3話 視線は掻い潜るもの。死線は潜り抜けるもの。
親指の腹を犬歯で噛んだ。
ガリっと嫌な音がする。
まずいまずいまずい。
パラサイトシードの無いわたしなんて卵の無い目玉焼きみたいなもの。
格上相手に渡りあえていたのは、Artemeres' Blessingという破格の性能を持つ武器を持っていたからだ。
それはつまり――
(Artemeres' Blessingじゃあ火力が足りない……!)
サービス開始初日に作ったこのアサルトライフルはレベル30相当の武器。
だけど、わたしが挑んでいるのは推奨レベル46のヨトゥン凍土。
渇いた音が響き渡る。
弾丸が弾かれたのが偶然だった可能性を追いかけたヘッドショットがヒグマに向かって邁進する。
「刺さった……! けど、なんで⁉」
今度は弾かれずに刺さった。
だが、ヘッドショットを決めたというのに、致死ダメージには遠く及ばない。
・ヒグマは脳みそがちっこい
「なにそのトンデモ理論。え、道民はどうやってヒグマを討伐してるの?」
・道民に対する信頼が厚い
・道産子のみんな出番だぞ
・道民全員が熊と戦うと思うな
・心臓を狙うんやで
・詳しい人いたwww
「なるほど! 心臓! いや待って相手四つん這いなんですけど⁉ 心臓をどうやって狙うの?」
相対する傑物を例えるならば脇構えの鎧武者。
堅牢鉄壁なる守りを前に、打ち勝つイメージが固まらない。
・横っ腹から撃ち抜くんや
・パラサイトシード打ち込んだ要領で左側を撃って
「なるほど。正面からの突破に固執しすぎましたね。そういうことなら回り込みますか」
距離を保ちながら、ヒグマの周りを旋回する。
90度、180度、270度、1回転。
「ずっとこっち見てくるじゃん!」
パラサイトシードの一件で横からの狙撃を警戒しているのだろうか。
かなりのスピードで移動しているはずなのに、ヒグマはなかなか隙を見せてくれない。
・さすが最前線MAP、敵が強い
・これ倒せるの?
・どうする?
・倒せるイメージがわかない……けどRenちゃんならやってくれる気がする
悲観的なコメントに交じった期待の言葉。
不意に映ったその文字列に、笑みが浮かぶ。
「楽して助かる命は無い……ってね」
瞳を閉じ、呼吸をひとつ。
意識が深いところへ落ちていく。
次に目を開いた時、世界は水あめに包まれたようにゆっくりと回っていた。
極限まで研ぎ澄まされた集中力が、時の流れを緩やかに動かしているのだ。
いいよ、見せてあげる。
格の違いってやつをね。
・早っ⁉
・さらにスピードをあげただと⁉
・今まで全速力じゃなかったんかwww
翼で風を切り、吹雪を引き裂く。
一歩間違えれば制御を失って落下まっしぐらの全速力で、ヒグマの周囲を飛行する。
・ああ……っ、ダメだ、振り切れない!
・どこから攻めようとしてもヒグマの正面が……
ただ早いだけで振り切れれば楽だったんだけど、そういうわけにもいかないらしい。
残念なことに、想定どおりだよ。
円運動をしている時点での加速は進行方向に対してピッタリ垂直、円心方向。そこから少し後ろに、加速方向をそらす。
ぐいと負荷が体にかかる。
・突っ込んだ⁉
・んな無茶な……
・ヒーラーとは
加速方向の転換によりわたしの描く円周が狭くなる。渦潮に飲み込まれるように、円の中心に向かって、ヒグマに肉薄する。
・危ないッ!
交差の一瞬。
わたしは自らに迫る拳を捉えていた。
ただでさえ致命打足り得る一撃をこの速度で受ければひとたまりもない。
まともに受ければ、の話だけれど。
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【旋回】発動
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ドッジロールの無敵時間が微増します。
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拳がわたしを捉える前に、わたしは半身を捻った。
ドッジロール。
ローリング行動中のわずかな時間にだけ許された無敵フレームを使い、ヒグマの一撃をすり抜ける。
「照準」
ヒグマの斜め後方へと突き抜ける最中。
天地の反転した世界でArtemeres' Blessingを構える。
「発射ッ!」
撃ち出された弾丸が、ヒグマの心臓を貫く――!
「円運動の半径が狭まると角速度は上がる。冥途の土産にするといいわ」
ヒグマはポリゴン片となり霧消した。
*
「緊急作戦会議!」
・はーい
・急にどしたし
「今日はノーザンクロスを倒すのが目標なんだけど、パラサイトシードによるHP吸収を前提にしてたんだよね。だけど……」
思い返すのは先の一戦。
勝利こそしたものの、パラサイトシードは冷気に耐えられずあっという間に枯れてしまった。
この調子だとドラゴンを狩る前に弾がなくなる。
「みんなどうするのがいいと思う?」
質問したとたんにコメントが加速する。
みんな親身で嬉しい……嬉しい……おい待てや。
誰だ「腹の中から攻撃する」って書いたのは。
わたしにドラゴンに丸のみされろと?
断固拒否する。
・交配で寒冷耐性のあるパラサイトシードを引き当てる
「いいね! アリ寄りの藤原有頼」
よし、じゃあさっそく【交配セット】を用意して……。
・なんかさっきからすごい地鳴りしない?
「ん?」
いや、耳栓してるから聞こえないけど。
地鳴り?
もしかしてもうドラゴンのお出まし?
警戒しながら周囲を見渡す。
そして、見てしまった、わたしはそれを。
「……うぇい?」
雪煙を上げて、遥か上方から迫りくる雪塊。
地鳴りの正体は……ゆき雪崩だった。
「なんでぇぇぇぇぇぇぇ⁉」
下方へ走りながら翼を広げる。
虚空を掴み、空に舞う。
それから、気づいた。
「あ、待ってまだヒグマのドロップアイテム回収してな――」
見下ろした凍土。
先ほどまでいた場所。
このふたつの眼に映ったのは残酷な景色。
ヒグマの毛皮や肉、臓器といったドロップアイテムが、大量の雪に飲み込まれる様子だった。
・草
・だから早く回収しろと……
・草
・草
・フキノトウ
「泣きたい……」
あの死闘はいったい何だったんだ……!