5話 REFLECT
灰色の雲が太陽を飲み込む。
鉛のような雪が体を突き抜ける。
寒色だけを残した光を返す永久凍土を、あてもなく歩き続けていた。
白い吐息が頬を撫で去る。
やっぱり、吹雪が去るのを待つべきだったかな。
本当に、歩き続けた先に求めた景色はあるのかな。
なんてことを考えるたびに、足取りが重くなる。
「……立ち止まれるわけ、ないじゃん」
自分の耳にすら届かない。
意識しなければ雪に消えていく小さな声で呟いた。
コメント欄を見ても、誰も反応を示していない。
『いつかみんなで、未知の先へ』
あの声が、ずっと聞こえている。
『うそ、つきぃ』
奥歯を強く食いしばる。
拳を固く、握りしめる。
ああ、呪われている。
未練は断ち切れるものじゃない。
挫折して、地の味を覚えたこの足は、立ち止まることを決して許してくれやしない。
赦されたい。
辛いんだ、苦しいんだ。
あの日の後悔が、影法師みたいに付きまとうんだ。
脚を止めるな。振り返るな。
呪いを解きたければ「成る」しかない。
・Renちゃん?
・大丈夫?
視界の隅に流れるコメントが、不穏な色を醸していた。胃の底に冷たいものが落ちる。
落ち着こう。
何を弱気になっているんだろう。
理想のわたしを演じよう。
みんなに心の内を読まれるな。
――ありのままの自分を、誰が受け入れてくれる?
「ん? 何が?」
ぱちんぱちんぱちん。
心のモジュールを組み替えて、笑顔のテクスチャを張り付ける。
・俺らはRenちゃんのそばにいるから
・俺がRenちゃんの配信で生きがいを貰ってるように、俺らもRenちゃんの拠り所になりたいんだ
・悩みも不安も全部受け止めるから、辛いことがあったら俺たちを頼ってほしい
……本当に、さあ。
細かいとこ、突いてくるなぁ。オタクくんたちは。
なんでこういうところだけ、鋭いかなぁ。
「ううんっ! 本当に大丈夫だから!」
矛盾してる、わたしは。
みんなと楽しい時間を共有したいと望みながら、その輪の中に「自分」を入れようとはしない。
だって、だって、そうでも演じなければ。
――空を、何かが通り抜けていく。
影だ。
見上げた空に、黒い影が浮かんでいる。
「いた! ノーザンクロス!」
脱脂綿に包んだ黄リンが発火するように、灰かぶりの心に火がついた。
安堵と、心地の良い緊張が心の隙間を埋めていく。
いま、この瞬間。
何かに打ち込んでいる間だけ、難しいことを忘れられる。
強がりでもなんでもなく、わたしは大丈夫だ。
「みんなの優しさは、もっと身近な人に取っておいてあげてね!」
・男は親でも見捨てる主義です
「お父さんかわいそう!」
コロコロと笑いながら、翼を広げて影を追う。
疾い。
本気で飛んでいるのに、一向に差が縮まらない。
それどころか、むしろ少しずつ距離が開いていく。
「待って……!」
羽ばたきをやめ、滑空しながら銃を構える。
遠い、影が遠い。
吹き荒れる吹雪が視界を遮って、おぼろげな輪郭しか掴めない。
照準は合わせられそうにない。
それでも、相手の注意を引き付けられれば。
「発射!」
硝煙の香りが鼻腔をくすぐる。
邁進の弾丸が、白銀世界に消えていく。
あとには、わたしの白い呼気だけが残った。
「ダメだぁ、見失ったぁ」
地面が低くなるまで滑空を続けて、最後にぴょんと身を放り出す。ダイブイン雪原!
はぁ、また振り出しかぁ……。
「……んん?」
起き上がった先に、妙な景色が映っていた。
鏡だ。
一面に広がる大きな鏡が、空模様を映している。
いや、それは鏡ではなかった。
「湖だ」
静かな湖畔に、天が映し出されていた。
「そういえば、初めてノーザンクロスを見たのも地底湖だったよね」
あのときノーザンクロスは、地底湖の水中から現れた。考えてみればおかしい。なぜ洞穴の方からではなく、水から出て来たのか。
「例えば、この湖とザンガの地底湖が地下水脈で繋がっている、とかどうかな?」
・ありそう!
・なるほど……
・そう仮定すれば地底湖の方にノーザンクロスが出現したのも確かに納得!
・そこに気づくとは、やはり天才か
「だよね! ありそうだよね!」
わたしもそう思う!
というかそれ以外に考えられないでしょ!
「ここをキャンプ地とする!」
*
と、意気込んでみたはいいものの――
「いだだだだ⁉ 寒いって感じる前に冷たいって感じる。肌が裂けちゃう!」
アヤタカガさん特性のホットドリンクの効果が切れた瞬間、急に肌が割れるような痛みに襲われる。
仕方がないので追加でホットドリンクドーピングを実行する。寒冷耐性のバフが付いて、肌を裂くような冷たさから開放される。
「ふぃぃ~、ケチってる場合じゃないですね、これ」
あれからずっと、湖面の前で立っている。
だけど期待と裏腹に、ノーザンクロスは現れない。
ホットドリンクの残数だけが溶けていく。
・ドリンクの残量大丈夫?
・ちゃんと帰りの分考えてね
「大丈夫。もとから神風特攻のつもりだから」
・草
・移動めんどいしデスルーラは正解なんだよな
・このゲームデスペナ軽いからなぁ
というかもう既に帰りの分を考えると不足気味。
道に迷わず進めたら帰れるかな、ってくらい。
引き返すつもりが無いから考えるだけ無駄だけど。
「早く来ないかなぁ」
山岳のような氷塊が連なる大地の中央で、わたしは只管湖面と向き合っていた。
吹き抜ける風が、毛先にかけて淡青色に階調がかった銀髪をなびかせている。
……きっかけが何だったかはわからない。
だけどわたしは、気が付けば身構えていた。
純白の翼を大きく広げ、銃器のグリップを握りしめる。
来る。
予感を実感したのは、行動を終えるのと同時だった。
確信に変わったのは、射線上にそれがあらわれた瞬間である。
・来たぁぁぁぁぁ!
・無限氷龍ノーザンクロス‼ 最強格モンスター‼
射抜くような強い瞳で、白霧の向こうの影に思いをはせた。
呼気は白くたなびいている。