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1.

 そのときの私はどうかしていたんだと思う。


 電子書籍でお決まり展開の漫画達を買い漁って、そう言えば大々的に宣伝されている乙女ゲームも発売だった。


 内容はちっとも知らない、所謂パケ買いを初めてしたんだっけ。


 それくらいお手軽に手にできる『しあわせ』というものを欲していたし、その日はその『しあわせ』を得る為に手が止まることはなかったのだ。


 それをひとつ、またひとつと消化しているうちに何日経っただろう。忘れてしまった。


 ふと眠くなって瞼を閉じたまでは覚えている。


 それまでが、私の所持している記憶だった。



────────────────────




『ねえ、起きてみてよ!』


 そんな私を誰かが呼んだ気がした。けれどいつだって、そのぬくもりに手が届いたことなどない。



「ああ、はじめまして。私とマリーのいとし子」


 ふっ、と。それは春の陽気だったろうか、晴れた冬の日の暖かな日差しかもしれない。何かが芽吹くような光。そんな何かが眩しいという感情とともに眼前いっぱいに広がった。私が次に目を覚ましたのはそんな光の中だ。


 まさしく『しあわせ』を体現するような光。


 さっき私を呼んだのは誰だろう、伸ばした手は相変わらず空を掴む。そして私を起こした声は誰だ。


 目を瞬かせると、現代日本でも滅多にすれ違わないような美麗な外国人の男性が立っている。


 ただ、それは想像の域を出ることがない何かであり、実際目に映っているものは差す光に輝く金色と、青い宝石のような何かだった。


 人の形をしているから人。凡そ日本人みたいな色味をしていないから外国人。


 目覚めたばかりの世界は嫌に脳みそを回転させる。


 恐らく、ブロンドの髪、碧眼。随分と身長が高い。


 その瞳を見つめることが難しくてぎゅっと目を細めたが、どうにも焦点は合わない。薄ぼんやりとその輪郭を縁どっている肌色は、ちゃんと人間なんだけどな。


 いつの間にこんな目が悪くなっただろうかと疑問がよぎるも、はて。



 夢ではいつも私の存在をこんなにもはっきり認識されただろうか。



「ダニー、もっと近くで見て? こんなにも可愛いんだもの、目に入れても痛くないわ」


 すると横から、声が聞こえる。優しくて、ころころと鳴る鈴のような高い声。


 ひょっこりと姿を現した人は、似たような髪色と少しだけ緑色に見える宝石を称えた女性と思わしき誰か。


 その女性がこちらへと手を伸ばすと、私を抱き上げた。


 少し近づいた距離で見ると、輪郭や目鼻立ちが幾らかはっきりと見える。少しだけグレーっぽい、はたまた青っぽいブロンドに目は翡翠の色をしていた。これまた大層な美人である。


 とはいえ現代を生きるオタクこと私の一般的美的感覚においての美人であり、やけにメルヘンチックな見た目だったから余計その格好に浮かないその美貌が眩しく映った。


 いやはや、美形に近づかれてこんなに冷静でいられる自分が末恐ろしい。これが推しという名前のイケメンを見てきた結果だろうか。


 そしてここでふと、ある疑問が浮かぶことは正しいことであると私は思う。



この女性、私を抱き上げた……?



「あう、うあうあ」


「あら。普段はお喋りなんてしないのに」


 女性の反応からするに、言葉にならない声を発したのは私らしい。この時点でまあお察しはするもので、足をじたばたさせると女性が私の体をあやすように揺すった。私の体、随分と縮まってしまったらしいし、言葉も発せなくなったらしい。


 そんなときだった。頭の中で疑念を晴らすように澄んだ声が私を呼ぶ。



『あはは。赤ん坊の君、おはよう』



 まるで脳みそを擽られているような感覚だった。この部屋には男性と女性と私以外誰もいないことは明白で、この声の主はこんなにも近くから聞こえるのだから、どう頑張っても姿が見えない誰かが脳内に直接語り掛けています状態なのだ。



(これが初めての脳内語り掛けチャレンジだったが、私はいともすんなり受け入れてしまって正直この声の主には申し訳ないことは秘密だ)



 若く中性的なその声は私をからかうように笑いを含んでいたが、ただ今頼れるのはどうにもこの声しかいないことだけは認識できた。


 赤ん坊になったと笑われてそんな冷静な分析をしている場合ではないぞダボが。おっと、失敬。



『おはようなんて、流暢なこと話してる場合かな』



 そんな声の主に不機嫌に返事をする。不思議と聞こえる謎の声に差程の疑念を抱くことはなかったのは、私の常日頃の趣味のせいであろうか。


 そして声の主の言う通り赤ん坊明晰夢をスタートさせている私は、知能まで幼児になった訳ではないみたいだ。そりゃあ夢かもしれないのなら知能が低下しないことは当たり前であるが。



 イマジナリーフレンドまでいる夢なんて、どこに需要があるだろう。売れなさそうで困る。



『異世界へようこそ』



 心の中でぼやいた私の声が届いたのか、声の主は姿を現すこともなくそれだけ告げた。


 淡々としたその口ぶりに驚くことは出来ず、寧ろ冷静にその言葉を噛み砕く自分に先程からずっと感じている恐ろしさを改めて。


 そんな言葉、流行りの転生もの小説でだって聞かない。普通は転生したことにだって自分で気づくものだろうし、他人から、しかも見た目もわからない名前もわからない誰かから告げられるなんて、以ての外だ。美しくない。形式美を守れ。


 ということは置いておいても、そもそもこの美麗な夫婦、私の知ってる漫画にもお遊びで書いた小説にも出てきたことなんてない。


 だからここは、無意識下で作り上げたなんか適当にいい感じの乙女ゲーム的なストーリーの序盤くらいな夢の世界に過ぎない。と、自分で勝手に思っているだけかもなんて不安を無視して、声の主に威勢を張って見せる。



『夢オチもいいところでしょ?』


「急におとなしくなっちゃたわ。もしかしてあなたが名前をプレゼントしてくれるって気づいたのかしら」


「それはそれは。賢い子だね」


『……この人たちのこと知らないし』


 メルヘンな会話を繰り広げる夫婦の娘がどうやらこの夢の中の私。っぽい。


 夢だと疑わないのは何故かって? それはやはり、常日頃の生活力不足のせいである。


 とはいえ寝れないことは私のせいではないと信じたいくらい真っ当な生活をしてもボロくその生活をしても私は毎日夢を見る。感触があるのも、現実の私と違う設定があることにも、何の違和感もない。

 いつも通り、夢から覚めたら終わる。そういう毎日だから、異世界転生と言われてもいまいち飲み込めないのも無理はなかった。


 私の毎日が酷く苦しい原因は甘い夢や苦い夢や、そんな程度の数時間だったから、そんな簡単に飲み込めなんてしないのだ。



『異世界転生ものがどれもこれもご都合主義で進むと思っているのは、体験したことのない人間の妄想の範疇さ』



 彼だか彼女だかが言っていることに、正直矛盾があるかと言われたらない。ムカつくけれど、ない。


 異世界に行った人が戻ってくることなんてそんなありふれた物語でもないし、大抵異世界に行った人は帰りたいと思う前に幸せになるのである。


 それが妄想の中では当たり前で、楽しむことを許された範囲の異世界転生。


 そしてもし、私が本当に異世界に転生したのならば、比較的成功例であることはわかった。が、しかし、そんなことを簡単に信じろと言われても無理である。


『……そもそも上手くいかなかった例を世に出す人も異世界に今もいるわけですからって言いたいわけね』


『その通り。さあ、新しい君の誕生だ。名を選んで』



 ひとまず同意を示したのも束の間、声の主がそう言うと目の前に文字が表示された。


 いとも呆気なく進んでいく話に、混乱が生じる。気難しい大人がやるように不可解な現象に対して眉を顰めると、夫婦が困ったようにまたこちらをあやしてくるのだから更に混乱も混乱。赤ん坊の自身もどうやら私の意思に従って変な顔をしていたらしい。


『触れるだけでいい。ああっと、セーブもしたいならどうぞ』


 見えているわけでもないのに、声の主が手で合図を出したように感じた。




【セーブしますか?】




 本当に合図を出したのか、文字とともにはいといいえの選択肢が表示される。薄く光る文字と枠線が、空間に対し不自然に宙を舞っていた。そして何故か、ぼやける視界に対してその文字盤だけは鮮明に見える。



 摩訶不思議にもほどがあるな……。



 信じられないといった風に目を瞬かせても、声の主はまるでゲームマスターのように勝手に話を進めていく。


 なんとも作り込まれたゲーム世界の夢だと思いつつ、私はいいえに触れた。


 どうせすぐに覚める夢であることに違いなかったし、名前決定にセーブも何もと心のどこかで思ったからだ。


『セーブしなくていいのかい? やり直せないけれど』


『名前にやり直しがあるなんて変な話』


『ふぅん。君がそれでいいならいいよ』


 セーブ画面でいいえを押してしばらく、また名前決定の表示がされた。


 妙だ。先ほどと表示内容が違う気がする。自分の好きなように名前を設定できる仕様ではないゲーム、今時あるだろうか。少なくとも自分が遊んだゲームはそんな仕様はなかった。


『セーブって、そういう』


『たったの二択。たかが名前。簡単だろう?』


『二択?』


 ……妙だ。一択しか、ここには表示されていない。正確には、もう一択は選べないのか、文字化けしている。急かすように口笛を吹き始める声の主に促されるまま、私は一択の名前を選択した。


 少し待てよ声の主。そう憤りながらもことは勝手に進んでいくからうらめしやうらめしや。



【名前が決定しました】



【あなたの行く末が、光に満ち溢れますように】



 そのテキストと、ゲームマスターかイマジナリーフレンドか、そんな誰かの声が重なって聞こえた。


少し変更を加えました。(2022/11/03)

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