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2.

 カーテンは勝手に開くことはない。もしかしたら昨日カーテンを閉め忘れて寝たかもしれないし、なんてこともないかもしれない。なぜならそもそも私は昼間だってカーテンを開けないからだ。


 だから、瞼の裏側に透けているこの光を私が本当は認識するはずがない。


 でももしかしたら寝る前の私が便利な○レクサみたいなやつを仕込んでいるかも。なんて、面倒臭がりな私にそれはない。



『おはよう。起きているんだろう?』



 ついさっき聞こえたはずの声が睫毛を揺らす。それが鬱陶しくて重たい思考を持ち上げても、その姿は見えない。見えるところには誰もいないし、些細な物音もしない。だからやっぱりこの声は見えない誰かさんで確定だ。



 それよりも目に広がるのは、漫画と絵画でしか見たことないような豪勢な天井。やたらとキラキラしているのはこれか、とも思ったがしっかり日が差しているらしい。少し視線をやった先のカーテンは誰かが開けてくれている。


 現代だってなかなか寝転ぶことのできないようなふかふかなマットレス上に寝かされた私は、手足をじたばたさせる程度しかできずにようやっと声を上げる。



「あー」



 言葉にならない声が脳みそに響いた。寝起きにも関わらずガサガサせずによくとおる声だ。それはどうやら私が出しているようで、それを聞くなり呆れたような声が耳元を掠める。


 正確にはあーとかうーとかしか言えないから馬鹿にしている可能性はあった。まあそんなにこの声の主も意地が悪くないと信じたいけれど。



『はは、学ばないなあ』



 何も語ることをしないその声の主に、私はだんだんと苛立ちが募らせ始めた。



なんだっていうんだ、私のことを知っているなら教えてくれたっていいじゃないか。私の今の状況も、ここがどこなのかも。



 とはいえ、何度か、……何度も妄想したことあるような状況、あんまり驚けないような。非現実的すぎて、驚きすぎているような、脳が理解を拒否しているような。


 けれども早々に受け入れたほうが楽なことも重々承知。言葉を発せないままに叫んでいても仕方なく、声の主に話しかけることにした。



『笑っている場合?!』



 勢いあまって叫んでしまったがご愛敬だろう。ナビゲートも満足にできないのであれば怒られて当然だ。


 そんな些細な抵抗も虚しく、こともなげに声の主は平淡な声を上げる。


『わあ、怒った』


『ほ、ほんとに異世界転生するなんて誰が思う? どんなにおとぼけたオタクだって心の隅でわかってることなのに』


『オタクの妄想力を舐めちゃいけないのかも』


『妄想は現実にならないから妄想なのに?』


『妄想だけは絶対に叶わない、それが覆らない予想で答えだ。って誰が言ったんだい?』


『ぐぬぬ……』


『はい、君の負け』


 私の口が弱いのか、誰かの口が達者なのか。完敗だ。


『でも急に目覚めたら異世界転生なんて……』


『君は、諦めを覚えたはずじゃない?』


『諦めて納得したいですけどね! そんな簡単に理解できる頭は持ち合わせてないよ』


 しばらく怒りを煮えさせていると、大仰な音を立てて扉が開いた。気がする。位置的にも、自身が(恐らく)赤ん坊という状況的にも、確認のしようがない。


 こつんこつん、足音が近づいてくる音を同時に観測したので、誰かが入ってきたのは本当らしい。じたばたと存在を主張すると、足音が少し速度を速めたのを感じる。



「お、お嬢様……? いつもおとなしいのに、どうしたのかしら」



 ほんのりと皺をたずさえた女性がこちらを覗いていることが確認できた。


 ……失礼だがその年でメイド服かぁ。実際に見ると、現代っ子にはきついものがある。コスプレというには上質な布が使われているようにも思うけれど。


 ただアニメでよくあるようなキャピキャピした感じではなく幾分か落ち着いた服装である。この世界ではこれが普通なことは明白でまだこの世界に暫くいるのなら慣れなければいけない。


 そんなことを赤ん坊が思っていると露ほども知らない女性は、いわゆるガラガラを鳴らしながら暴れている私の腹部を軽く叩いてあやす。心地いいリズムが眠気を誘う、赤ん坊らしいから当然か。


 でも、この女性のおかげで眠たい頭も理解するほかなかった。感触も夢みたいにふわふわしていない、音も遠くで聞こえない。


『本当に異世界転生したんだ』


『さっさと信じたらいいのに』


 前の私は死んでこんなところに記憶を引き継いだまま生まれ変わった。のかもしれない。


 少女漫画を買い漁って乙女ゲームをしていたら死ぬなんてマヌケにも程がないか? あ?


 それはともかくとして、この世界の原作は、ロマンス小説? 少女漫画? それとも乙女ゲームなのだろうか。


「ああ、本当に愛らしい娘だわ。旦那様にも、奥様にも、よく似ていらっしゃる」



 それは前世の家族のように親ばかからくる言葉なんですか? いや、異世界に転生したならきっと本当に可愛い女の子になったのかもしれない。



 とんとん。優しくて生ぬるい感覚は久しぶりだ。


 ああ、ねむいな。昨日選んだ名前、呼ばれたら信じようかな。この期に及んで信じないのも、ちょっと馬鹿だけど。


『強く幸せな君と明るい明日は、寝ても覚めないよ』


 その言葉を最後に私の意識は落ちる。また名前は聞けずじまいだった。




 揺蕩う意識の中で、いつかの私を見た気がする。


 惨めで情けない、必死に今日を生きることしかできなかった私。でも今はそこを生きている私の常識も当たり前も取っ払った世界で生きられるんだ。そう思ったから、きっと今は深く眠れる。



────────────────────


 

『おはよう』


 親しみも覚えてきたその声に起こされる。視界はほんの少し揺れていた。


 ようやくピントが合うと、どうやら二度目ましての女性が私を抱きかかえていうようだ。抱っこなんてこの歳になって……と思ったが、そうか、今は赤ん坊だったか。



「あら、起きたのねぇ」



 ゆったりとした口調で目を覚ました私に微笑みかける女性は、確か、マリーさん。今世の母であって欲しいほどの美人だ。


 こんなに赤ん坊の私に美しく微笑んでるのに、実は血の繋がり一切ありませんですなんて言われたら流石に泣いてしまう。


 そんな日には聖母は存在したんだ! って赤ん坊の口で叫び散らかしてやるからな。


『ようやっと信じたの?』


『遅いって言いたげだな』


『もちろんそうさ』


『うわぁ……』



 混雑している冗談は置いておいて、この人の口から私の名前を聞くことができるだろうか。もしかしたら、知っている世界に繋がるヒントをもらえるだろうか。悶々と考えていると、マリーさんは柔らかそうな髪を揺らした。


 この髪色はなんていうんだったか。アッシュ、ブロンド……? 


 青っぽいブロンドとしか形容できない私には、まだオール横文字は早いかもしれない。緩くカールした髪は綿毛みたいにキラキラしている。


 無邪気な赤ん坊のふりをして触れてみようと試みるが、器用に避けられてしまってそうもいかない。


 マリーさんはそんな私を見て、楽しかったのだろうか。人見を気にするようにきょろりとあたりを見回した後に、そっと声を出して笑う。


 貴族というのはそんなに大変なのだろうか。声を出して笑うこともはしたないほどに。


「今のは内緒よ、エヴァ」


 さわり。その瞬間風が吹いた。この世界はいつも、妙にやさしくてあたたかい。


「あ!」


「あら、お返事ができるようになったの?」


 違うんだマリーさん。今あなたは、私の名前を呼んだ。そうでしょう?



『そうだよ。正解だ、エヴァ』


『最初から誰かさんが教えてくれていればこんなに疑り深くなることもなかったけどね』


『あはは。ごめんね』


 素直に謝られるのもばつが悪くて誰かさんに対し無言を貫く間も、変わらずマリーさんは私に向かって微笑んでいる。


 ついこの前私が選択したのは、エヴァという名前の子の人生らしい。選んだんだから知っているだろうという言葉は聞かないでおく。それとなく言ってみたかったんだ。


 そして今のところ、思い出せる気がしない。なんせクリアしたゲームも、読んだ本も、合わせればかなりの数になる。その中からエヴァという名前と、両親の容姿だけで判断しろというのも無理があるし、そもそも私が主人公なんて可能性もミリくらいしかないし、なんだったら悪役令嬢なのかもしれない。


 選択肢が広がる分、妄想のように人生を進められるかどうかは難しくなるが、何も考えない方が上手くいく可能性もある。きっと。


 そう言えば、マリーさんの言葉がわかるのはやっぱりご都合というやつなんだろうか。まあ、そう思っておくことに越したことはない。


「ママ。言えるかしら。エヴァ、マ、マ」


 本当にマリーさんが母親なのか。嬉しいような恐れ多いような、これについても過ごし疑心暗鬼だ。


 こんなに優しそうな母なら、私は本来まっすぐ育つはずだったろうに。と思ってしまったのも、元が卑屈ゆえか。


 こんなにうじうじしていたら、楽しそうに笑って私をあやす今世の母に申し訳なくて、赤ん坊の最大パワーを駆使してなんとか言葉を出す。


「ま、まー」


「まあ! 私を呼んでくれたわ! ダニーに後で自慢しなくちゃ」


 赤ん坊に知性があるとはいえ、体の機能をどうこうできるかと言われたら違うらしい。舌がうまく動かなかった、歯がないのも関係あるかもしれない。ダニーさんをパパと呼ぶのはきっともう少し先だ。



 また風が吹く。マリーさんの髪がさらりと風に揺れて、すごく、神秘的だった。庭かと思うこの場所の緑も、マリーさんの髪のおかげでずっと輝いて見える。


「……うぅん、少し冷えてきたわ。戻りましょうか、エヴァ」


 そんな風に肩を震わせたマリーさんが呼び鈴を鳴らすと、どこからともなくメイドらしき人達が現れた。マリーさんはメイドに私を受け渡して、やっぱり優しく笑う。


 そんな優しい母に応えたくて、私は目を細めて不器用に笑って見せた。


少し変更を加えました。(2022/11/03)

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