幕間2 「財団と"XG-812-Queen"被検体」
オーバーサイズのパーカーにユニセックスのスニーカー。髪はいつものようにハーフアップにまとめて家を出る。
(なんというか、オーラがすごい)
家を出てからずっと、衆目にさらされ続けている感覚がある。
この体になって1週間も経って、人に関心を向けられる状況にも大分慣れたけど、やはりなんだか落ち着けない。
そりゃあRenのやつも外に出るのを嫌がるわけである。
俺だって可能なら配膳サービスやオンラインショップだけ使ってできる限り家から出たくないもの。
だけど、今回ばかりはそうも言っていられない。
ノアズアーク社日本支部。
摩天楼のようなビル群が立ち並ぶオフィス街の一等地でその社は存在感を放っていた。
地上部分にできた開放空間。
重力に背くかのような不思議な構造。
壁から柱が独立したことによる一面張りの窓。
地表からではわからないけれど、この様子だと屋上に庭園もあるのだろう。
(待ち合わせ時間まであとちょっとだな)
今からカフェなどに入るほどの猶予は無い。
適当に時間をつぶしてしまおう。
「お初にお目にかかるっす。姫籬様っすね?」
「うおっ⁉」
緩めた気の間隙を縫うように声を掛けられる。
驚いて振り返る。
そこに、男が立っていた。
ぼさぼさの髪、無精ひげ、こけた頬、丸眼鏡。
くたくたの白衣を身に着けていることもあり、一見して研究者という印象が植え付けられる。
「失礼。ノアズアーク社広報部のアイザック・アルティオっす」
差し出された名刺には、たしかにノアズアーク社広報部、アイザック・アルティオと記されている。
それで思い出した。
姫籬Renの名刺持ってない。
「姫籬Renと申します。大変申し訳ないですが、まだ名刺を作って無くて」
「そりゃ残念っす。でも、大丈夫っす! ささ、こちらへどうぞっす」
アイザックさんに案内されて、俺はノアズアーク社日本支部へと足を踏み入れた。
さすがはVRを代表する会社というか、白を基調とした清潔な屋内は近未来感をこれでもかと醸し出している。
エスカレーターで2階に上がると、エレベーターホールに出る。
どうやらこの建物自体が高層ビルゆえに、上層と下層でエレベーターの対応範囲が違うらしい。
アイザックさんは俺の歩調に合わせながらエレベーターの前へと歩き、エレベーター待ちのボタンを押した。
後れてやってきたそれにふたりで乗り込むと、アイザックさんは操作盤から階層を選択――しなかった。
(ん?)
かわりに操作盤下部にある黒いカバーをカパリと外したかと思うと、代わりに懐から取り出した何かを差し込んだ。
10キーのついたUSBメモリだ。
「下へ参るっす」
「え?」
またぐらがひゅんっとするような浮遊感。
電子パネルが表示する階数表示が負値を示し、Bの接頭語を表示している。
地下だ。
俺は今、地下へと向かっている。
……全身から、嫌な汗が噴き出す。
「あ、アイザックさん?」
「大丈夫っす。悪いようにはしないっす」
そんなこと言われても、信じられるわけがないだろう?
「『そんなこと言われても、信じられるわけがないだろう?』。Renちゃんは今そう考えたっすね?」
「……え?」
声に出したつもりは無い。
というか、確実に出していない。
頭の中で考えただけだ。
どうして、一言一句違わずに読み取れる?
「あー、待つっす。ノアズアーク社の広報部ってのは嘘じゃないっすから、あんまり疑わないでほしいっす。Renちゃんに嫌われたら、俺死んじゃうかもしれないっす……。まあ、広報部についたのは昨日なんすけどね」
……思考が読めてるなら、答えろ。
お前は、誰だ。
「俺っすか?」
ニヒルな笑みを浮かべて、男は続ける。
「アイザック・アルティオ。XG財団の職員っす」
「XG財団?」
「っす。『超常のもの』を取り扱う秘密組織っつうのが簡単っすかね? 例えば、今Renちゃんの思考をトレースしたのはXG-068-Parserっていうオブジェクトっす」
アイザックと名乗った男は手帳のような物を取り出した。
俺は目を見開いた。
男が、その手帳に俺の思考が転写されると説明したからではない。
そこに、俺の名前が書かれていたからだ。
姫籬Renではない。
まして常盤望でもない。
この世に生まれて、親から与えられた名前。
何か、大きなことに巻き込まれている。
ひしひしとそんな予感が肥大していく。
「……いいんですか? そんな大事な話。無関係な一般人に話しちゃって」
「いいっすよ。というか、既にRenちゃんは関係者っすから」
「は?」
「体験してるはずっすよね? 通常ではありえない、超常的現象を、その身をもって」
思い当たる節はあった。
いまからちょうど1週間前。
俺の身に起きた不可解な事象。
すなわち、トランスセクシャル。
「寄生生命体XG-812-Queen。それが、Renちゃんに寄生した『超常のもの』の正体っす」
チンという渇いた音がして、扉が開かれる。
目的の階層に到着したらしい。
無人の駅のホーム。
そう表現するのが正しいだろうか。
薄暗い空間に、一両編成の列車が停車している。
「続きは移動しながら話すっすけど、どうするっす? 引き返すっすか?」
Renちゃんの判断に任せるっす。
男はそう言った。嫌味な人だ。
「話を聞かせてもらおうか」
ここまで聞いて、引き返せるわけないだろ。