4.
一粒零れた涙を皮切りに、わんわん泣いた。そりゃあもう泣いた。プラス二十年ばかしの年齢がふと頭によぎったが、それも見ないふりをして泣いた。
こんなときでもアムは慰めに来てくれなかった。この薄情者!
死の間際に経つことがこんなに怖いことだって、知っていたはずなのに。でももっと強大な力によって奪われそうになる瞬間は、こんなにも恐ろしいのか。
泣きすぎて重たくなった頭は自然と意識を眠りに落とし、私が次目覚めたのは自室だった。
ぼんやりとした視界に映ったのは輝かしい翡翠と、碧。次第に明瞭さを増すそれは、涙を浮かべている。
「おかあさま……? おとうさま……?」
「エヴァ!」
母は私を抱き締めると、その涙を拭った。安堵なのか、残る不安なのか。瞳はまだ揺れているものの、状況を説明するように父が口を開く。
「エヴァ、君は幸運な子だね。木が君の方に倒れなくて済んだのは、君の好奇心のおかげかもしれない」
私があの場に行く選択を取らなかったら、私とあの子の方に木が倒れていたかもしれない。
父はそう言いたげに優しく私の頭を撫でた。
選択肢が出てきて、行く行かないを選んだ訳ではない。一挙手一投足もセーブ前後には選択だったことになりうる。そんな恐怖という感情が私をまた襲った。つまりは人を生かし自分が死ぬ可能性も、自分を生かし人を殺す可能性もあるということだ。今回は二人とも助かった結果になっただけで、どちらかが死んでいた可能性もまたある。
もしももしも、を考えていても仕方なくはあるよ。でも、だってだってになってしまうのだって仕方なくない?
「あの子は無事ですか? 腕の怪我は?」
「無事だよ。エヴァがすぐに動いてくれたおかげで、後遺症も残らないそうだ」
「よかった……」
「エヴァ。あの子について、詳しく聞かないのかい?」
父が困ったように眉を下げる。聞いて欲しくないこともわかるし、説明しない訳にもいかないこともわかるその表情に、私もまた困ったように首を振った。
木を薙ぎ倒せる力を持つ少年が急に現れたんだから、聞きたいことなんて本当はたくさんある。でも我慢するのは、下手を踏むとまた何かが選ばれてしまうということがわかったからだ。
「いいんです。話せるときで」
「危機を回避するには、危機の原因を知らなければならない。今度エヴァが同じ状況に遭って、無事とは限らないだろう?」
「それはそうですが、話せないんでしょう?」
「あの子については詳しく話さない。でも何が起こったのかは話せる」
父はベッドに腰かけると、母に席を外すよう目線を投げた。母は私の頭を父と同じように撫でて、不服そうに部屋を出ていく。
父は私に向き直り、ほんの少し息を吐いたかと思うと私の瞳を見つめた。私とそっくりのその青い宝石は、どこか悲しそうに憂いを帯びている。
「あれは、魔法だ」
父は神妙な顔つきでそう告げた。
ああ、魔法って本当に存在するんだ。
初めて見る魔法で死にかけるって、つくづくついてない奴だ、私。
ぼやけた耳はそんな情報しか脳みそに出力してくれない。
「エヴァは勉強が好きだから知っているかもしれないが、魔法の属性はほとんどが瞳の色で変わる。ここまでは大丈夫かい?」
「はい、知っています」
「私やエヴァは水や氷、マリーは草花。そしてあの子の瞳、赤い目の人間が操るのは、」
そこで父が言い淀む。これを幼き私に教えることを躊躇うその姿に、プラス二十年くらいの歳を重ねている私はもどかしさを感じてしまった。
「大丈夫ですから、お父さま」
続きを促すように父の袖を摘むと、意を決したように父は語る。
「……赤い目が操るのは、『火』だ」
火。確かに赤と言われたら火だが。そんなにおどろおどろしく語る程のものではない、と思うんだけれど。
もしかして特別な血筋にしか出現しないとか? もしかしてあの子って、ゲームの主人公?
わくわくしたのも束の間、父はとんでもないことを口走る。
「厄災の赤。エヴァはまだ知らないかい? 本に出てこなかった?」
厄災。超悪い言葉だ。それくらいはオタクくんでもわかる。
赤は主人公の色だとは思う。が、同時に悪役が赤い目をしていることも少なくないこともわかる。
やっぱり私は悪役令嬢サイド?
「出てきてない、です」
「いつかちゃんと教えるけれど、赤い目を持つ魔力の持ち主は……特別で、忌み嫌われている」
「じゃああの子は……?」
「動転してて気づかなかったかな、あの子は赤い瞳をしているよ」
父は事も無げに話そうとしているようだったが、私が引っかかったところはそこではない。
「いいえ、あの子は特別で、……そして忌み嫌われているのですか」
「……悲しいけれどね」
父はそう言うと、手のひらを上に向けて何かを呟いた。ふわり、空中に水の玉が浮かぶ。ああこれが魔法なのかと再度認識する前にその水球は弾け飛んでしまったが、父は悲しそうに笑って「魔法はおとぎ話みたいにいいことばかりではないよ」と言った。
「彼に関して今教えられることは何もないけれど、君の想像している通りなのかもしれない。だからね、エヴァ」
「仲良くしてはいけないのですか」
父の言葉を待つより先に、ほんの少しの苛立ちが口から飛び出た。
好きで、あの子はそんな風に生まれた訳じゃないのに。
怒りなのだろうか、それとも同情や哀れみなのだろうか。
どちらにせよそれは気持ちいい感情ではない。
「いいや、その逆さ。仲良くしてあげて欲しい」
そう力強く返ってきた言葉は、私の予想外の答えだった。てっきり危ないから近づくな、なんて言われるかと思っていたのだ。
控えめに言っても、父も母も私を溺愛しているたった一人の娘である。間違っても命の危険を許すとは思えなかった。が、しかしである。
「あの子も反省、していると思う。それにまだこの屋敷に来たばかりなんだ。アカデミーにそのうちに入学してしまうけれど……それまで仲良くしてあげて欲しい」
「いいん、ですか?」
「ああ、もちろん。でもエヴァ、君も魔法の訓練をしよう」
なんという急展開。たった一度のセーブとイベント攻略であまりにも展開が進みすぎではなかろうか。
父は私が「仲良くしたい」なんていう態度をとったことが嬉しかったのか、少しだけ揚々と話を続ける。
「自分を守れたら、きっと彼のことも守ることができる」
「では一緒に訓練するのはダメですか?」
「一緒にって言うのは、彼と?」
「はい。そしたら少し、自分のことを好きになれる気がします」
それは彼の為にであるようで、本当は私の為だけれど。それでも自分のことも周りのことも大嫌いなままよりも、少しくらい好きでいられた方がいいと思った。そんな本心が父への提案として飛び出たのだ。
「そうか……そうだね。じゃあ先生を探しておくよ。今日はゆっくり休みなさい」
「はい、ありがとうございますお父さま」
もう一度私の頭を撫でると、父はそろりと私の部屋を後にした。
調べなければならないことがたくさんあるが、情報量のせいで今は眠たい。
ゆっくり瞳を閉じると、私はまた夢の世界に意識を追いやった。
「エヴァは、もしかしたら皇帝に連れられてしまうかもしれないのでしょうか」
女は言う。その瞳から憂いが拭えた様子はなかった。対して男も先程の威勢はどこへやら、不安げに俯くばかりである。
「厄災の赤。その強大な力を優しさの為に彼が使ってくれるだろうか。私の手が遅すぎたかもしれない。そして、エヴァが皇帝に利用される理由は十分に……」
「ダニー、私は可愛い一人娘を皇国の犠牲にする為に産んだんじゃないわ」
「わかっているよ」
翡翠の瞳を持つ彼女は草木、花、そして大地から愛された女であった。
それ故に気性は大人しく、優しく、穏やかであり、滅多に怒ることなどない。そんな彼女がである。愛する夫に怒りを向けたのは、二人が結婚してから初めてのことであった。
「もう少し見守ろう。私達のいとし子と、厄災の……いいや、太陽の落とし子である赤い瞳を持つ彼の行く末を」
男はそっと女を抱き締める。その肩が震えていたのは、娘を想うが故か。それとも新たな時代への可能性の為か。
少し変更を加えました。(2022/11/03)