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幕間2 ニュートリノ通信

 篠陽(じょうよう)市。

 かつて採炭により栄えた古風な町の山奥には、秘密組織が存在する。


 組織の目的は『超常のもの』を実社会からの隔離し、現象を解明し、そして人類史に対する介入を阻止することである。


 ……いや、だった、と言うべきか。


 その組織の一室。

 支部長室の表札を立てかけた一室ではいままさに、『超常のもの』に魅入られた者たちの秘密会議が行われているところだった。


『便利な世の中になったっすよね。今やインターネットを使えば世界中のどことでも繋がれるっす。電子の海は物理的な距離を克服したっす。これなら世界中に信号を送れるっすよ』

『ああ、だがどうする。本部や他の支部は我々同様に世間から隔離された地下に潜んでいる。奴らもまた超常のものを扱う組織である以上、どんな対抗手段を使うかわからんぞ』


 部屋は密室で、外部に音が漏れることは無い。

 室内にいるのはふたりだけ。

 だが、その会話を盗み聞きしている男がいた。


(なんだ、こいつらはいったい、何の話をしている)


 耳に当てたブルートゥースから、ノイズ交じりの声がする。盗聴器だ。仕掛けたのは数刻前、支部長室を訪ねた際のことだ。


 男が違和感を覚えたのは昨日のこと。

 寄生生命体"XG-812-Queen"の逃走が判明してから人との会話を拒絶していた支部長が、ある時を境にひとりの社員を支部長室に呼び出す回数が増えた。


 どうしてあいつなんだ。


 その社員は、休憩時間になるたびに坑道入り口まで引き返してネットを楽しむオタクだった。聞いた話によると配信? という、一般人が垂れ流す映像を目を皿にして視聴しているのだとか。


 真面目な奴ではなかった。

 出世欲が強いやつでもなかった。


 組織に入れるくらいだから優秀な部類に含まれるのだろう。

 それは認めよう。

 だが、こと組織の中に限定すれば、その社員は落ちこぼれだった。


 男には訳が分からなかった。

 自分の方が優秀な人間だという自負があった。

 あんな落ちこぼれに出し抜かれるわけがないと思っていた。

 だから思い込んだ。


 奴は何か卑怯な手を使って支部長に取り入ったのだ。

 それが弱みなのか、あるいは偶然見つけた有益な情報なのかは知らない。


 裏を返せば、その情報さえ入手出来てしまえば、より優秀な自分が支部長から目をかけてもらえるはず。


 そんな動機から、男は盗聴器に仕掛けた。

 ふたりが支部長室に入るのを確認し、ウキウキと情報を待った。


 だが、実際には。

 支部長と落ちこぼれが結託して何かを企んでいる様子だけが聞こえてくる。


 どくん、どくん。

 心臓が嫌な跳ね方をしている。

 背中を伝う汗で衣服が肌に吸い付く。

 不快感が全身にまとわりつく。


『ああ、それなら考えがあるっす』


 逃げろ。

 本能が叫ぶ。

 聞き出せ。

 欲望が囁く。


 何か良くないことが起きている。

 それも、知りすぎれば闇に葬られる、そんな強力な出来事だ。

 逃げ出さなければいけないことは理解している。

 だがその前に、落ちこぼれの練った策とやらを聞きださなければ。

 盗聴器を仕掛けるというリスクを負ったんだ。

 相応のリターンもなしに引き返せるわけが――


 そこで、男の思考は停止した。

 大量の睡眠薬を飲んだように頭が重く、鈍い痛みを脳が訴えている。

 男の中で、何かが急速に書き換えられていく。


 自分が自分でなくなる感覚。

 アイデンティティの崩壊。


 訳も分からぬ状況の中、愚鈍と見下した男の声がブルートゥース越しに聞こえた。


『衛星と、ニュートリノ通信を使うっす』


 ニュートリノ通信。

 中性微子を意味するニュートリノには、物質をすり抜ける性質がある。

 その透過力を前に、地層などという電波防壁は意味を持たない。籠で水を掬えないのと同じだ。

 地下に引きこもったところで、その通信を遮断することなどできない。


 ぴーんぴぴーん。

 入退室管理の電子音が鳴り響き、男の目の前の扉が開く。

 そこに、ふたりの男が立っていた。


「ほう。上空からの精密射撃というわけだ」


 その淀んだ瞳を見た時、一瞬だけ男の意識が息を吹き返した。


「貴様ら……裏切るつもりか、組織を!」


 胸の内に焦燥感が満ち満ちる。

 まずい、どうにか他の職員に知らせなければ。

 世界を守るための組織が、こいつらの食い物にされてしまう。


 考えなければ、この場から離れる方法を。

 だが、いざ具体的な手段を考えようとすると考えがまとまらない。


「あちゃあ。ダメっすね。調整不足っす」

「ああ、改良が済むまで信号を本部に送るのは見送りだ」


 活路を見出した気がした。

 話を聞く限り、男たちは実験に失敗したらしい。

 どこかのタイミングで他の職員と接触する機会があるかもしれない。

 まだこの男たちの策謀を打ち砕くチャンスは残っている。


「あんたにも協力してもらうっすよ」

「誰が……」


 拒絶の意思は、虚勢となった。

 微睡んだ思考に、甘い蜜がしみこんでいく。

 優しい温もりに、意識がからめとられていく。


 変わってしまった。

 変えられてしまった。

 不可逆に、ぐちゃぐちゃに、魂を壊された。

 もう二度と戻ることはできないことを理解した。


 そのことが、この上ない幸福に感じられた。


 すべてはあのお方のために。


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