1話 緊急メンテ
多重人格は複数の人格を擁するが、同時に複数の人格が顕現することは考える必要が無い。
異なる人格は一般に、交代制で行われるからだ。
人格の切り替えに過渡状態はなく、多くの場合では転換と同時に前の人格は喪失する。
らしい。
伝聞形で悪いけど、ここでいう多重人格というのは解離性同一性障害のことで俺のメソッドとは別だ。
とりわけ異なる点は、俺の場合は複数の人格で記憶を共有できること。
それから、ふたつ以上の人格を同時に展開できることだ。
だが、基本的に俺は表層に出す人格をひとつまでと限定している。
あれは俺が中3の夏だった。
時間の多くを中体連に向けての特訓に割り当てようとした俺は、定期テストに向けて基本5教科それぞれにチューニングした人格を同時展開して試験勉強にいそしんでいた。
そして試験当日、寝落ちした。
言い訳をさせてもらうなら、複数の人格を展開するということはそれだけ多くのリソースを脳に要求するわけである。
ふたり分の人格を展開するだけで脳の疲弊が加速するのは言うまでもあるまい。
まして5人ともなればなおさらだ。
以来、複数人格の展開は基本的に行っていない。
いなかった……のだが。
「……やべぇ」
目を覚ます。
カーテンの隙間から、柔らかな月明かりが差し込んでいる。
今は何月何日の何時何分何秒だ。
地球が何回まわった日?
――20:02
う、うおぉぉぉ!
あぶねえ。
危うく5日目の配信ノルマ逃すところだった!
くそ!
あれもこれもRenのやつが
『アルラウンの森のときみたいに"俺"くんが戦うこともあるかもしれないし、火薬の調整は一緒にやろうよ!』
って陽キャっぷりを押し付けてきたからだ!
本当に同じ脳から生まれた人格かよ。
別の誰かの遺伝子でも持ってんじゃねえか?
誰かって誰だよって話だけど。
「しゃあねえ、なんか適当にもの入れて……だぁ! また冷蔵庫空だし! 学習しねえなぁ⁉」
仕方ない。飴で脳を欺こう。
食事は配信終わってからだ。
とりあえず1時間配信をしよう!
VR危機を装着して、横になって、電源を入れて。
さあ、呪われた大地の冒険に、レッツゴー!
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「くそがぁぁぁぁぁ!」
立ち上がり、吠えた。
なんでよりによってこのタイミングなんだよ!
「やべえ、どうしよ……」
このままだとユノとの「毎日最低1時間は配信する」って取り決めを破っちまう。
俺の理想のヒモ生活が……!
Not in Education, Employment or Training 計画、略してNEET計画が!
どうする、どうする。
俺はいったいどうすればいい。
「……よし、コンビニ行くか」
考えるの、やーめた。
*
よくよく考えれば、だ。
コンビニで買ってきた超大盛の焼きそば(コスパ最強!)を食べながら言い訳を零す。
「別にパンドラシアオンラインの配信をやれとは言われてなくね?」
もう一度日曜日のことを振り返ってみよう。
俺たちが交わした約束はこうだ。
――"ノアズアーク社のVR機器には配信機能があるんです。名前は自由に決めていただいて結構ですので、毎日最低1時間、週で10時間は配信してください"
――"私が先輩を特定出来たら1周年企画に参加。見つけられなければ私が先輩の生活費を一生払います"
俺はおとがいに指を当てていた。
取り決めの中に、配信するゲームの約束が無かったから――ではない。
(あれ、これ期間決めてなくね?)
そもそも1周年企画ってなんぞや。
常盤望の卒業1周年のことだと勝手に思い込んでいたけど、それってわざわざ配信することか?
背中に嫌な汗が伝っていく。
どうしよう、これがユノのCM出演1周年記念だったら。今から丸1年ちかくあいつの目をかいくぐらないとダメなんだけど。
(しかもネルヴァには正体晒しちゃうし……)
Renのバカ! もう知らない!
ああ、もう!
どうすんだよこれ……。
「とりあえず、ユノに確認のチャットだけ飛ばしとくか」
念のためユノが配信中でないことを確認したのち、『そろそろ約束の期間の折り返しだけど、見つけられたか?』と送る。
約束の期間を尋ねるという愚は犯さない。
そんな聞き方をすれば、仮にお互いの認識が2週間で始まった賭けだとしても、ルールの穴に気づいてしれっと期間延長されかねないからだ。
さて、始めるか。
――"お前は誰だ。お前は何者だ"