4話 【厄災】ユグド・ラ・スティアーナ
パンドラシアの大地に立っていたプレイヤーたちがログアウトできないことに気づいたのは、空が紫紺の渦を描き出した時のことだった。
それは天の使いが降臨するように、しかし禍々しい気配をもってこの地に降り立った。
白い髪、白縹のサテンプロムドレス。
妖艶なアイシャドウが目を引くその存在の額には、大きな藍色の宝石が埋め込まれていた。
黒い指抜きアームカバーのさきから覗く細い指の間には、螺旋を描く蛇の装飾が施された大杖が握られている。
その災禍の名は、
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【厄災】ユグド・ラ・スティアーナ
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パンドラの匣から解き放たれた厄災。
ザンガの龍穴にそびえる世界樹を通し
大陸のエネルギーを吸い上げる悪しき精霊。
その種子には寄生した相手の生気を
奪い取る能力が宿っている。
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かつて姫籬Renに接触し、パラサイトシードを託した樹木の精霊だ。
『いつの時代も、目障りな種族でございますね。人間というのは』
彼女の声は不思議な響き方をしていた。
話者ははるか彼方にいるはずなのに、すぐそこで話しているかのように耳に響く。
『ああ、醜い、醜い、汚い、反吐が出ます。消さなければ、消してしまわなければ。こんな汚物が大地を踏み歩くなんて、耐えられませんもの』
それは無造作に手を払う。
町中にいたプレイヤーはわからなかったが、ザンガの龍穴近くに偶然居合わせた者たちは気づいた。
振り払われた手から零れ落ちた種子が大地に根を下ろしたことに。
『さあ、眷属たちよ、目覚めの時よ。
【ヒールストーム】』
精霊を中心に、桜色の旋風が吹き荒れた。
生命に命を吹き込む春風だ。
種子が発芽し、そしてそこからはあまたの魔物が現れる。
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ユグド・ラウネ
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【厄災】ユグド・ラ・スティアーナの眷属。
アルラウネと同じルーツを持つが、
ユグド・ラウネは非常に好戦的。
その果実は霊薬の材料になる。
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この地に産み落とした「我が子」をうっとりとした様子で眺めたのち、精霊は号令を飛ばした。
『聖戦の時来たれり! 決起せよ! ユグドの名を継ぐ者たちよ!』
戦いの火ぶたは切られた。
まず最初に戦地となったのはザンガの龍穴だ。
「ぐあああぁぁあぁぁっ⁉」
「なんだこのモンスターたち……強すぎるッ!」
「ひ、ひいぃぃぃぃグギュバッ⁉」
結果はユグドの圧勝。
蹂躙、あるいは虐殺というべき内容だった。
プレイヤーたちの流した血が大地へとしみこみ、その血を吸い上げながらユグド・ラウネたちは進軍を始めた。
・ヤバいって! ログアウトが消えてる!
・運営からの通知みたか?
・ユグド・ラ・スティアーナを討伐するまで幽閉されたままらしい
・取り巻きの通常攻撃ですらレベル20のタンクのHPが一撃で削り取られたんだぞ⁉
・あんなんどうやって倒せっていうんだよ
・とりあえずお前ら渓谷に集まれ
阿鼻叫喚の中。
次に戦いの舞台となったのはザンガの渓谷。
まず、プレイヤーたちはつり橋を焼き落とした。
鉱山都市アルテマに向けてまっすぐに進軍するユグドたちの足を止めるのが目的のひとつ。
そして狙いはもうひとつ。
「迎撃用意! 集中砲火はじめ!」
火属性魔法や火矢をはじめとする、弱点属性による遠距離攻撃による迎撃だ。
根っこによる攻撃を得意とするユグド・ラウネたちは対岸のプレイヤー相手に有効打を持たない。
「いける! いけるぞ!」
「人類なめんじゃねえぞ!」
「ウオォォォォォォォォォォォォォ‼」
吶喊。
士気を高めるようにプレイヤーたちが雄叫びを上げる。
この場にいる誰もが勝勢の空気を嗅ぎ取っていた。
ただし、ユグドたちを除いて。
――ぷくぅ。
はちきれんばかりに膨らんだのは、ユグド・ラウネの花弁の無い雄花。
今まさに弾けようとするその膨張した雄花を、プレイヤーのひとりが放った矢じりが突き刺さる。
パァンと渇いた音が渓谷にこだました。
真っ白な煙を巻き上げながら。
「げふっ、げふっ! なんだ、この粉!」
「毒の粉の可能性がある! 呼吸を止めろ!」
「火は使うな! 粉塵爆発するかもしれないぞ!」
犠牲となったユグド・ラウネの体からはじけた粉塵が、谷風によって対岸へと運ばれる。
突然の煙幕に、付け焼刃の意思疎通が乖離する。
パァン、パァン、パァン!
続けざまに、対岸から破裂音が繰り返される。
プレイヤーたちは白い塵の中で、それが去り行くのをひたすら待ち続けた。
『まったく、手を煩わせますこと。だから人間は小賢しくて嫌いなのです』
霧が晴れた時、それは上空にいた。
ただ厳かに、ひたすら崇高に。
天道が陽光を注ぐように、ユグド・ラ・スティアーナもまたプレイヤーたちに手をかざす。
唯一の違いは、それが人を穏やかにするか恐怖を与えるか。
そしてそれが決定的な差異だった。
『血肉と成れ。【ヒールストーム】』
春の嵐が血風を巻き上げる。
比喩ではない。
「ぐぎゃあぁぁあぁぁぁぁぁ⁉」
「いでぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「うぎゃあぁぁぁぁぁ‼」
吹き荒れる風がプレイヤーたちの肌を引き裂き、流血エフェクトを乗せて赤く染まっているのだ。
否。
ヒールストームは回復魔法。
HPが回復することはあれど、傷を負わせることなど不可能。
プレイヤーたちの肌を八つ裂きにしているのは、もっと別の何か。
「こいつら……! 俺たちの肉体を土壌に世代交代してやがるんだ‼」
そのプレイヤーの言うとおりだった。
先ほどユグド・ラウネたちが吐き出していた白い粉塵。あれは花粉の塊だったのだ。
現実の裸子植物は雄花しか花粉を飛ばさないが、ユグド・ラウネは違う。
雌花もまた花粉を飛ばす。
雄花から生まれた花粉は女性プレイヤーの肌で、雌花から生まれた花粉は男性プレイヤーの肌で発芽の準備を迎えていた。
そしてユグド・ラ・スティアーナのヒールストームをきっかけに、全ての花粉がユグド・ラウネに成長する。
言葉にするなら惨劇。
第2ラウンド、ザンガの渓谷での戦いもまたユグドの勝利によって終焉を迎えた。
勢いそのままに、ユグドたちはザンガの草原を鉱山都市アルテマに向けて進んでいく。
第3交戦地点は、鉱山都市アルテマ目前のザンガの草原で行われることになった。
急遽パンドラシア地方の各地から集まった攻略組たちが陣をはり、列をなした。
彼らはこのゲームがログアウト不可能なだけであり、デスゲームではないことを利用してデスルーラでアルテマへと集っていたのだ。
パンドラシアオンライン攻略組とユグドの戦いは熾烈を極めた。
一進一退の攻防。
誰もが息をのむ、その渦中。
「くそが、ダメージを与えても与えても回復しやがる!」
「ユグド・ラ・スティアーナがユグド・ラウネを回復するし、スティアーナ自身は世界樹からエネルギーを吸い取るからMP切れの心配が無いってか」
「これじゃジリ貧じゃねえか!」
「親玉から叩くぞ!」
「あいにくラウネが邪魔でたどり着けねえよ!」
疲弊するのはプレイヤーだけ。
戦いが長引けば長引くほど、盤面はユグドに傾いていく。
出来レース。
畢竟するに、人類に勝ち目などなかったのだ。
……彼女、あるいは彼がやってくるまでは。
「照準」
声がする天を仰げば、双翼を広げた人影が紫立ちたる空を背負っている。
「発射!」
魅力特化の有翼ヒーラー。
そのお出ましだ。