった。けれど、その口の動きで彼がなんと言いたかったのかはよくわかった。
『好きだよ』
花火の効果もあってより胸が高鳴る。とにかく嬉しかった。けれども、私は殺人鬼で、私は彼なんかと釣り合わない。
——私も好きです。
そんなことなんて言えなかった。だから私は、その言葉が聞こえなかったふりをした。
「は、花火、綺麗だね」
話題を逸らす。「そうだな」なんて朔くんは私に共感した。本当に彼が私を好いていることは嬉しかった。けれども、私は一生をかけても許されることのない罪を重ねている。私が恋人を持つことなんてあってはならないことだ。彼に罪悪感を覚えつつも、これで正しいのだと自分に言い聞かせた。