時計なんか気にしない (なろうラジオ大賞3、2021年12月)
記録を目指せるレースなのに時計を忘れてしまった。
なろうラジオ大賞3の「時計」題で書きました。
私はしがない市民ランナー。
小さな町の草レースに出た。参加者を増やすべく親子部門があるような大会だが、子供が小学校に上がった程度の若い「元」実業団の選手も複数走るような、そこそこレベルの高い大会。参加者の少ない10km部門は親子部門の親も混じって走るので、私のようなノービスが記録を目指すには丁度良い。
私にとって10kmは長丁場、ペース配分が絶対だ。今日は600m地点から長い下り坂の代わりに、それがそのまま後半の登りとなるから、特に気をつけるべし。500mマークでのタイムでペース調整をしないと、後半が大変なことになる。
なのに腕時計を忘れてしまった。スマフォに慣れすぎたからだ。気が付いたのはスタート直前。ヤバい。
草レースなので、前に並ぶ人数は少ない。
スタート。私以外の誰もが、ストップオッチを押すべく、時計に目を落としている。
時計のない私は、100m走のように全力で前の人を抜き、群衆から抜けることに成功した。その勢いであっという間に先頭集団に追いつき、気がついてみれば先頭をぶっちぎりで走っていた。
セミプロも走っているんだよね? そう思うと思わず笑みがこぼれる。500mのマークが見えるが、腕時計が無いから、想定タイムに縛られない。オーバーペースのまま下りに入って2km地点まで先頭を維持した。
横から有名選手が抜いて行くが、毒を食らわばだ。もう少し無理をする。
給水地点。受付で知り合ったばかりの人が、先頭集団8人に混ざる僕を見てビックリ顔だ。ここまで頑張った甲斐があった。時計がなかったからこその、怪我の功名だ。
その後、ヘロヘロになったものの、ゴールも自己ベスト近くで悪くない。それよりも、無理のお陰でサポートの人と長い雑談が出来たことが嬉しい。
この日以来、スマフォを使っていない。知り合った彼女とはパソコンでやり取りしている。時計が無いから頑張れた、という話から、それならいっそのことスマフォを止めれば、となったのだ。
スマフォの無い生活は、時間がゆったりして、心に余裕が出来る。歩くときは歩くことに専念し、SNSを心配することもなく、情報も重要なものしか入らない。
彼女とのやりとりだって、即座に返信する必要はないから、ゆっくり考えて返信できて、誤解が拡大することもない。こうして生涯の伴侶を得た。
時計を捨てよ。スマフォを捨てよ。その教訓を我が子にも贈りたい。
いくつかボツになったあと、結局、実話を下敷きにした(現実はこんなに甘くありませんが)、あまり変哲のない誰でも書けそうな話を投稿しました。余りにも青春していて、書いててちょっと気恥ずかしい。