聖者リュート_12
それからリュートは教会で子供たちに勉強を教え、また、時にはシスター・エメリアに頼まれた仕事をこなし、日々平穏な時を過ごしていた。
最初の頃はリュートと子供たちの様子が心配で私も手伝いに行くことが多かったのだが、彼が子供たちと上手くやれていることがわかってからは、薬草採取や薬作りのために自分の時間を割くようにしていた。
そんなある日のこと。
私はスヴェンの店に約束の傷薬を納めて、家に戻ろうとしたところで見知らぬ女性たちに声をかけられた。
「ねぇ、あなた教会の方でしょう?」
十七、八歳くらいだろうか。三人の女性のうち、マロンブロンドの勝気そうな女性が声の主のようだ。
薄手の上品なブラウスに丁寧に編み込まれた髪。どこかの貴族のご令嬢とその使用人のように見える。
「私に何か御用でしょうか?」
「あなたに聞きたいことがあるのだけれど」
「私でわかることでしたら、なんなりと」
私は軽く膝を折り、高貴な人に対する略礼をとる。
「以前、あなたと一緒に街を歩いていた殿方が、どちらにいらっしゃるのか教えてくださらないかしら?」
あぁ、なるほど。これはリュートの魅力にあてられたお嬢様だ。
そういえば子供たちに勉強を教えるようになってから、リュートはあまり街に出ていない。
これまで遠巻きに彼の姿を見ていた女性たちの中で、彼への関心が抑えきれなくなったお嬢様がリュートの所在を知りたくて声をかけてきたのだろう。
「リュートなら、今は教会で子供たちと一緒にいるはずですが」
「まぁ、あの方はリュート様とおっしゃるのね!」
お嬢様の声のトーンが一段高くなる。
リュートの名前を口にしながら、どこかうっとりする姿は恋する乙女そのものだ。
「リュート様、さぞ高貴なお方なのでしょうね。一体どちらの家の方なのかしら?」
「彼は神に招かれた転生者です」
「転生者ですって!」
驚いて目を見開くお嬢様とその使用人たち。まぁ! どうしましょう? とばかりお互いに顔を見合わせている。
「はい、リュートは間違いなく転生の門からこの世界にやてきた転生者です。元の世界でのことはよくわかりませんが、初めてこちらに来られた時は、タカハシ・リュートと名乗っていました」
「やはり家名をお持ちなのですね。きっと異世界の貴族の方に違いないわ!」
「あのように美しい方は尊い身分の方に違いないと私も思っておりましたわ! お嬢様」
リュートのいた異世界に貴族はいないのだが、それを説明するためには、まず異世界の常識から先に話をしなければならない。
正直とても面倒なので彼女たちの誤解はそのままにしておくことにした。
家名があることは事実だし、嘘はついていない。
「教会に行けばリュート様がいらっしゃるのね。よく教えてくれたわ」
彼女はそれだけ言い残すと、名乗りもせずにきびすを返してその場から立ち去っていった。
どちらのお嬢様だろうか。
そういえば貴族たちがこの街で過ごす季節が近づいている。気の早い家のお嬢様が、どこかでリュートを見初めたのかもしれない。
面倒なことになりそうだが、女性相手ならリュートは上手くやるだろう。
雨が降り出しそうな空を見上げて、私は家までの道のりを急いだ。
それからまた数日経ったある日のこと。
薬草を摘んで森から戻ると、教会の門の前にまた幾人かの見知らぬお嬢様の姿があった。
彼女たちは教会の敷地に入ることなく、リュートの姿を一目見ようと外から遠巻きに様子をうかがっている。
「あの、教会に何か御用でしょうか?」
私が後ろから声をかけると、彼女たちは驚いてこちらを振り返り、あわててその場から立ち去っていった。
教会に戻ってシスター・エメリアに先日からの話をしたところ、実は最近、他にも同じように教会を覗きに来る女の子たちがいるとのことだった。
「教会の門はすべての人に開かれているのですが、どうしてみなさん中に入っていらっしゃらないのでしょう」
シスター・エメリアが大きくため息をついた。
「きっとみんなリュートが目的で、神や教会には用がないからでしょう」
「言いにくいことをはっきり言いますね、トゥエ」
「残念ながら事実ですから」
二人で大きくため息をついたところに、子供たちから解放されたリュートがやってきた。
「おつかれさまでした。リュート」
「おう、シケた顔してどうしたんだ? トゥエ」
「今日もありがとうございました。リュートさん」
「あなたにお礼を言われることは至上の喜びですよ。シスター・エメリア。ところであなたは憂いた顔もお美しいですが、何かお悩みがあるのですか?」
一瞬で言葉遣いと立ち振る舞いを変えることができるリュートのそれは、もう一種の特技といっていい。
「悩みの種はあなたですよ、リュート」
「え? オレ?」
自分で自分を指さし、なにやら心当たりがあるのかリュートは焦った様子だ。
「やっぱアレか! ロメロのヤツに年上の落とし方とか教えたのがマズかったか?」
「勉強にかこつけて一体子供に何を教えているのですか?」
「勉強は勉強だろ? アレだよ、社会勉強ってヤツ?」
「それはそれで新しい悩みの種のような気がしますが、今回はそうではありません」
「ん? オレなんかやっちまったか?」
「リュートが何かをしたというより、あなたに好意をもつ女性たちが時々教会の周りに集まっているのです」
「それが何の問題なんだ? 別にいいじゃないか。教会って誰でも入れるんだろ?」
「ええ、折角教会に足を運んでくださったのですから、少しでも神様のことを知っていただけたらと考えているのですが、みなさん教会の者が声をかけると立ち去ってしまわれるのです」
はぁ、とシスターエメリアがまた一つ深いため息をついた。
「みなさん、リュートのことは気になっているのですが、教会や神様には何の興味もないようですね」
「なるほどな」
話を聞いたリュートは腕を組み、思案をはじめた。
真剣に考えを巡らせているのだろう。リュートの顔にいつも軽薄な微笑みは浮かんでいない。
「シスター・エメリア、一つ確認したいんだが、あんたはオレを見にやってくる浮ついた連中を教会から追っ払いたいわけじゃないんだな?」
「ええ、そうです」
シスター・エメリアが深く頷いた。
「理由はどうあれ、あの方々は教会を訪ねてくれたのです。そこには必ず神の導きがあります」
「ぶっちゃけ、やってくる連中が、神様とか信じてなくてもいいのか?」
「信仰は他人に強要されるものではありません。神を信じていない人々が教会に来て、わずかでも神の存在に触れることができるのなら、たとえ信仰に至らなくてもそれだけで素晴らしいことなのですよ」
「了解」
シスター・エメリアに対する言葉遣いが素に戻っていることに、彼は気がついているのだろうか。
リュートは今、彼女に彼自身の素直な言葉で話をしている。
「あと、もうだけ一つ確認したいんだけど」
「なんでしょう? リュートさん」
「オレは神様ってヤツを全く信じてない。だけど、神様を信じてる人を馬鹿にしたくはないんだ」
シスター・エメリアはじっと黙ってリュートの次の言葉を待っている。
「なぁ、あんたの前でオレが神様を『信じてるフリ』をしても、許してくれるか?」
リュートは神の前で罪を告白しているかのようだ。
シスター・エメリアはリュートのその言葉になんら動じることなく微笑むと、ゆっくりと大きく頷いた。
「リュートさん。神を信じたくても信じることができない人に、私たちがどうするかご存じかしら?」
「いや、知らねぇ」
「まずは信じるフリをしなさい、と教えるのですよ」
「マジかよ!?」
信じられないものを見る目でリュートはシスター・エメリアを凝視している。
「ええ、ですから、リュートさんも遠慮せずどんどん信じるフリをなさってください。そのフリはいつしか神に導かれて、真の信仰になると私は信じています」
「……マジか。なんか宗教すげぇ」
リュートはどこかあきらめ顔になっている。
「そんなことをわざわざシスター・エメリアに話すということは、リュートには何が考えがあるのでしょう?」
「おぅ、わざわざオレに会いに来てくれる連中がいるんだろ? 折角だから会えばいいんじゃないかと思ってさ」
「教会で、ですか?」
「そ、教会で」
リュートはいたずらっ子のようにニヤリと笑った。
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