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3話 Ready Steady.

 2017年。

 とあるニュース番組が炎上したことがあった。


 SNS上にアップされた河川氾濫映像を、撮影者の許諾なく番組内で使用したためである。


 だが、そこには法の抜け穴が存在した。


 著作権法第41条。

 事件の報道において、報道の目的上適切な範囲内で著作物を利用できるというものである。


 グレーではあるが黒ではない。

 それがテレビ局の言い分だろう。


 ひるがえって、今回の報道はどうだろう。


 スクランブル交差点のディスプレイに投影された映像。姫籬(ひもろぎ)Ren(レン)の姿。

 個人を保護する権利――例えば肖像権が明確に犯されている。


 訴えれば損害賠償が成立するかもしれない。

 だが、それは出来ない。


 テレビ局を悪と非難しようものならSNSで瞬く間に情報が拡散され、否が応でもXG-812-Queenが電磁パルスを世界中に拡散する機会を与えてしまうからだ。


 配信文化が浸透した現代。

 SNSでの情報はテレビより早く広く伝達する。

 その引き金を自ら引くのは愚の骨頂というものだ。


 ――"くすくす、そんなこと言ってる場合なの?"


 脳内から笑い声が聞こえる。

 XG-812-Queenだ。


 ――"公的な報道機関ですら肖像権を侵害しているんだよ? まして個人がどうかなんて、言わずもがなでしょう"


 電気に打たれたように、俺の体は反応した。

 取り出したるはスマートフォン。

 SNSを開き、トレンドを確認する。


『パンドラシアオンライン』

『ログアウト不可』

『VRMMO』


 息をのむ。

 上位に連なる項目が、軒並みパンドラシアオンラインに関する用語だったからだ。

 更に悪いことに、注目されている投稿の多くにRen(レン)の切り抜きが使用されている。


 リプライ欄は混沌としていた。

 派閥はふたつに分断されていた。

 すなわちRen(レン)を擁護する側と、Ren(レン)を非難する側のふたつである。


 ……非難?


 ――"キミが精霊樹と出会ったのはまだ電磁パルスの調整が済んでない時期だからね"


 初日の配信から受ける精神干渉の影響には個人差がある、ってことか。


 ――"結果的によかったんじゃない? いい塩梅に火種が大きくなっていっているよ。今に世界中の関心がキミに向くだろうさ"


 脳内で響く声が、どこか遠くのことに思えた。

 目の前の現実がとたん虚構の出来事に思えてくる。


「おい嬢ちゃん。信号青だぞ?」


 いつの間にか隣に立っていた見ず知らずの男が俺に声をかけてきた。

 男は俺の顔色をフードの隙間から窺っている。

 彼の双眸(そうぼう)に、俺の姿が映り込む。


「お、おまえ……!」


 男は俺を俺と認識した瞬間、驚愕の表情を浮かべて腰を抜かすように後退した。

 騒がれる。それはダメだ。

 脳内で意見がひとつにまとまったとき、とっさに声を発していた。


騒ぐな(サワグナ)


 形にした言葉が、奇妙な波紋を広げて拡散する。

 この奇妙な感覚を俺はすでに体験している。


「……はい」


 アルラウンの森で、悪鬼(メイヘム)のミーシャに命令したときと同じだ。

 男の目から活力が抜け落ち、うつろな様子で声に従う。


 ――"あはは! うまいうまい! 女王として君臨する覚悟は決まったかい?"


「ちが! 俺はそんなつもりじゃ……!」


 ハッとあたりを見れば、自分が衆目を集めていることに気づいた。

 つくづく、思い知らされる。

 ここは俺の居場所じゃない。


「んだよ……これ!」


 走った。

 がむしゃらに、無我夢中に。


 息が苦しい。肺が張り裂けそうだ。

 体の節々が悲鳴を上げている。

 今まで気づかなかったけれど、TSした影響で肺活量や筋肉が衰えているのかもしれない。


「はぁ……はぁ……」


 乱れた呼吸を整えるために、人気のない路地に身を潜めた。

 胸を上下させ、肩で息をする。


「ヒュー! めっちゃ可愛い子がこんな裏路地でどうしたの? 迷子? お兄さんが道案内してあげよっか?」


 朦朧とする意識の中、振り返るとそこにガラの悪い男が立っている。


「チィ! 失せろ(ウセロ)


 無意識に飛び出す言霊に、俺は慌てて口を手でふさいだ。

 だけど、手遅れだった。


「……へへっ、すいやせんっした……」

「あ、おい」


 男はやはり、操り手を失った操り人形のように一度こと切れると、魂の抜けたようにおぼつかない足取りで路地の奥へと立ち去っていく。


 虚脱感に苛まれる。

 熱い何かが、胸の奥から込み上げる。


「……もう、放っておいてくれよ」


 吐露した言葉が、虚空に溶けていく。


 ――ブッブ。


 そんな折だった。

 マナーモードに設定していたスマホが震えたのは。

 ユノからの通知は切っているのに誰からだろう。

 不思議に思って確認してみれば、見知った相手からのメッセージだった。


「……ネルヴァ?」


 俺が常盤(ときわ)(もち)だったころの同期メンバー、加賀美(かがみ)ネルヴァ。

 通知画面に表示されていたのはただ一文。


「見つけた」


 声が聞こえた。

 覗き込んだ電子の板からではない。

 肉声が、降りかかったのだ。


 顔をあげたすぐそこに、顔馴染みが立っていた。


「ユノから『もっちーがいなくなった』って聞いてきてみたら……こんなところで、なにしてるの?」


 真綿で首を締められる思いだった。

 抱えた不安や悩みを打ち明けられればと思った。

 でも、口は開かなかった。


 もし俺の放った言葉が、ネルヴァまで変容させてしまったら。


 そう考えたら、何も言えなくなってしまったんだ。


 拳を握る。奥歯を噛み締める。

 立ち上がり、ここではないどこかに向けて歩き出す。


「ユノが閉じ込められてる」


 背後から掛けられた言葉に、足を止める。


「待ってる。待ってるんだよ、あの子は。1年間ずっと、もっちーがいなくなってから。ううん。ユノだけじゃない。私だって」


 ……未練が残って、きっぱりと思いを切ることができないことを「後ろ髪を引かれる」というらしい。


Synthe(シンセ)/Live(ライブ)が、いつだってもっちーの帰る場所だよ」



 悲喜こもごもの思いで敷居をまたいだ。

 この安アパートを飛び出した時は、荷物を運び出すとき以外帰ってくることは無いと思っていたのに。


 ――"覚悟は(Ready,)できた(steady?)?"


 うるせえよ。

 脳内から語り掛ける声を、ぴしゃりと遮る。

 覚悟?

 そんなもの、関係無い。


「悩む権利なんて、最初からなかったんだ」


 だから俺は、飛び立つ。

 やるべきことをやるために。

 なすべきことをなすために。


 呪われた大地、パンドラシアへと。


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