聖者リュート_09
大通りにあるトノヴァ商会は、トーアの街で一番大きな商店だ。
豪奢な外門から商会の敷地に入ると、目の前に見える建物の入り口は左右二つに分かれており、その先が店舗になっている。
日用品などの買い物は左側の入口、右側の入口は家具や宝飾品などの高級な品を扱う一廓に続いており、そちらの扉の前には常に店員が立ち上客の案内に勤しんでいる。
私は自由に立入りできる左側の扉から店に入り、くるりと店内を見渡した。
……いた。
広いカウンターの向こうに算板をはじくタニアの姿があった。
最後に会ったときに柔らかなウェーブを描いていた彼女の髪は、今は短く整えられ、子供の頃のようにくるくるとした巻き毛に戻っている。
声をかけようとしたが、また彼女に拒否されたらと思うと、どうしてもそれ以上近寄ることが出来ない。
古い記憶に引きずられ、声をかける勇気のないまま彼女の方をじっと見ていたら、タニアがふと顔を上げた拍子に目があってしまった。
「トゥエ?」
「……ひさしぶりです。タニア」
タニアのいるカウンターの前まで、震える足を進める。
私は今、上手く笑えているだろうか?
俯いたままでちゃんとタニアの顔を見ることができない。
「本当に久しぶり。……時々街で姿は見かけていたけれど、元気だった?」
「はい、おかげさまで変わらず元気にやっています」
「あなたが変わらずっていうと、本当に変わってないから返事に困るわね」
「!……ごめんなさい」
彼女の声に身体がこわばり、反射的に謝罪の言葉が口から出た。
「違うの! 謝らないでトゥエ! 謝るのは私の方でしょう」
切実な彼女の声に、勇気を出して顔を上げる。
そこには少し困ったような笑顔のタニアがいた。
彼女は昔と変わらず美しかったが、重ねた年齢のせいで微笑んだ顔の眼尻には何本もの皺ができている。
「謝らないといけないのは私の方でしょ。あの時、あなたに酷い態度をとってしまって。本当にごめんなさい」
なぜだろう? 今まで彼女に厭われているとばかり思っていたのに、逆に謝られている。
タニアは私に謝罪すると、あの時のことを話し出した。
彼女の二人目の子供(名前はリズというらしい。女の子だった)は難しい子で、赤ん坊の頃は四六時中泣いてばかりいたそうだ。
最初は彼女の夫もタニアとリズのことを気遣っていたのだが、しばらくすると家を空けることが増えはじめ、また、夜遅くに戻ってきたと思えば、時々酒に交じって覚えのない香水の匂いがしていたのだという。
「あの時はね、主人は帰ってこないしリズは泣いてばかりだし、このままだといつか私も子供もあの人に捨てられるんじゃないかって、とても怖かったのよ。そんな時にいつまでも若くて変わらない姿のトゥエを見たらね、もう自分で自分の気持ちがどうしようもなくなって、あなたに酷いことを言っちゃったの。
あれから街でトゥエを見かけたとき、何度も謝ろう、って思ったの。でも、声をかける勇気がなくて」
「タニアは……タニアは私のことが嫌いになったのではないのですか? こんな私のことが気持ち悪くはないのですか?」
「そんな訳ないじゃない! そりゃトゥエはいつまでも若いからすごくうらやましいし、正直ちょっと妬ましいって思ってるけど、気持ち悪いなんて思ったこと一回もないわよ! あなたのこと嫌いな訳がないじゃない!」
上手く声が出ない。
私は今、笑えているだろうか?
「そうだったのですね。私、自分がこんなのだから、タニアに嫌われたんだって。みんなと同じように歳をとらないから、私が気持ち悪いから、タニアに嫌われてもしょうがないんだって……ずっと思ってて……」
「ちょっと! トゥエ! あなた泣くか笑うかどっちかにしなさいよ」
「そういうタニアだって泣いてるじゃないですか」
「あたしだって、トゥエに酷いこと言ったから、あんたに嫌われちゃったって、ずっと思ってたのよ。それなのに、トゥエがそんな風に自分のせいだって思ってたなんて、全然知らなかったんだから! ごめんね! 本当にごめんね」
お店の中で、人目もはばからず二人で笑いながら泣きじゃくる。
他のお客からの視線を感じるが、そんなことはどうでもいい。
あぁ、こんな簡単なことだったのか。
私もタニアも、ほんの少し勇気を出してちゃんと話せばよかっただけなのだ。
二十余年ものわだかまりが、感情の波にのまれるように一気に溶けていく。
「なんだか莫迦みたいね。私たち」
「ごめんなさい、私がもっと早くタニアに話しかけていれば」
「そうじゃないでしょ。もともとは私があなたに八つ当たりしたのが原因なんだから。そうやってすぐ謝るの、トゥエの悪いところよ」
「ごめんなさい」
「だから、謝らなくていいんだってば」
「ごめんな……」
「はいはい! そこまで!」
タニアの指が私の唇にあたる。
「それより、あなた用があってここに来たんでしょ? こっちの店には今まで来なかったのに」
「実は、石板を探しているの。スヴェンさんが、こっちの店になら置いてるからって」
「石板? あんまり出ない品だけど、在庫はあったはずだから。少し待ってて」
そう言って、タニアは店の奥から石板のはいった箱を持って出てきた。
「で、いくつ必要なの?」
今、教会にいる孤児は七人。教会にも使えそうな石板が二枚か三枚はあったはずだから、五枚あればいいだろう。
薄いものとはいえ石版五枚は重いけれど、ここから教会くらいまでならなんとかなるはずだ。
「五枚おねがいします」
「わかった、五枚ね。でも教会でそんなに沢山の石板を一体何に使うのよ?」
「子供たちにね、勉強を教えてくれる人ができたの」
「へぇ、奇特な人もいるものね。一体誰なの? どこかの貴族の道楽とか?」
「新しくこっちにやってきた転生者の方ですよ」
「転生者ですって?」
「はい、名前はリュートといって、とても優しい方です」
「そうえば少し前に遺跡のある山が光ったって聞いたけど、本当に転生者ってやってくるものなのね」
「私の父だって転生者でしたよ」
「トゥエのお父さんは私が生まれた時にはもうここの人だったし、そういえば、あんまり転生者とか意識したことがなかったわ」
「新しい転生者のリュートも、すぐにみなさんと馴染んでそうなりますよ」
「ところでトゥエ。石板、重いでしょ? 私が半分教会まで持っていってあげようか?」
「そうしていただけるとありがたいけれど、お店の方はいいのですか?」
「大丈夫よ。配達だって言えばいいから」
タニアはてきばきと石版に紐をかけながら他の店員に仕事の指示を出し、あっという間に自分が出かける算段をつけていた。
「本当によかったのですか?」
「気にしないで、遠慮しすぎるのもトゥエの悪いとこよ。本音を言うと、配達を理由に私が転生者を見に行きたいだけなんだから」
ありがとう、タニア。
私は教会に着くまで、あなたと話せる時間が増えたことがうれしい。
それを言葉にしようとすればまた涙がこぼれそうで、私は『早くいきましょう』と、急かす彼女の後ろを黙って追いかけた。
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