序章
「それでお前、ぶっちゃけ誰狙いなんだ?」
沖田翔太郎が、ニヤついた顔をしながら隣に腰を下ろした。荒草羊は不意をつかれたようにぽかんと口を開け、それから視線を前方へと戻した。二人の視線の先には、うら若い女性陣が、潮風に髪を靡かせ優雅にくつろいでいる。
羊は今、海の上にいた。船旅自体、もう何年振りだろうか? ゆらゆらと揺れる足元が心許ない。
「うちのゼミの四大美人の中で、よ?」
沖田が声を潜めた。四大美人と言っても、女性陣は四人しかいないのだから、当確の選挙みたいなものである。だが、ここでもし三大美人などと口にしようものなら、恐らく大炎上してしまうことは容易に想像がつくので、羊は黙って頷くだけにした。羊の所属する由高ゼミは全部で六人だった。男は羊と、その隣にいる沖田の二人だけ。元々文化学部というところは、入ってみて気づいたのだが、圧倒的に女子が多かった。
「やっぱアレか? 正統派クール系美女の黒上か?」
そう言って沖田が羊の脇を小突く。自然と視線が黒上風音の方に流れた。風音はデッキに備え付けられた椅子に腰掛け、ゆったりとした姿勢で海を眺めていた。腰あたりまで伸ばした黒髪。陶器で出来たような白い肌。清潔感のあるカッターシャツが良く似合っていた。
切れ長の目と整った鼻立ちで、大学内でも特に人気が高い。ついこの間も、ナントカというチャラい先輩が風音にアタックし、見事玉砕したばかりだった。それでついたあだ名が”カミカゼ”である。
「それともあっちか? 古典派妹系アイドル・麻里ちゃんか?」
次に沖田がイヤらしい視線を投げかけたのは、小柄な、ショートボブの住吉麻里だった。一見して小学生と見間違うような背格好で、だがもちろん、彼女も大学生である。タンクトップにショートパンツという扇情的な服装も、よりあどけなさを際立たせていた。
大変な甘え上手で、彼女のあざと……いや人柄の良さに骨抜きにされた男子は後を絶たない。彼女につけられたあだ名は、”カラマリ”だった。イタリア語で”イカ”という意味である。
「もしかして、この調子で全員やるつもりなの?」
「まぁまぁ。残り二人なんだから。『二大美人』じゃ中途半端だろ」
羊が呆れたようにため息をつくと、沖田は嬉しくてしょうがない、と言った具合で、ますます顔を綻ばせた。こいつ、僕があえて言わないでおいたことを平然と……そこに痺れもしないし憧れもしないが、悪のカリスマみたいな顔をした沖田が、残りの二人、”エース”と”キテレツ”について弁舌を振るった。
一条英里奈、英里姉は四人の中じゃ一番背が高くて、一番年上で、明るく元気なしっかり者の姉御肌だ。バレー部のエースだし、そんじょそこらのモヤシ男よりよっぽど筋肉あるから、なんつーか、男子より女子にモテる感じだよな。多分、うちのゼミで一番腕相撲が強いの、英里姉なんじゃねえの?
それから忘れちゃいけないのが不思議ちゃん、井手蓮ちゃんだな。ほとんど喋らないし全然目立たないけど、あの子メガネ外したら超絶可愛いって知ってた? これ、マジなんよ。やっぱ髪上げるべきだと思うんだよなー。ああ言う大人しい子が、俺の前だけじゃ”女”になるって想像してみろよ。ひひひひひ。
「ひひひひひ!」
「…………」
……こいつは大学のゼミに、夜這いでもしに来ているのだろうか? 下卑た笑みを浮かべる沖田を置いて、羊はおもむろに立ち上がった。船は、もうすぐ目的の島に着くはずだ。沈魚落雁閉月羞花に、くだらないあだ名をつけて遊んでいる場合ではない。
「夜までに誰がみじょかなんか、ちゃんと考えとけよ! せっかくのチャンスなんだから! 人里離れた秘島で、美女と果物に囲まれ束の間のバカンス! こんなとこでまごついてちゃ、もったいないぞ。人生もったいない!」
「分かった、分かったよ……だから手ェ離せって」
「おぉい! お前ら! 何やってんだ!? もうすぐ下船だぞ!」
「「別に何も」」
英里奈が向こうから声を張り上げて来たので、二人は揃って愛想笑いを浮かべた。ちなみに男子勢にはあだ名すらなく、大抵「おい」とか「お前ら」とかで呼ばれる。
そして今回の船旅の目的はバカンスでも夜這いでもなく、由緒正しい大学の、由緒正しいゼミのフィールドワークだった。
テーマは、「九州西部・八十八島における民間信仰と人身御供の歴史について」。